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男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ散歩⑩神代植物公園

2008-12-18 00:31:23 | まち歩き

ちよ散歩、今回は「ちよ散歩⑦善福寺公園」の続きで神代植物公園までの公園めぐりです。

003ちよ散歩⑦で断念した、井の頭公園からスタートします。

井の頭公園はJR吉祥寺駅からすぐのところにあり、京王井の頭線井の頭公園駅もあります。

1917(大正6年)開園で、正式名称は井の頭恩賜公園です。

 

 

 

006井の頭公園は、井の頭池・御殿山・西園・第二公園四区域に分かれています。

井の頭池は、三宝寺池、善福寺池と同じで湧水からできています。

上水道として、最も古い神田上水の源でありました。

 

 

 

井の頭池をあとにして、吉祥寺通りを行くと玉川上水を渡ります。

015さらに、西園のはずれに三鷹の森ジブリ美術館があります。

受付では、大きなトトロが迎えてくれました。(ガラスが反射して画像見にくいです)

 

 

 

 

吉祥寺通りを行き、狐久保の交差点を右に曲がり連雀通りを進みます。

022しばらくすると、この禅林寺があります。

ここには、太宰治森鴎外(森林太郎)のお墓があります。

太宰治は、1948(昭和23年)玉川上水で心中により死去しました。

毎年、誕生日である6月19日に桜桃忌が行われます。

 

 

019_2これは太宰治のお墓で、その向かい側に森鴎外のお墓があります。

太宰の墓が森鴎外の向かいに建てられたのは、森を尊敬していた太宰自身の希望によるものです。

 

 

 

 

連雀通りを黙々と歩くと、井田新田の交差点があり左に曲がります。

024しばらく行くと、右に国際基督教大学の入口があります。

門から撮った画像で、桜並木が続いています。

この辺りには東京神学大ルーテル学院大などがあり、文教地区となっています。

 

 

 

真っすぐ進み、大沢の交差点を右に行きます。

025ちょうど、基督教大の裏門の所で東八道路に出ます。

その歩道を行くと、道をはさんで両側に広がる野川公園に出ます。

画像は、野川かしの木橋です。

 

 

 

031東八道路右側は野川が流れていて、川が公園の中心です。

野川は、国分寺崖線の下から湧き出た水を集めて流れています。

このわき水広場には、湧水が小川となって流れています。

 

 

 

041東八道路に架かる一之橋を渡り、道路左側の野川公園へと入って行きます。

こちらは、大芝生・自由広場など相当にだだっ広いです。

それもそのはず、以前はゴルフ場だったそうです。

ぐるっとひと回りして、この南東門よりやっと公園から出ます。

 

 

040出た所にあるのが、この近藤勇生家跡です。

近藤勇は、1834(天保5年)この地に生まれ育ちました。

現在の跡地は、1943(昭和18年)に家が取り壊されるまで使用していた井戸(産湯の井戸)を残すのみです。

 

 

 

すぐ前の人見街道を、大沢の方にもどります。

036近藤家の菩提寺である、龍源寺があります。

門前に、この近藤勇の銅像がありました。

近藤勇は新撰組で活躍しますが、1868(明治元年)板橋宿で処刑されました。

享年三十五歳、この寺にお墓があります。

 

 

龍源寺をあとにして、南に向かうと視界が開けます。

047そこに、調布飛行場が見えてきます。

飛行場の手前に、囲むようにあるのが武蔵の森公園です。

公園には、この掩体壕(えんたいごう)が二基保存されています。

掩体壕とは軍用機を空襲から守るための格納庫で、その目的は残り少ない飛行機を温存するためでした。

 

 

046これは、格納されていた戦闘機「飛燕」の縮尺模型です。

掩体壕は戦況が悪化する1944(昭和19年)頃から、コンクリートや土塁で約六十基が短期間に造られました。

 

 

 

 

調布飛行場へ、向かいます。

051ここには、戦時中首都防衛のため陸軍飛行部隊が配置されていました。

現在では、伊豆大島・新島・神津島へ小型機が運行されています。

 

 

 

 

056いろいろな形の小型機が、見えます。

左奥の建物は、プロペラカフェのある日本エアロテックです。

右奥の大きな建物は、味の素サッカースタジアムです。

プロペラカフェではグッズを買いましたが、店内には管制塔の交信する声が流れています。

 

 

また野川沿いを進み、天文台通りを左に曲って行きます。

062坂を上って行くと、国立天文台三鷹キャンパスがあります。

ここは、一部公開されていて見学ができます。

入口で記帳して、見学ガイドをもらいワッペンを付けます。

 

 

 

063これは、第一赤道儀室です。

1921(大正10年)の建設で、キャンパス内現存最古の建物です。

円筒形の観測室の外側に、バルコニーがあるのが特徴です。

六十年にわたり太陽黒点のスケッチ観測などが、行われました。

 

 

 

069アインシュタイン塔の愛称で呼ばれる、太陽分光写真儀室です。

1930(昭和5年)の建設で、塔全体が望遠鏡の筒の役割を果たしているため「塔望遠鏡」とも呼ばれています。

愛称の由来は、ドイツ天体物理観測所「アインシュタイン塔」にあります。

その塔は、相対性理論を太陽光の観測から検証する目的で建てられました。

この建物も、同じ構造と機能を持っているためそう呼ばれました。

 

 

075見学コース一番奥に位置するのが、この自動光電子午環です。

1982(昭和57年)建設で、周りは広い芝生となっています。

この観測施設は天体の精密位置観測に使われ、そのため特殊な工夫が施された望遠鏡(子午環)を設置しています。

 

 

 

国立天文台をあとにして、武蔵境通りに向かって歩きます。

081そこにあるのが、ゴールの神代植物公園です。

戦時中にあった、神代緑地(防空緑地)の名称を引きつぎました。

開園は1961(昭和36年)で、広さは約25万㎡あります。

 

 

 

085これは、バラ園に囲まれた噴水池です。

公園内を歩いて、深大寺門から外へ出ます。

 

 

 

 

深大寺と言えば手打ちそばですが、ちょうど歩き疲れた所にあったのが深大寺手打ちそば松葉茶屋です。

ものすごい、こしでした。

最後に、深大寺に寄ります。

093参道に下る坂の途中にある乾門から、深大寺に入ります。

元三大師堂から本堂へ、そしてこれが山門です。

1865(慶応元年)の大火でも、災禍を免れた建物のひとつです。

 

 

 

095深大寺門参道の、店並みです。

1889(明治22年)に神代村が誕生し、1955(昭和30年)調布町神代町が合併し調布市となります。

その後、住所表示の変更で深大寺を名乗る多くの町名が誕生しました。

そのせいで、神代という公園名称の由来がわかりにくくなりました。

 

 

002

本日のおみやげは、調布飛行場内プロペラカフェの「スカイシャーク」です。

 

 

 

 

-ちよ散歩⑩神代植物園・おわり-  

 

 

 

 

 

 



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