落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ケニアのユダヤ人

2007年08月07日 | book
『名もなきアフリカの地で』 シュテファニー・ツワイク著 シドラ房子訳
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カロリーヌ・リンクの映画『名もなきアフリカの地で』の原作本。つーても映画を見たのはもう4年前なので、細かいところとかはあんまり覚えてないです。
舞台は1938〜47年のケニア。1932年、反ユダヤ主義を唱えるナチスがドイツ政権を握り、国内のユダヤ人は身の危険を感じて次々と国外へ亡命を始めた。亡命先はヨーロッパやアメリカ、中にはアジアやアフリカを目指した人々もいた。当時、東南アジアやアフリカの多くの国はヨーロッパ列強が支配していたからだ。
この物語は実際に少女時代をケニアで暮した著者の自伝的小説。祖国を追われた一家のよるべない戦時下生活を、みずみずしく叙情的に綴った美しい物語だ。

映画ではヒロインである少女レギーナ(レア・クルカ/カロリーネ・エケルツ)の目線に絞った描かれ方をしてたように記憶してるけど、原作は主観がごく柔軟に人から人へとかろやかにうつっていく文体になっている。冒頭は先にケニアに渡った父ヴァルターの手紙から始まり、場面によって現地人の使用人オーボワ、母イエッテル、娘レギーナ、と語り手がころころと変わっていく。
世界観としては基本的には著者自身の投影であるレギーナからみて構成されているのだが、語り手を固定しないことで、彼ら「亡命者」の置かれた環境の複雑さが、感覚的に非常にわかりやすくなっている。
とにかく目的ありきで常に冷静でありたい父、現状維持をなにより尊ぶ母、第二の故郷であるアフリカの地を愛してやまない娘、すべてを深く理解しているオーボワ。彼らは家族だが、それぞれにものの見方や受けとめ方がまったく違う。どれが正しくてどれが間違ってるなんて正解はない。それぞれがそれぞれの立場で感じ、思い、考えた結果が自然と違うのだ。どんなに愛しあった夫婦でも、血を分けた親子でも、人間はそれぞれ違った心をもっている。だからこそ互いに支えあい、尊重しあうことが必要なのだ。

言語の壁もまた亡命者一家の悲哀の象徴である。
父母はドイツ出身だから当然ドイツ語を話すが、年端もいかないうちにケニアに来た娘は現地のスワヒリ語やジャルオ語を流暢にあやつり、寄宿学校では英語で授業を受けている(ケニアは当時イギリス領)。彼女が成長するに従って親子の会話は英語交じりになっていく。
家庭内だけでなく、一家の周囲のヨーロッパ人も多くはイギリス出身で英語しか話さないし、亡命者もヨーロッパ各国から来ているので会話は不自由になる。いうまでもないが、見知らぬ異国で言葉が通じないのはほんとうに心細いものである。その心細さが具体的に鮮明に描かれている。
また、オーボワを中心とする現地人の価値観もとてもわかりやすく表現されている。レギーナ一家を敬い、大切に仕えてくれるオーボワたちだが、ただただ無心に忠節をつくしているわけではない。彼らの差しだす愛には彼らなりのプライドがちゃんとある。著者は彼らの考え方をどこまでも尊重しているが、さりとてヘンにわかったような言い方もしていない。そこにものすごく説得力を感じました。

時代背景は戦時下だが、直接的な戦闘シーンもでてこないし作中で死ぬ人物もいない。ドイツに残った縁者の消息が手紙などで知らされるだけ。
でも、戦地から遥か遠く離れたケニアにいた人々も当然戦争に苦しめられていた。戦争を知らない我々は、つい戦争といえば歴史の教科書の中の出来事、年表を輪切りにした過去の時代に、地図に色づけした地域で戦闘があって、グラフに数字で表わされた人間が死んだ、そんなことが「戦争」だと思っている。
けど事実はもちろんそうじゃない。そんなワケがない。戦争は起こるべくして引き起こされる。一旦戦争が起きたら、どこへ逃げても当事者は苦しみつづける。ドイツが降伏したっていきなり平和になるわけもない。祖国を追われ遠い異国に暮している人々には、また新たな闘争が迫ってくる。

血や涙や別れだけが戦争じゃない。共感や理解だけが愛でもない。
当り前だけど、なかなかそうは簡単にいえないことを、とてもあたたかくやさしく描いた小説。ホロコーストを他の文学作品とはまったく別の側面から描いているという意味でも、一読の価値はある作品です。
ところで映画では、異郷での孤立した暮らしの中で夫婦の心が離れていき、母がついに浮気をしてしまうというエピソードが描かれていたのだが、なんと原作にはそのようなくだりはいっさいない。映画オリジナルだったのだ。完全なフィクションならいざしらず、原作は著者の自伝でもあるので考えてみたら大胆な翻案である。他にも映画と原作でまったく違う部分がかなりあり、原作といってもストーリーをただなぞっただけの映画化とは違ってたみたいです。