ちよ散歩、今回はさだまさしの曲にもある木根川橋まで歩きます。
JR総武線錦糸町駅北口から、スタートです。
残念ながら精工舎は2002(平成14年)解体され、巨大ショッピングモール「olinas」に変わっていました。
余談になりますが、母は戦時中出稼ぎに来てここにあった精工舎で働いていました。
あの3月10日の東京大空襲に遭遇し、命からがらいなかに逃げ帰ったと聞いています。
蔵前通りに架かる天神橋から、横十間川を見た画像です。
横十間川は、やがて北十間川に流れスカイツリーの真下を通り隅田川に流れ込みます。
天神橋を渡ると、すぐに亀戸天神です。
菅原道真公を祀る亀戸天神は、1662(寛文2年)創建です。
江戸時代から「学問の神様」として、信仰を集めています。
鳥居(左上)と、男橋と言われる最初にある太鼓橋(右上)です。
本殿手前にあるもうひとつの太鼓橋を、女橋と言います。
毎年1月に「うそ替え神事」が行われ、檜の木彫りの鷽(うそ)が授与されます。
新しい鷽に替えると、「凶がうそに替わり一年の吉を招く」とされています。
また、梅や藤の名所としても知られています。
本殿(左上)と、紋入りの賽銭箱(右上)です。
亀戸天神から北に向かい、浅草通りに出て東京スカイツリーを見に行きます。
浅草通りの歩道橋の上から撮った、東京スカイツリーです。(左上・中上)
ここからのスカイツリーが、ベストビューです。
北十間川に架かる京成橋から撮ったスカイツリーですが、こちらは建設中の巨大ビルが邪魔をします。(右上)
京成橋から京成押上線とほぼ平行した道を、荒川に向かいます。
押上・曳舟を抜け、明治通りを渡って真っすぐ進みます。
荒川と中川は地図で見ると河口からずっと平行していますが、木根川橋手前で中川が急に東に蛇行して荒川と離れて行きます。
木根川橋が架かっているのは荒川と、中川から分かれた綾瀬川です。
昔、さだまさしの「随想録」というライヴ・アルバムを持っていました。
当時はカセットの2枚組で、その中で「木根川橋」の曲が歌われています。(そのカセット所在不明です。)
「木根川橋」は中学の同窓会で恩師に思い出を語るという曲で、恩師に話かけるセリフから始まります。
「♪~木根川橋から 水道路抜けた 白髭神社の縁日は~」が、歌の始まりです。
「随想録」はライヴ録音ですのでトークがおもしろく、曲の前にさだが「木根川橋も木造だったのに鉄こんキンクリートに変わっちまった」とボケて嘆いています。
白髭神社に行く前に、綾瀬川沿いを下流に進みます。
3番の歌詞に出てくる、木根川薬師があります。
「♪~木根川薬師の 植木市の日には~」が、3番の始まりです。
昔の雰囲気があるのは、この建物ぐらいです。(左上)
この仁王門に立つ金剛力士像は修復され、1995(平成7年)70余年ぶりに安置されたものです。(右上)
この木根川薬師のとなりにあるのが、さだの出身校中川中学です。
さだまさしは長崎の出身ですが、バイオリン修行のため中学から上京していました。
さて、水道路までもどって白髭神社に向かいます。
途中、そば屋で本日の定食「黒豚とんかつ」の昼飯です。
六叉を左斜めに進むと、白髭神社があります。(上)
江戸時代には、「葛西の客人(まらうど)大権現」と称され江戸名所のひとつとして参拝者が絶えなかったそうです。
ここのパンフレットには、「さだまさし氏の木根川橋に縁日の様子が歌われています」と書かれています。
さて、六叉にもどり蛇行した中川の先を見に行きます。
地図で見る中川の蛇行がすさまじく、この荒川はもともと放水路で中川を分断しています。
ですから、荒川より都心寄りにも旧中川の蛇行のあとが見られます。
立石・青砥を抜けて環七を渡って行くと、中川に架かる高砂橋に着きます。
高砂橋の上から、下流へ向かって撮った画像です。(左上)
上流からきた中川はこの高砂橋を越えた所で左右に分かれ、左に行くのが新中川で右に行くのが本流です。
新中川は浸水災害防止のため、中川の水を旧江戸川にまで流すため開削された放水路です。
新中川沿いを進み、高砂諏訪橋から先ほどの高砂橋を撮った画像です。(右上)
高砂橋を越えた本流は、画像左側へ大きく蛇行して行きます。
最後に、本流と新中川分岐点の先端にある新中川通水記念公園に寄ります。(左上画像の真ん中あたり)
碑の裏面には、大工事の末1963(昭和38年)に中川放水路が完成したとあります。
この蛇行した中川を見ると、浸水災害の大きさが想像できます。
帰りは、環七に出て青砥橋を渡り京成青砥駅がゴールです。
今日のおみやげは、忘れました。
-ちよ散歩38木根川橋・おわり-
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