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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

修百世可同舟

2008年09月01日 | book
『千年の祈り』 イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳
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2005年に刊行された本書『千年の祈り』でいきなりフランク・オコナー国際短編賞を受賞して以来、アメリカで最も注目される小説家となったイーユン・リーのデビュー作。表題を含めて10篇の短編が収録されている。うち3篇がアメリカを舞台に中国人を描いた物語で、残りは中国を舞台にしている。
アメリカで英語で小説を発表しているアジア人作家といえば『停電の夜に』『その名にちなんで』のジュンパ・ラヒリがいるが、インドと中国という故国の違いはあってもこのふたりの作風はすごく似ている。年齢が近くてふたりとも女性ということもあるけど、視点が濃やかで対象へのアプローチが非常にソフトでありながらクール、というタッチがそっくりなのだ。ただラヒリがインド系二世であるのに対してリーは一世なので、故国を離れて故国を文学に描く必然性には微妙なズレはもちろんある。

ちなみにリーとぐりはちょうど同年代にあたる。文化大革命のことはほとんど記憶になくて、天安門事件は当事者になるにはちょっと年齢が足りなかった世代。物心つくころから急激な近代化に巻きこまれ、近年の愛国教育には染まらなかった世代。
そういう微妙な隙間感もそれぞれの作品に如実に感じる。「死を正しく語るには」に描かれたように父親が核開発者という特殊な家庭環境に育ったせいもあるかもしれない。でもなんとなく、あたしはいったいどっちなんだっけ?的な居心地の悪さは自然と共感できる。ロック世代でもなくゲーム世代でもない日本の70年代っ子と比較するのは違うかもしれないけど。

表題の「千年の祈り」は王穎 (ウェイン・ワン)監督が映画化してアメリカでは既に公開されてるけど(予告編)、ぐり的にお気に入りは「柿たち」かな。登場しない主人公以外の人物に名前がないっていう文体もおもしろいし、ストーリーもハードでいい。ゲイが主人公になっている作品も2篇(「ネブラスカの姫君」「息子」)あったけどなんか意味はあるのかしらん?
ほどよく甘くてほどよく辛くて、やわらかいんだけど歯ごたえもある、舌触りのいい短編小説集。この作家の本は日本ではまだこれ一冊しか出てないけど、また次が出たら是非読みたいです。

あひるの歌

2008年09月01日 | movie
『あひるを背負った少年』

徐雲(徐雲チー・ユン)の父は都会へ出稼ぎに出たきり6年も戻ってこない。17歳になった徐雲は旅費代りにあひるを背負い、父を探しに行くのだが・・・。
『アザー・ハーフ』の応亮(イン・リャン)の長篇デビュー作。世界各国で非常に高い評価を浴びた作品。

うーん。これはスゴイ。おもしろかった。
『アザー・ハーフ』では独特の構成の方が目立ってて気づかなかったけど、この作風って侯孝賢(ホウ・シャオシェン)に似てますね。カメラワークとかカット割りとか音楽の使い方なんかそのまんま、そっくりっていっていいんじゃないでしょうか。だからある意味ではすごく古典的でもあり、シナリオとキャスティングで作品が大方決まっちゃってるという、若い作家に似つかわしくないくらい落ち着いて堂々とした姿勢を感じる。
なので画面そのものにすごく自信が満ちみちてて、観ててなんだか安心しちゃうんだよね。わかりにくい部分があったとしても、慌てず騒がず黙って観てりゃそれでいい、って感じなの。

ストーリー自体は『アザー・ハーフ』に比べてもっと普遍的な話になっていて、モチーフそのものも非常にオーソドックス。父と息子の相剋、少年時代との別れ、ロードムービー。古今東西あらゆる芸術作品の題材になって来たモチーフだ。中国に限らず世界中の国々で近代化の波が無数の家庭を破壊し、夫婦を、親子を引き裂いて来た。それでも人々はどうにかこうにか生きて来た。
それを応亮は実に現代中国らしく表現している。主人公と父のような親子はおそらく中国全土に何万組もいるんだろう。徐雲のように無理を承知で、それでも一縷の望みに懸けて父を訪ねた子もたくさんいるんだろう。ほとんど喋りもせず、全編むすっと難しい顔をしっぱなしの主人公だが、観ているとどうかして父親に会わせてやりたいと祈りたくなる一方で、父親がやすやすと息子の願いを聞き入れて帰郷などしないことは観客にはなぜかわかっている。悲しいことだが、大人はみんな徐雲の父のように身勝手なものなのだ。だからといって主人公に同情するのは間違ってるとも思うんだけど。

犯罪が横行する街に洪水が迫り、全編に異様な緊迫感がみなぎるなか、主人公が籠に背負った2羽のあひるの「げっげっげっげっ、げっげっげっげっ」とゆー間の抜けた鳴き声が不思議な中和剤のような効果を発揮しているのがなんだかよかったです。やっぱり動物には勝てないね。すっごくおとなしくってかわいいあひるだったけど、あひるってホントはもっと凶暴じゃない?(大学時代、学校のあひるが怖かった記憶がある)
しかしこの応亮の作品は映像的にも非常に美しい。誰かハイビジョンカメラ買うたってくださいな。DVじゃもったいないよー。