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模型作りや旅行記、日々の出来事など気ままに紹介しています。
(開設2015年1月1日)

ハセガワ1/48 零戦22型(甲) 製作記 その5 完成

2022年05月15日 15時46分00秒 | ハセガワ1/48零戦22型製作記
今頃は静岡HSの余韻に浸りながら帰り支度を始めている皆さんも多いと思いますが、ホビーショーとは全く無縁のオッサンは、今日も電気屋の手伝いに行って来ました。少し早目に帰宅出来たので、零戦22型の完成写真を撮る事にしました。13日の夜に完成していたのですが、完成写真を撮る時間がなくて、今日になってしまいました。


残り作業として、翼端灯の接着、機銃やピトー管の取り付け、アンテナ線張りを行ない、完成となりました。最後に黒のパステル粉で排気汚れや機銃の硝煙などを追加しました。


アンテナ線は延ばしランナーです。モデルカステンのストレッチリギングがなぜか行方不明で、仕方なく延ばしランナーにしました。何かのついでの時に、再購入したいと思っていますが、ちょっと高いですよね。(いつもの引き出しにしまっておいたはずなんですが…。)

ここまでの写真は、完成直後に製作机の上でスマホで撮影したものです。

下面はこんな感じですが、この時誤ってアンテナ線、切っちゃいました😅 

今年の目標の一つでもある、「2022年寅年に因んだキットを作る」と言うことで、零戦22型を選択し、虎部隊仕様で製作しましたが、愛犬の死に続き、親戚の法要などが相次ぎ、気持ち的にも中々思うように製作時間が取れず、完成がかなり遅くなってしまいました。取りあえず、目標のキットが完成してホッとしています。デカールは、今回初めてアシタノデカールを使用してみました。フィルム除去に少しコツのようなものが必要だと感じましたが、うまく貼れればニス部分がないので、シルバリングの心配のないデカールです。いつものようにほぼ素組みですが、シートベルトは紙創りのものを使用しました。また、ピトー管はファインモールドの1/48日本陸軍機用の物を使っています。相も変わらず進歩のない稚拙な完成品ですが、やはり零戦って良いですね。日本機に対しては、人それぞれ色んな感情をお持ちだと思いますが、逆にそこまで感情移入できる人って凄いと思います。色んな意味で、日本人の心の中にいつまでも存在する飛行機であって欲しいものです。

と言う事で、完成画像はフォトチャンネルに纏めていますので、ご笑覧下さい。(デジカメ、やはり不調です。不調プラス撮影下手ですみません。)なお、なぜかカウリング後部から胴体部分にかけてウェザリングをしたような影(陰?)のようなものが写っていますが、実際にはこう言う影は存在しません。恐らくデジカメでの撮影時に生じたいたずらだと思います。
それでは、次の製作キットをお楽しみに。

ハセガワ1/48零戦22型甲第261航空隊(虎部隊)


ハセガワ1/48零戦22型”ブーゲンビル”[KIT No.JT180]
(「第261航空隊(虎部隊)」仕様として製作)
製作開始:2022年(令和4年)3月31日
完  成:2022年(令和4年)5月13日
キット購入日:1999年(平成11年)8月17日
購入価格:不明(キット定価2,200円)
シートベルト:紙創り日本海軍機用
ピトー管:ファインモールド1/48日本陸軍機用真鍮製
参考資料:世傑スペシャルエディションNo.6零式艦上戦闘機 モデルアート増刊、他
完成キット撮影カメラ:SONY DSC-HX50V/moto g8


ハセガワ1/48 零戦22型(甲)製作記・完


ハセガワ1/48 零戦22型(甲) 製作記 その4 デカール貼り("13"はやはり不吉な数字?)

2022年05月08日 21時27分00秒 | ハセガワ1/48零戦22型製作記
GWも今日が最終日。皆さんどんなGWでしたでしょうか? 私の方は親戚の法事から始まり、孫に翻弄されたGWでしたが、それも今の内で、大きくなると近寄っても来ないでしょうね。😂 母と一緒に南紀ドライブを楽しんで来れたのが、せめてもの親孝行になりました。GWが終わると静岡HSですが、出かけられる皆さんはそろそろ準備に追われている頃かもしれないですね。私は静岡は鬼門の地と言う事で、この先も行く事はまずないでしょうが、皆様方のレポートで楽しませて頂こうと思っています。どうかお気を付けて行ってらっしゃいませ。

そんな訳で、GW期間中はあまり模型作りの時間がなくて、製作は少ししか進んでいませんが、零戦22型の現況報告です。

塗装が終わったので、デカール貼りを行ないました。戦隊デカールはアシタノデカールを使用しますが、その他はキットのデカールを使用する事になります。劣化の事を考えて、デカール保護剤を塗布しての使用となりましたが、赤丸で囲んだ部分のデカールが、クリア吹き時にちょっとしたアクシデントを引き起こしてしまいました。写真は修正後ですが、エアブラシのエア圧でデカールが剥がれてしまい、乾燥前の塗料(クリア)にくっ付いてしまったのです。乾燥後に何とか修正しましたが、ちょっと塗面が汚くなってしまいました。デカールは他キットから持って来ました。前回、勇み足で剥がしてしまったキャノピーのマスキングは、もう一度貼り直しました。

主脚カバーの荷重表示も、上と同じく同社の22型の別キットから流用しました。荷重表示の上にある機番の「13」はアスデカに用意されていたので、それを使用したのですが、フィルムを剥がす時に失敗してしまいました。やはり13は不吉なんですかね? 左がアスデカで、右がでっち上げたものです。大きさがかなり異なりますが、気しない事にします。😅

プロペラ先端の赤ラインもキットのデカールを使用しています。塗装はブレード表面をGSIクレオス Mr.スーパーメタリック2(スーパーファインシルバー2 )で塗装してから、デカール保護を兼ねて同社の水性クリア(光沢プレミアム)を吹きました。スピナーは8番シルバーの缶スプレーです。軸を1.5ミリ真鍮パイプで延長して、抜け落ち対策を施すことにしました。

順序が前後しますが、一番上の写真に続く前のデカール貼りが完了したばかりの状態です。例の部分のデカール、浮いてますよね? これをクリアで定着させようと思い、自作の75%艶消しクリア(油性)をエアブラシで吹いたのですが、デカールが吹き飛んでしまいました。エア圧は0.04Mpaくらいだったと思います。

一応、クリアコートが終わったので、次に墨入れを行ないました。今回は、ウォッシングは行ないません。

上面はタミヤの墨入れ塗料のブラックを使用しました。下面はブラックだときつすぎると思ったので、グレーを使ったのですが、墨入れ効果が見られないので、ブラックを混合して黒に近いダークグレーにして墨入れしました。下面の写真を撮り忘れましたが、現在はこんな感じとなっています。主脚やカウリングなどは仮付けした状態です。翼端のマスキングは、翼端灯のクリアパーツを取り付ける前にシルバー塗装するためのものです。

別アングルから写してみました。まだ完成ではありませんが、こうして見るとやはり零戦って優雅なフォルムをしている飛行機ですね。

それでは、今日はこの辺で…。次回、完成報告出来そうです。

完成報告できると思う、その5に続く。



近畿の道の駅 全部巡ってやるぜ!≪滋賀県編≫ 第4回 最東端から最南端の道の駅へ

2022年05月06日 22時30分00秒 | 道の駅
GWも終盤間近ですが、今年は3年振りにコロナによる制限のないGWとなり、観光地は多くの観光客で賑わったようですね。その中でも、和歌山県の観光客の増加率が全国一位の約7倍(HIS調べ)と言う事で、和歌山県人としては嬉しいニュースとなりました。ただ、この結果がコロナの感染拡大に繋がらない事を願いたいものです。実は3日に母を連れて南紀の方に家族でドライブに行って来たのですが、串本にある橋杭岩の駐車場は予想通り大混雑で、臨時駐車場にさえ入るのに苦労するほどでした。駐車場の車のナンバーを見ると8割がた他府県ナンバーで、和歌山ナンバーの車を見付ける事の方が難しい状況でした。いやぁ~、久々に見た光景でしたね。😄

閑話休題。

道の駅巡り≪滋賀県編≫の続きです。今回でこの日(2021年4月3日)訪れた道の駅の紹介が完了となります。

「道の駅 あいとうマーガレットステーション」から国道421号線を経由して向かったのは、滋賀県最東端にある「道の駅 奥永源寺 渓流の里」です。

案内標識です。滋賀県と三重県の県境近くにある鈴鹿山系の山間にある道の駅です。ここから先に進むと、石榑峠を越えて三重県いなべ市に入ります。


東近江市蓼畑町にある国道421号線の道の駅で、2014年10月10日登録、2015年10月10日オープンの比較的新しい道の駅です。写真を見てお分かりかもしれませんが、永源寺町立政所(まんどころ)中学校(2003年/平成15年、廃校)の校舎をリノベーションした道の駅です。事業主体は東近江市ですが、運営組織は「一般社団法人 奥永源寺渓流の里」となっています。

鈴鹿山脈への登山客の拠点にもなっているようで、登山客も多く見かけました。国道421号線の旧道は、酷道ファンには有名で、石榑峠にある幅2メートルの巨大なコンクリートブロックが名物となっていました。近年、長大なトンネルが開通し、旧国道は国道指定を外れ、現在は通行止めになっているようです。このまま廃道化してしまう運命なのかもしれないですね。下にYouTubeの車載動画を貼って置きます。

【旧酷道・車載動画】旧国道421号 石榑峠越え (滋賀県東近江市)



永源寺と言うのは、東近江市になる合併前の町名で、道の駅の名称もここから来ています。道の駅の機能以外に、防災や医療など地域の生活の拠点として、行政機能やコミュニティ機能も兼ね備えており、2021年6月に「防災道の駅」に選定されています。直売所では「永源寺こんにゃく」や「政所茶」、タラの芽などの特産品の他に、木地師のふるさととして木工作家が創作した作品なども店頭に並んでいます。(一部Wikipediaより引用)

滋賀県最東端の道の駅と書きましたが、滋賀県編第2回で紹介した「道の駅 伊吹の里」との位置(東経)関係はごく僅かで、「道の駅 伊吹の里」=東経136度22分16秒、「道の駅 奥永源寺 渓流の里」=東経136度22分19秒、僅か3秒差の違いで「道の駅 奥永源寺 渓流の里」が最東端となります。

山間の道の駅から再び来た道を引き返し、次に向かうのはこの日最後となる滋賀県最南端に位置する道の駅です。

「道の駅 奥永源寺 渓流の里」から南へ進路を取り、約45分で到着したのは「道の駅 あいの土山」です。


南下するに連れて雲行きが怪しくなり、夕暮れも近いと言う事もあってか、辺りは薄暗くなって来ました。案内標識と道の駅オリジナルの立て看板ですが、立て看板はかなり年季が入った感じがします。

甲賀市(こうかし)土山町北土山にある国道1号線の道の駅で、東海道五十三次の土山宿の近隣にあり、1993年(平成5年)2月に開業しています。国土交通省が「道の駅」の登録制度を始めた際に最初に登録された18駅の一つとして、1993年(平成5年)4月2日に登録され、その際に登録番号が1番目であったことから「近畿で最初の道の駅」と称している道の駅となっています。(一部Wikipediaより抜粋) 立て看板の年季具合も納得ですね。


地元で採れる土山茶を無料で振る舞っているほか、1999年(平成5年)からは土山茶を使った抹茶ソフトクリームの盛り放題を販売するなど、茶どころをアピールする運営を行っています。開業時点での運営は土山町でしたが、2004年(平成16年)10月1日付の合併で甲賀市となり、現在は甲賀市が管理団体となっています。

道の駅の名称となっているのは、『かつての東海道五十三次の土山宿にちなむ鈴鹿馬子唄の歌詞「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」から名付けられた』など、諸説あるようです。(道の駅公式HP参照) 上の写真にその歌詞が書かれています。あい=愛ではないようですよ。

土山方面へは、以前、道の駅近くの青土ダムに行った事があり、拙ブログでも紹介していますので、下にリンク貼って置きます。

青土ダムへゴー! エッ!? - ワイのもじけたブログやで~

妻から突然「青土ダムへ行かへん!」との声がかかり、「エッ!?青土ダムってどこや…。」との会話から始まった今回のドライブですが、初夏の近江路を満喫して来ました。青土(...

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昨年4月3日に訪ねた滋賀県の道の駅は「道の駅 あいの土山」で終了です。天候が少し不安でしたが、なんとか雨もなく、無事この日10ヶ所の道の駅を訪ねる事ができました。残り10ヶ所の道の駅を訪ねるのはこの日からおよそ半年後の10月になりましたが、半年間じっとしている私たちではない事は皆さんよくご存知のはずで、どうしたかと言うと、滋賀県は一先ず置いといて、先に福井県の道の駅を制覇することにしました。近畿の道の駅全駅制覇達成が滋賀県で完遂となった理由がこれでお分かり頂けたと思います。(順番通りなら福井県のどこかの道の駅で完遂となるはずでした。) 滋賀県編第5回は福井県編終了後に再開しますので、それまでは福井県編でお楽しみ頂ければと思います。と言う事で、次回からは福井県編が始まります。引き続きご覧頂けますよう、よろしくお願いします。

滋賀県の道の駅、残り10ヶ所。
福井県の道の駅、全18ヶ所。


<訂正及び追補:’22.8.25.>本文記事内ではこの後、福井県編開始と記載していますが、私の記憶違いで、'21年7月に滋賀県の道の駅を訪ねていたのを忘れていました。その原因は、画像データが消えていたせいですが、消えていたと思っていた画像ファイルが見付かった事で、この後も滋賀県編が続く事になります。この事で、今後の記事に訂正する部分が生じる事になり、気付いた部分は打ち消しラインを入れ加筆しています。多少、見辛くなると思いますが、よろしくお願いいたします。元の文章を残しておいた方が良いのではと判断したからです。ご理解の程、お願い申し上げます。 

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