よんどころ無い事情で間が空きましたが、7か月ぶりのちよ散歩です。
今回は前回「ちよ散歩39旧東海道品川宿」の続きで、旧東海道から池上本門寺までを歩きます。
鮫洲には運転免許試験場があり、駅前には今でも代書屋が軒を並べています。
自分も免許を取った時は、ここの試験場に来ました。
すぐに、旧東海道に出ます。
ここを左に行けば品川宿ですが、反対方向の右に進みます。
江戸時代品川には品川浦と御林浦の2つの漁村があり、御林浦は南品川と北浜川の間の漁村でした。
この神社は、その旧御林町の総鎮守です。
旧道にもどり、しばらくして左に曲がり昔の御林浦を見に行きます。
もちろん、今は埋め立てられ勝島運河となっています。
この運河周囲は、「しながわ花海道」として花畑の整備がなされています。(左上)
舟だまりと、手前は花畑に咲いている菜の花です。(中上)
「つり舟・屋形船の大山丸」の、舟着き場です。(右上)
ここに、土佐藩浜川砲台跡があります。
幕末ペリー来航の際、土佐藩は砲台を8門築きました。
砲台の礎石が発掘され、ここに置かれています。
この橋は、別名「涙橋」と言われました。
刑場に引かれる罪人と親族らがこの橋で涙ながら別れた、と言うことからそう呼ばれたのです。
今では、大井競馬場帰りのオケラ街道の「涙橋」です。
ここで、旧道を少しもどり京急立会川駅に向かいます。
若き龍馬は浜川砲台の警備に当たったのですが、その時通った道がまさに立会川駅前商店街の道だったそうです。
この若き龍馬像は、靴ではなく草履を履いています。
さて、涙橋までもどって旧道を進みます。
国道に出る手前右にあるのが、1651(慶安4年)に開かれた鈴ヶ森刑場跡です。(左上)
江戸時代涙橋で親類らと別れた罪人は、ここで処刑されました。
処刑者の供養のため建てられた、ひげ題目を刻んだ石碑です。(中上)
八百屋お七が、ここで火あぶりの刑になったのは有名な話です。
首洗いの井戸が、残っていました。(右上)
ここで旧道は国道に吸収され、旧東海道とはお別れです。
途中、桜新道に架かる桜色の歩道橋を渡ります。
画像は、その歩道橋の上から八重桜の並木を見たところです。
京浜東北線に架かる歩道橋を渡り、線路の向こう側の池上通りに出ます。
ここで少し迷ったのですが、駅とは反対方向へ行きます。
しばらく行くとあるのが、大森貝塚遺跡庭園です。(左上)
1877(明治10年)モース博士(アメリカ)が、大森貝塚を発見したことを記念して建てられた碑です。(中上)
実物の貝層を利用して、発見当時の貝塚を復元したブースです。(右上)
この遺跡の人たちが住んでいたのは、縄文後晩期で約3,000年前頃だそうです。
池上通りを進み、JR大森駅を通り過ぎます。(左上)
途中、「手打蕎麦処ひらそば」でもりせいろの昼飯を食べました。
大森郵便局を過ぎたところで右に入る道が、古道への入口です。(中上)
環七通りをくぐって行くと、「いにしへの東海道」の石碑があります。(右上)
この道は、時代により奥州街道・相州鎌倉街道・平間街道・池上往還などと呼ばれていた古道です。
池上通りとほぼ平行する古道を、進みます。(左上)
しばらく行くと、呑川に架かる浄国橋を渡ります。
すると、萬屋酒店がありここで古道とお別れです。(右上)
ここを右に曲がって行くと、いよいよ池上本門寺です。
まずは、総門があります。(左上)
本門寺内にある現存する古い建築物のひとつで、建造は元禄年間と言われています。
総門をくぐると、この此経難持坂(しきょうなんじざか)の階段を上がります。(中上)
「法華経」宝塔品の詩句96文字にちなんで、石段を96段としています。
また、詩句の文頭の文字「此経難持」をとって坂名としました。
階段を上がると、山門(仁王門)があります。(右上)
1977(昭和52年)に再建された、重層門です。
山門をぬけると、めざしてきた池上本門寺大堂です。(左上)
この大堂で、おくればせながら初詣のお参り(無病息災と復興祈願)をしました。
この地は日蓮聖人の入滅された霊跡とされ、 日蓮聖人高弟の日朗聖人によって基礎が築かれました。
以来、東国における日蓮宗の中核寺院として発展しました。
ここで、東側にある五重塔に向かいます。(右上)
この五重塔は、徳川2代将軍秀忠の乳母・岡部の局の発願により秀忠が1608(慶長13年)寄進建立したものです。
関東に残る、最古の五重塔だそうです。
残念ながら、開園時間が終了していました。
画像は、外から撮った紅梅・白梅です。
第2京浜(国道1号)を北上し 、ゴールの都営地下鉄西馬込駅に着きました。
今日のおみやげは、本門寺で買った「ひょうたん形のお守り」です。(上)
-ちよ散歩40池上本門寺・おわり-
追記
当ブログちよ散歩は、地井武男氏のちい散歩を模して「まち歩き」を続けてきました。
ちい散歩がテレビから去ってしまった今、ちよ散歩も今回の40回目をもって終了させていただきます。
これからは、「まち歩き」を含むもっと広い意味での「旅行記」を載せていくつもりです。
タイトルはまだ決まっていませんが、これからも当ブログをよろしくお願いいたします。
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