鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

街の灯りがとてもキレイね、ハッピーにニュー・グランド。結婚おめでとう…

2024-01-29 11:52:48 | 日記

この冬も暖冬傾向と言われていますが、時折やって来る真冬の寒さに震えながら、春の予感も感じる今日この頃。ふと振り返ってみると、この地で陶芸活動と陶芸教室を主宰して以来、早や20年近くの年月が経ってきています。その間、教室にかよって来てくれる若い女性会員さんが縁あって素敵な彼と出会い、「このたび、彼と結婚しま~す」との嬉しい報告を何度も経験しています。そしてこのたび、今から10年以上も教室で陶芸している会員さんから「先生とミツコさんもぜひ私たちの挙式に参列を…」とお誘いを受けて、結婚の儀に参じました。

結婚式の会場は、横浜港と山下公園を目の前に望む歴史と趣きあふれるホテル・ニューグランド。


このホテルはあまりに有名であらためて紹介することもないのではありますが、めでたい式のメモリーとして…

横浜港に面する正面入口を入って階段の上を望むと、エレベータの上方にしっとりとした設えのライトとアーチゲートの奥にシチズン製の時計が控えめに出迎えてくれます。


この正面入口の奥の通路をまっすぐ進み、白い壁と整えられた樹木に囲まれた中庭をひと巡り


祝宴の場となる2階へ歩を進めると、日本を代表する名門ホテルの歴史を紡ぎ続ける重厚な設えを前に思わず少なからず圧倒される感も…。






窓の外には、永らく横浜港に係留されている氷川丸の姿も。

この氷川丸はホテルの窓をとおして、幸せに包まれて新たなる生活を始める幸せいっぱいのカップルを数限りなく見守ってきているのでしょう。

披露宴の前に執り行われる結婚式は、ホテルの新館タワー最上階のチャペルで


窓の北側には横浜駅方面やみなとみらい21の新しい都市の街並みが望めます。


南側に目を転じると、私達熟年世代の横浜人にとって街の象徴であるマリンタワーが、手を延ばせばひと握り出来そうなくらい間近にそびえています。


チャペルの窓から北東を望むと、東京の下町に威容を誇るスカイツリーが…

あらためて、「あぁ、50年くらい前、あのタワーが影もカタチも無い当時、あの地の高校にかよって、あの学年一番の美女に何回もフラれたなぁ…」との甘酸っぱい思い出が甦ってきます。

チャペルでの新郎新婦の指輪交換の際、ヴァイオリンとキーボードによってワタシが大好きな「♪ オンブラ・マイ・フ」が奏でられていました。この曲は「木陰を支える、静かに愛する」という想いをこめたといわれてまさに結婚式にふさわしく、ワタシの好みにもジャストフィトして、ガラにもなく思わず涙が出そうになってしまいました。まだまだ修行が足りません…。

そして披露宴は楽しく、そして粛々と進行し、時に窓の外からの光を遮断して幻想的なライトに装われる演出の中、クライマックスへ


新郎新婦の感謝の言葉とともに

祝宴はお開きへ向いました。

今回の結婚式に際し、新郎新婦は12ページからなる「WEDDING RECEPTION」という小冊子を制作し、参列した方々の手元に添えてくれました。

その1ページには、まだ交際途上だった当時の新郎新婦が我が家に来てくれた時の思い出やお礼の言葉もいただき、嬉しいかぎり。新婦にとって「鎌倉の父と母」という言葉は、ウチの陶芸教室に来てくれている若い女性会員さんからもたびたび耳にします。我が家には子供はいませんが、「鎌倉の父と母」と呼んでくれる会員さん達は、ある意味において我が子同然。あらためてカタチこそ違え、子宝に恵まれた…との想いを強く感じたひと時でした。

たかが陶芸教室、されど陶芸教室…。これからも夫唱婦随ならぬ婦唱夫随?で教室とカフェの日々とともに子宝の繁栄、そしてあらたなる人生の扉を開きたいな、と思った横浜の午後でした。
















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新年早々から巻き起こった震災や式典に臨み、「大寒」の日に思うこと

2024-01-20 11:48:54 | 日記
本日1月20日は二十四節気の最終節で、一年のうちで最も寒さが厳しい時期といわれる「大寒」です。この「大寒」という文字を目にしただけで冬の厳しい寒さが伝わってきます。実際の寒さの底はもう少し先になり、おりしもこの冬は暖冬ぎみとのことですが、北陸地方の震災や政権与党の裏金問題や派閥の弊害等が重なって、まことに「先行きがお寒いかぎり」の感もあります。

そのような中にあっても、季節は確実に春へ向けて進んでいるようです。我が家のお隣りの趣きのあるお宅の梅の木が白い花を咲かせています。

毎年、この白い花が咲き始めると、少しフライング気味ながらも「もうすぐ、春がやって来る」と、妙にウキウキしてきます

そして、ウキウキといえば、新車当時から数えて18年目に突入した愛車メガーヌの超特大のリニューアルがこのほど終了し、安心安全なハンドリングと新車当時のしっとりとした乗り心地が蘇りました。ふりかえれば昨年の11月末の車検の際に不具合箇所をまとめて修理して安堵していたところ、車検直後に乗り心地を支えるショックアブソ-バーという部品が逝ってしまい、ガタガタ・ユルユルの怖い状況に。主治医のルノー厚木さん

によると「日本に部品の在庫が無い」とのことで、ワタシ自らEbayというサイトをとおして部品を調達してルノー厚木さんで修理完了となりました。ここまで、昨年11月末から年をまたいでほぼ2か月の長い道のりを経てのベストコンディション復活です。

あらためまして、車検時に交換したタイミングベルトやエンジンのガスケット(パッキン)その他

車検費用、税金、部品代、整備・修理費あわせて、通常の車検整備の数倍の驚くべき金額が年の瀬に吹き飛んで

車検後にルノー厚木のメカニックさんに「17万キロ走っているし、そろそろショックアブソーバー交換も考えなければ…」と話していた直後、その予感通りのトラブル。前後4輪のショックアブソーバーをすべて交換して…

こちらも車検と同じくらいの費用がかかり、

絶好調のコンディションを回復したメガーヌの乗り心地にルンルンしながらも、懐具合は「大寒」並みの大寒波模様となってしまいました、トホホ。

そこまでしても乗り続けたいメガーヌというクルマはホントに不思議なヤツです…。

そして先の日曜日は、東京、市川方面を首都高をメガーヌで駆け巡る、これ以上の好条件はない「ショックアブソーバー慣らし運転」の機会がやってきました。
主目的は、このブログでも何度か紹介している東京・新小岩にある日蓮宗 秋田県妙倉寺東京布教所の僧侶・山田恵大さんによる正月祭典、ならびに千葉県市川市の日蓮宗 中山法華経寺の大荒行堂に招かれて総勢50名にも及ぶ荒行中の若い僧侶さんが唱える猛々しい勤行の渦を浴びて身を清め引き締める時を授けてもらうことにあります。

この妙倉寺東京布教所のお正月祭礼と中山法華経寺に関しましては今から7年前に記載したこちらのブログ
華のお江戸の道の奥、冬空仰ぎて過去から春へと想いは巡る… - 鎌倉 佐助の風街便り

華のお江戸の道の奥、冬空仰ぎて過去から春へと想いは巡る… - 鎌倉 佐助の風街便り

前回1月8日のブログ冒頭にて、お正月三が日のお雑煮をはじめ、この七草粥、そして立春や雛祭りをはじめ、季節折々の節目の行事をきっちりとさばいてくれる御年90歳近い母に...

goo blog

 

をご覧いただければ幸いです。

あらためまして日蓮宗の僧侶にとって荒行を行なう場となっている中山法華経寺境内をめぐってみると

JR下総中山、京成電鉄京成中山駅方面から参道をとおって山門をくぐって正面には五重塔


その西側に位置する本堂には参詣する方々の姿が


大荒行堂で大勢の僧侶の勤行を浴びる前、私たちが控える場となっている鬼子母大尊神堂

この建物の中には、参詣の人々が荒行堂入堂の順番を待つための大広間がいくつもあります。

そしてこちらが大荒行堂


かのコロナが大流行した2020、21年の荒行修行は中止となりましたが、2022年秋にコロナの勢いがやや収束し始めたことを契機に3年ぶりに再開され、この秋も挙行されて現在に至っています。

帰宅後、中山法華経寺大荒行堂にまつわる解説とともに日蓮宗御詳歴を読み解きつつ、


今年の運勢は…と、九星気学での私の星である八白土星の欄に目をむけると

「今年は衰運」なのだとか。ちなみにウチの同居人さんも「衰運」です。これまでに「盛運」と示された年も、特段良いことがあったようにも思えないので、「大難は小難に、小難は無難に…」と念じながら、日々過ごしていきたいと思う今日この頃です…。





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100年の時と葉山の奥行きの深さを感じつつ、新春の一日に想う「永遠の戦後」

2024-01-09 09:14:03 | 日記
年明け早々、北陸地方での地震と羽田空港での飛行機事故が相次いで発生し、新春のお祝い気分に浸れぬままにお正月の日々は過ぎ、ふと気がつくと松が明けてました。松の内にも陶芸教室や友人知人が立ち寄ってくれて、それぞれのお正月を楽しく語り合う時間を過ごしましたが、その話の合間合間にはやはり地震と羽田の事故が話題に…。

蛇足ながら「大きな地震の後で駅伝はいいのかなぁ…」と少々戸惑いながらお客様とともに観戦していた100回目の箱根駅伝は大本命の母校が予想どおり? 2位に終わりました。されど不思議なことに悔しい気持ちが少しも沸いてきません。これもかの大きな地震と被災された方々のつらい日々が心と頭の多くの部分を占めているからなのでしょうか。ことほど左様に今年は年初から不安な気持ちに包まれてしまいましたが、これから先、少しでも希望が持てる日々が来るように念じて止みません。

そして一昨日、松が明けて例年どおりまずは松飾りを外し、玄関ドアの上にお祀りしている鶴岡八幡宮の「おはらひさん」を冬仕様に交換。

昨年7月から年明けまでの半年間にわたり玄関先で災難から守ってくれた水色の御幣の夏仕様から赤い御幣の冬仕様に替り、6月末までわが家を守ってくれることとなります。

さらに昨日の8日は近郊の葉山町にある森戸神社に向かい、松飾りをお焚き上げしてもらうために奉納へ。

おりしもこの日は成人式の祝日ということで、境内には成人式前に二十歳のお祝いとお礼の意味を込めて参詣に向かう新成人さん親子の姿が多数見られ、例年の松飾り奉納とは少々異なるとても華やいだ雰囲気に包まれていました。そして神社の西に広がる相模湾の向こうには、富士山がくっきりと。

いつもこの森戸神社に来るときは見事なまでの晴天で、富士山との相性もとても良い記憶があります。

森戸神社を後にして、続いて訪ねた先は神社から葉山御用邸方面に向かってクルマで5分ほどの地に位置する神奈川県立近代美術館 葉山。昨年秋から今月28日まで開催されている「移動するモダニズム 100年前の未来 1920 ~1930」を鑑賞してきました。ちなみにこの1920年は、箱根駅伝がはじめて開催された年でもあります…。


美術館の向かい側の北側の山あいには瀟洒な住宅が並び建っています。


ひるがえって南側に目を移すと、相模湾の向こうに遠く伊豆半島が望めます。

葉山という地は、気候の面や首都・東京との適度の距離感を保つまことに恵まれた土地であることが感じられます。このような地で生まれ育った人たちが本当に羨ましいかぎりです…。

その葉山の地で開催されている展覧会は今から約100年前にわが国の画家が遺した作品をメインに朝鮮や中国、ヨーロッパの画家の作品も併せて展観する企画展です。

日本において100年前の1920年代といえば、昭和の前の大正時代後期から昭和初期、第一次世界大戦直後でアメリカ合衆国は経済的に大繁栄を遂げ、その一方においてヨーロッパではファシズムが台頭し始めてきた頃でした。この後の約20年間、アメリカとヨーロッパ列強が覇権を競い合い、そしてアジアの東の果ての日本も時代の波に翻弄されて戦争の渦に巻き込まれ、その末に1945(昭和20)年に太平洋戦争で敗戦を迎えたなんとも悲しい時代となりました。

そのような時代背景の中、この1920年代に残された作品を展観する同展の中でワタシが「ぜひまた観たい」と願っていたのはこの作品 古賀春江「窓外の化粧」1930年。

古賀春江という名前と作品名から女流画家を連想しそうですが、福岡県生まれの男性画家です。ワタシがこの作品をはじめて目にしたのは今から8年前に市内の神奈川県立近代美術館 鎌倉 にて最後の展観として開催された「鎌倉からはじまった。神奈川県立近代美術館 鎌倉 の65年」という企画展の時でした。もとより具象絵画よりも現代美術を好んでいたこともあり、この作品の奇抜な構図とともに昭和初期の製作ということにたいして言葉を失うくらいの衝撃、ならびに感動したことを昨日のことのように記憶しています。この作品は古賀氏が東京に住んでいた当時から親交があった文豪・川端康成氏の手元に置かれ、川端氏が晩年を鎌倉で過ごしたことから鎌倉市に寄贈されたようです。

ウチの陶芸教室会員さん達にもこの企画展を紹介していましたが、面白いことに数名の若い会員さんがかねてより興味をもっていたようです。さらに興味深いことに皆さんが一様に古賀春江のこの作品に「惹かれていました」と申し合わせたように言っていたことがとても不思議な感があります。さしずめ「同好の士」年代の壁を越えて、と言っては褒め過ぎかな…。

この作品のほかにも同展のフライヤーとなっている和達知男「謎」

のコラージュの技法を馳駆した作品をはじめ、驚いたことにワタシが大好きなカンディンスキーの「コンポジション」

にも出会うことが出来ました。

そのほか、藤田嗣治や国吉康雄…あまたある画家の作品を前にて、しばし、北陸地方の震災に心さいなまれ続けていた状況からしばし解放された感があります。

その一方、今から100年ほど前の戦争に突き進みつつある時代背景もあってか、展観されている作品群には近い将来が戦火にまみえるのではという予感に満ちたような暗いテイストも漂っています。

ひるがえって同展で紹介されている作品が制作されてから約100年後の今、世界は「第三次世界大戦…」がまことしやかに語られる、なんとも陰鬱な雰囲気に満ちた時を迎えている感もあります。

思えば一昨年の年の瀬のテレビ朝日「徹子の部屋」にて出演したタモリさんが番組の中で「新たなる戦前」と発言し、その言葉の意味するところがさまざまな方面で注目されました。
今、私的ながら、ただただ「永遠の戦後」を願うばかりです。

それにつけても、100年という時間軸の長さを心より感じた葉山の一日でした。






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明けましておめでとうございます。そしてその後、大地が揺れて世相の行方は如何に…

2024-01-01 17:25:21 | 日記
あけましておめでとうございます
今年も当地はおだやかな朝陽とともに、新たなる年の幕開けとなりました。

そして、年明けの瞬間はやはりこちらの番組 吉田類さんの「年またぎ酒場放浪記」からのスタートです。


テレビ画面をとおして吉田類さんとリアルタイムで新春を祝う盃を交わしつつ、ふと気がつくと時は元日の朝8時。ウチの同居人さんが元日のお祝い膳の用意を始めていました。まずは昨年の暮れに文化放送「くにまる食堂」の番組を介してプレゼントしていただいた京都祇園の料亭「岩元」さん監修のおせち三段重とともに

同居人さんの手になるお雑煮をはじめ、さまざまな料理とともに新春お祝いの膳となります。

といえば聞こえは良いのですが、同居人さんによれば「もう、この歳になると手の込んだおせちは無理…」とか。まこと、仰せのとおり、何事も無理は無用です。

お祝いの膳を済ませた頃、ふと外に出てみると餐々と輝く陽射しがあたかも「街に出てごらん…」と誘っているかのようにキラキラ輝いていました。反射的に「初参りに行こう!」と声をかけ、今小路通りにある氏神様の八坂大神へ。

この神社はワタシが住まう佐助の氏神様で、京都の八坂神社と深いつながりがあり、さらにはウチの町内の名刹・銭洗弁財天とも縁があるようです。市内の初詣の名所である鶴岡八幡宮から徒歩10分弱のこの神社は、知る人ぞ知るという感もあり、お参りに来ている方々は一様に鳥居の前できちんと一礼し、本堂前で厳かに手を合わせています。

この八坂大神のすぐ北側には寿福寺。


そしてその北側には英勝寺。


その姿はさほど多くはありませんが、鎌倉駅西口方向から詣でる方々が静かに静かに散策する姿が印象に残ります。

八坂大神に詣でた時、同居人さんが「あのお寺に行きたい」と言っていた海蔵寺は、扇ヶ谷のさらに北西方向の道をたどった行き止まりに佇んでいます。


鎌倉有数の「花の寺」として知られ、本堂裏手の回遊式庭園は季節ごとに見事な花で賑わいます。初春の今、花は咲いていませんが、茶室を望む景観はこの寺ならではの赴きを見せてくれます。


境内の仏殿には薬師如来像とともに、十二神将像等が祀られています。撮影することは許されているようですが、あまりピシっと撮ることはいささか申し訳なくて、少々遠慮がちに記念の一枚…。


薬師如来像の傍らに控える十二神将像が、大好きな京都・東寺の立体曼荼羅像を思い出させてくれて、しばし見入ってしまいます…。

家に戻り、新春のお客様と祝いの膳をともにして幸せな気分になっていた直後、にわかに起こった日本海側での大きな地震と津波の連続。そういえば一週間ほど前、ウチでともに暮らしている金魚2匹が水槽の中でいきなり狂ったように回遊し、居合わせたお客様と「大きな地震が起きるかも…」と話していたことを思い出しました。かの地に住む友人知人達の不安な気持ちが伝わってきます。


ひるがえって、一昨年からウクライナで始まり、そして昨年秋にもイスラエルで勃発した戦争の禍根未だ解決の糸口見えず、国内でも宗教団体と政権与党の癒着や裏金疑惑をはじめ、なんとも、パンドラの箱が開いてしまった感があります。

陽光燦々を満喫し、その後の大地の揺れに翻弄される、なんとも心騒ぐ元日の午後。これまで70年近く生きてきていますが、これほどまでに揺れに揺れた元日は記憶にありません。干支の龍ははたしてどのような世相の空に向けて登っていくのでしょうか…






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