4月15日再び、
高原の地で!
以前、2007年4月8日に私が奉納演奏させていただいた高原熊野神社。私のヒーリングシンセアルバム、「緑のKUMANO」収録の場所でもあります。
この時の奉納演奏の経緯もいつもの様に不思議に包まれていました。
「ダライラマ法皇を熊野にお招きください。」
熊野から私の自宅に突然かかってきた電話は、
これまでにお会いした事もない方からのもので、私にとっては突拍子もないものでした。
その後その依頼の実現の為に東京に出向いたりもしましたが、
当然の如くそれは実現には至りませんでした。
その後もいろいろありましたが、
ただ・この経緯で実現したのが、
唯一ここ「高原熊野神社」での奉納演奏でした。
そしてその後に色んな方が奉納演奏に訪れました。
この場所は、熊野の長い歴史に於いても重要な場所です。
今やこの広域な熊野には、
その深い歴史の痕跡を残す場所は何処にもありません。
それは古すぎて失われた世界です。
私は、奉納演奏当時ここの長老より不思議な話を教えてもらいました。
それは、現代日本誕生に係る程の、封印された深い情報でした。
最近、この場所に皇太子様と秋篠宮様が共に訪れた事も現代日本的にも重要な事で、その時の模様が駐車場の休憩所の壁に普通にパネルで貼り巡らされていますが、この本当の意味を識る者はそんなにいません。
その時の長老の話は、この言葉からでした。
「私は観ました。」
それから私の識らない多くの熊野の秘密が語られました。
長老は、このエリアの熊野の語り部でもありました。
その長老が昨年、高原の山の中での不慮の事故で亡くなられていました。それを私は昨年末に、以前の熊野のダライラマの一件の時の方から連絡を戴きました。
でも・私もそんな気がしていて、驚く事もなく「やっぱり」という感じでした。
長老は長年に渡りこのエリアの熊野古道の整備を、自力で石段を積み重ねたり、そして「高原熊野神社」を一生かけて護り続けた方でした。
お墓参りに行かなければいけないと言っていた矢先に、
今回のお話が舞い降りました!
先日行われたヒーリングシンセコンサート、泉北【かんなび】さんのオーナーの方が、昨年の年末に初めての熊野中辺路高原に何度か引き寄せられたという事でした。
そして今年も高原の宿に行ったところ、
今年4月、一泊二日の数十人での高原ツアーが決まったと言うのです。
そこで私にも音を出してくださいという事になりました。
2月8日に、高原にその打ち合わせに行く事になりました。
間違いなく亡くなられた長老のお導きと感じています。
今回私が音を出させていただく場所の、
のすぐ隣に、長老の屋敷と墓があるという事が今日判りました。
今年も不思議な事の始まりです。
昨日ある行者さんにお会いしました。
その方からは以前から、
「あなたは、普通じゃない・・・」
と言われていました。
「何が普通じゃないんですか?」
と・その事を再び問いただすと、
「じゃ・あなたは普通ですか・・・。」
と言われ、
「普通じゃないです。。」
と答えてしまいました。
でも・未だに何が普通じゃないのかは、
今も・何も判っていません。
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