落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

オタク魂に火をつけろ

2007年08月01日 | book
『ゾディアック』 ロバート・グレイスミス著 イシイシノブ訳
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今年公開されたデヴィッド・フィンチャー監督作『ゾディアック』の原作本。
日本で全文訳出されたのは今回が初めてだが、原書が出版されたのは1986年、もう20年も前のことである。なので映画と原作の間にも大きな違いがある。
というか、映画ではこの原作の情報量の2割〜3割しか消化していない。映画だけでも凄まじい情報量だけど、原作の方はもう呆気にとられるくらいの情報の洪水状態。なので情景描写などのディテールはごく部分的にしか描かれていない。でなければ収拾がつかないのだ。

情報量や時代の差だけではなく、映画と原作には決定的な世界観のギャップがある。
原作ものの映画は大抵は著者の視点から再構成される。原作の語り手は映画化されても同一人物が語り手になるし、原作の主人公は映画化されても主人公のままである。
ところが映画『ゾディアック』では、物語の主観が著者から読者に完全に移行している。映画の主人公だった著者グレイスミス氏は、原作では後半3分の1ほどまでは本文にほとんど登場していない。まあノンフィクションだから当り前といえば当り前だ。グレイスミスだけではなく、映画の主人公のひとりだったデイブ・トースキー刑事(マーク・ラファロ)も原作では大勢いる担当捜査官のひとりでしかないし、同じく映画では主要登場人物だったジャーナリストのポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・Jr)に至っては原作でその名が触れられるのはほんの数回に留まっている。
だから映画『ゾディアック』は確かにこの本をベースにはしているが、事件そのものではなく事件にふりまわされた人々の人生模様の方にフォーカスして物語を構成していて、そういう意味では原作とは根本的にまるっきりの別ものになっている。

この原作本を読むと、そうせざるを得なかったフィンチャーの意図もよくわかる。
とにかくまあ情報量がスゴイ。最初にも書いたけど。しかも著者はもともとはジャーナリストではなく一介のイラストレーターでしかなかった。その彼がなぜここまで執拗に事件を追いつづけるのか、読んでても尋常じゃないものを感じてこわくなるし、滑稽にもみえる。
もしかしたら、著者はあの奇妙な手紙を送り続けたゾディアックに、どこかで強い共感を感じていたのかもしれない。知性派で、孤独で、緻密な計画性と注目されることが好きなゾディアック。暴力を好むのと同じくらい、手紙と暗号を書くことが好きだったゾディアック。
オタクである。はっきりと、オタクである。
暗号や占いや資料集めが大好きで、仕事とはほとんど関係のない連続殺人事件にハマる著者にしても、傍目にはオタクといって差支えない人種だ。現に映画では露骨にオタクなキャラとして描かれている(つーても演じているのがジェイク・ギレンホールなのであくまで“キュートなオタク”としてだが)。

あと、これを読むとアメリカの広域犯罪がなぜ迷宮入りしやすいのかもものすごくよくわかる。広い国土、移民社会、数ヶ国語が入り交じった複雑な言語体系。他人を出し抜いて手柄を立てたい・手段はどうあれとにかく目立ちたいというアメリカ人特有の“有名人になりたい病”。人々の間に立ちはだかる見えない壁の数々。
軍隊経験者は武器の知識にも長けているし、人家から離れた場所での犯行/逃走方法も当然よくわかっているだろう。現在アメリカには徴兵制度はないけど、この事件当時はベトナム戦争中で復員した軍隊経験者もたくさんいた。ゾディアックは服装や挙措動作、武器の扱い方や暗号の書き方からみて、海軍関係者であることが判明している。
軍隊ではもちろん人殺しの訓練をする。殺人マニアに殺人のノウハウを教える制度があるってコワイよねえ。国が犯罪者を養成してるよーなもんじゃないですか。
っていいすぎ?