落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

努力賞

2005年10月30日 | movie
『長恨歌』を再見。初見の感想はコチラ

二度観て余計に印象深く感じたのだが、本当に本当にディテールに凝っている映画だ。
それは衣装や美術やメイクといったプロダクションデザインの面だけでなく、台詞回しや表情といった役者の演技の細部までが、「上海人」という一種の様式美を再現しようとしているのがありありとわかる。
が、この「様式美」が曲者で、意地悪ないい方をしてしまうと級友役の蘇岩(スー・ヤン)や胡軍(フー・ジュン)にはほとんどハンデのようなものは感じられず非常に自然な表現になっているのに対して、ヒロインの鄭秀文(サミー・チェン)は明らかににムリをしているのがわかってしまう。言葉の壁というものもあったろうし、サミー自身のスキルの問題でもあったかもしれない。とても頑張ってはいるのだが、頑張れば頑張るほどみている人間の目にはその努力が痛々しくみえてしまう。
まだまだこれからの女優さんなのだろう。老け役はすごくよかったし、将来に期待しましょう。

美術はなるほどとにかく見事だ。この映画そのものが一種の美術品のようにさえみえるほど、何から何までが圧倒的に美しい。
關錦鵬(スタンリー・クァン)監督曰く上海の街の変化が激しくて屋外ロケができなかったというように、ほとんどのシーンが室内=セットで撮られているため、どことなく舞台劇のような雰囲気もする。それならそれでいっそのこともっと舞台風に転ばせた方がもっと完成度が上がったかもしれない。
原作が有名なだけに無茶な省略は出来なかったのかもしれないが、かつて『藍宇』であれほどバッサリとエピソードをカットして成功したのだから、今回もそれくらいの大胆なアレンジをしてもよかったのではないだろうか。って原作読んでないけど(邦訳って出てないよね・・・)。
もう10年以上前だが、ベトナムを舞台にしたフランス映画でロケなしのオールスタジオ撮影で成功した『青いパパイヤの香り』という作品があった。ロケが出来なくてもその町や時代の空気を再現することは不可能ではない。『長恨歌』ではロケが出来ないというハンデがどうしても超えられなかったようだ。
しかし去年出品されていた『ジャスミンの花開く』も上海を舞台にした似たような時代ものだったが屋外シーンは結構あった。やろうと思えば出来ない筈はなかったのでは。謎です。
あとね、ときどき出てくる黒バックに白スーパーのカット、アレ多すぎ。説明しすぎで却って興醒めっす。特にラストのはいらんかったと思うよ・・・ってアタシはホンマに關錦鵬ファンなんかい。

上映後は一旦香港に帰ってた監督がわざわざ戻って来て二度めのティーチイン。ありがとーう!(by谷村新司)
今回は司会の方が気を利かせて一度にふたりを指名して順番に質問させたり(毎度挙手させる時間を節約するため)、回答を全部いいおわって中日訳も終わってからまとめて英訳したりして、スゴイ量を語る監督に負けないように効率の良い進行に努力されてました。拍手。
監督はとっても上機嫌でフォトコールの後でマスコミ受付のデスクを利用して即席サイン会を開いたりしてました。
また来てね。待ってるよ!

夜は今回の映画祭で顔見知りになったアジア映画ファンの方々と軽く打ち上げのような食事会をしました。とーっても愉しかったです。
またいつか皆様とお会い出来るのを楽しみにしております。