先行きの見えぬコロナ禍も相まってか、何もかもがカオスと化している感のある東京五輪もどうやら開催される方向のようです。テレビやラジオ、新聞等各メディアでも「ホントに開催して大丈夫? コロナの感染爆発が心配…」との声が日を追うごとに高まっているように思います。そしてウチの工房に足を運んでくれる友人知人やお客様の多くがやはり五輪開催を危惧しています。
されど、IOCやJOC、そして主宰者ではないはずの政府首脳は、誰もが納得できる説明も果たさぬままに先手先手で後手(誤手?)を踏みながら、なし崩し的に五輪開催へ「まっしぐら」な感じです。振り返れば、2013年の五輪招致セレモニーの際の滝川クリステルさんのかの「お・も・て・な・し…」というプレゼンも
今となっては「表は無くて、すべては裏から…」という結果になってきてしまったのかも…。招致当初に謳われていた「復興五輪」はいつの間にか「覆狡五輪」?、そして「アスリート・ファースト」は「マーケット・ファースト」?と化してしまったのでしょうか。
閑話休題。
コロナと五輪の行方で少々鬱々とする中、ワタシにとっては「目下の唯一の楽しい関心事」であり、同時に「東京五輪へ向けてビッグイベント開催の指標の一つ」とも目されていたサッカー・ユーロ2020が6月11日に開幕。以来、連夜のようにヨーロッパ各地で繰り広げられる熱戦に釘付けとなるうちに、21日にはあっという間に夏至を迎えました。「夏に至る」との字の如く、この日とともに本格的な夏の到来とも認識されているようです。
私事で少々恐縮なのですが今から遠い昔のこの夏至の頃にワタシと同居人さんは入籍したという記憶があり、指折り数えてみると「銀婚式」の年を迎えたようです、たぶん…。俗に、日々ともに暮らす夫婦とは「空気のような存在」ともいわれます。たしかにそのような気もしますが、ワタシの場合、時として同居人さんは息苦しい存在でもあります。そしてたぶん同居人さんもおなじような思いをいだくこと多かれとも思いますので、我が家の二人は「空気のような」認識ではなく、「二酸化炭素のような存在…⁉」という側面もあるような感じです…。
いちおうは記念の日ということで同居人に「本日は西洋的にいうとsilver wedding anniversary と言うらしい。ウチの場合はやっぱり銀婚というほうが似合うけど…」と伝えてみたものの、あらかじめ予想していたとおり「なに、それ…?」という答えが返ってきました。このやり取りを聞いていたウチの黒猫ノワールも「やっぱり…」と長嘆息…。
しかしながら、結婚当初から暮らしていたオス猫オルカから始まってメスの黒猫チー坊、そして現在一緒に住んでいるノワールがいたからこそのsilver への道。あらためて、ネコとは偉なもの!? 味なもの…。
そして、日にちにまつわる縁とはまさに異なもので、ウチの二人が入籍した夏至の頃の日付けは、ワタシが若い頃にとてもお世話になった親戚の叔母さん命日でもあります。叔母さんは90歳を過ぎて亡くなって以来15年ほど経ちますが、これまたいろいろな縁あって現在は我が家からほど近い市内の禅宗の名刹・建長寺に眠っています。梅雨の晴れ間の一日、叔母さんのお墓参りへ。
鎌倉街道に面した総門をくぐるとほどなく、堂々とした三門が迎えてくれます。
三門とは、三解脱門の略称のようで、空、無相、無作(むさ)を表し、この門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることになるのだとか。ただし、ワタシは元々物事への執着が少々足りない傾向があるように感じています。それゆえ、この門をくぐって「今以上に物事をスルーする状況になってはよろしくない」との思いもあり、三門の右側から境内奥へ進むことにしました。三門の向こう、境内西側には、かつて桑田佳祐さんも在学していた鎌倉学園が隣接しています。静かな境内に時折、鎌倉学園の学生さんの大きな話し声が響いていますが、その声も周囲の杜にあっという間に吸い込まれていきます。
三門を経て程なく右側に構えるこの門の先、
長い坂道と墓地群をいくつもかけ上がったところに叔母さんのお墓があります。お墓への途中、建長寺の若い雲水さんの修行の場である本派専門道場があります。
道場からお墓へ向かう途中、たどってきた登り道をふり返ると境内と鎌倉学園校舎の向こうに北鎌倉の杜が広がります。
叔母さんのお墓参りを済ませ、ひさしぶりに建長寺をめぐることに…。総門、三門に続いて堂々たる仏殿が控えています。
現在の建物は創建当初以より4代目のものといわれているそうです。
この仏殿には、建長寺の本尊である地蔵菩薩が安置されています。
仏殿では同寺の毎月1日、15日の祝聖(しゅくしん)をはじめ、開山例月忌、開山忌などの法要が行なわれます。
仏殿のすぐ奥には、かつては修行道場として使われ、現在は法要、講演、展覧会の場として使用されている法堂(はっとう)が控えています。
堂内の天井には鎌倉を拠点として創作活動をしていた故 小泉淳作画伯が、建長寺創建750年を記念して製作した雲龍図が奉納されています。
小泉淳作氏が2012年に亡くなった際、葬儀はこの法堂で営まれました。厳冬の午後、氏が遺した龍雲図の下に響く厳かな読経の響きが昨日のことのように思い出されます…。
境内の最も奥、左側には10年ほど前に綺麗に解体修理された唐門、そして右側には大規模な講演会等の場ともなっている本派宗務本院が静かな趣で佇んでいます。
建長寺は、出口の見えないコロナ禍、そして何もかもがカオスと化した感のある東京五輪のドタバタとはまったく無縁の、静かで荘厳な雰囲気に包まれていました。今のこのご時世を、神様はどのように見ているのだろうか…と思いつつ、帰路にちょこっとお店でひとり「お清め」していたワタシがいました。
されど、IOCやJOC、そして主宰者ではないはずの政府首脳は、誰もが納得できる説明も果たさぬままに先手先手で後手(誤手?)を踏みながら、なし崩し的に五輪開催へ「まっしぐら」な感じです。振り返れば、2013年の五輪招致セレモニーの際の滝川クリステルさんのかの「お・も・て・な・し…」というプレゼンも
今となっては「表は無くて、すべては裏から…」という結果になってきてしまったのかも…。招致当初に謳われていた「復興五輪」はいつの間にか「覆狡五輪」?、そして「アスリート・ファースト」は「マーケット・ファースト」?と化してしまったのでしょうか。
閑話休題。
コロナと五輪の行方で少々鬱々とする中、ワタシにとっては「目下の唯一の楽しい関心事」であり、同時に「東京五輪へ向けてビッグイベント開催の指標の一つ」とも目されていたサッカー・ユーロ2020が6月11日に開幕。以来、連夜のようにヨーロッパ各地で繰り広げられる熱戦に釘付けとなるうちに、21日にはあっという間に夏至を迎えました。「夏に至る」との字の如く、この日とともに本格的な夏の到来とも認識されているようです。
私事で少々恐縮なのですが今から遠い昔のこの夏至の頃にワタシと同居人さんは入籍したという記憶があり、指折り数えてみると「銀婚式」の年を迎えたようです、たぶん…。俗に、日々ともに暮らす夫婦とは「空気のような存在」ともいわれます。たしかにそのような気もしますが、ワタシの場合、時として同居人さんは息苦しい存在でもあります。そしてたぶん同居人さんもおなじような思いをいだくこと多かれとも思いますので、我が家の二人は「空気のような」認識ではなく、「二酸化炭素のような存在…⁉」という側面もあるような感じです…。
いちおうは記念の日ということで同居人に「本日は西洋的にいうとsilver wedding anniversary と言うらしい。ウチの場合はやっぱり銀婚というほうが似合うけど…」と伝えてみたものの、あらかじめ予想していたとおり「なに、それ…?」という答えが返ってきました。このやり取りを聞いていたウチの黒猫ノワールも「やっぱり…」と長嘆息…。
しかしながら、結婚当初から暮らしていたオス猫オルカから始まってメスの黒猫チー坊、そして現在一緒に住んでいるノワールがいたからこそのsilver への道。あらためて、ネコとは偉なもの!? 味なもの…。
そして、日にちにまつわる縁とはまさに異なもので、ウチの二人が入籍した夏至の頃の日付けは、ワタシが若い頃にとてもお世話になった親戚の叔母さん命日でもあります。叔母さんは90歳を過ぎて亡くなって以来15年ほど経ちますが、これまたいろいろな縁あって現在は我が家からほど近い市内の禅宗の名刹・建長寺に眠っています。梅雨の晴れ間の一日、叔母さんのお墓参りへ。
鎌倉街道に面した総門をくぐるとほどなく、堂々とした三門が迎えてくれます。
三門とは、三解脱門の略称のようで、空、無相、無作(むさ)を表し、この門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることになるのだとか。ただし、ワタシは元々物事への執着が少々足りない傾向があるように感じています。それゆえ、この門をくぐって「今以上に物事をスルーする状況になってはよろしくない」との思いもあり、三門の右側から境内奥へ進むことにしました。三門の向こう、境内西側には、かつて桑田佳祐さんも在学していた鎌倉学園が隣接しています。静かな境内に時折、鎌倉学園の学生さんの大きな話し声が響いていますが、その声も周囲の杜にあっという間に吸い込まれていきます。
三門を経て程なく右側に構えるこの門の先、
長い坂道と墓地群をいくつもかけ上がったところに叔母さんのお墓があります。お墓への途中、建長寺の若い雲水さんの修行の場である本派専門道場があります。
道場からお墓へ向かう途中、たどってきた登り道をふり返ると境内と鎌倉学園校舎の向こうに北鎌倉の杜が広がります。
叔母さんのお墓参りを済ませ、ひさしぶりに建長寺をめぐることに…。総門、三門に続いて堂々たる仏殿が控えています。
現在の建物は創建当初以より4代目のものといわれているそうです。
この仏殿には、建長寺の本尊である地蔵菩薩が安置されています。
仏殿では同寺の毎月1日、15日の祝聖(しゅくしん)をはじめ、開山例月忌、開山忌などの法要が行なわれます。
仏殿のすぐ奥には、かつては修行道場として使われ、現在は法要、講演、展覧会の場として使用されている法堂(はっとう)が控えています。
堂内の天井には鎌倉を拠点として創作活動をしていた故 小泉淳作画伯が、建長寺創建750年を記念して製作した雲龍図が奉納されています。
小泉淳作氏が2012年に亡くなった際、葬儀はこの法堂で営まれました。厳冬の午後、氏が遺した龍雲図の下に響く厳かな読経の響きが昨日のことのように思い出されます…。
境内の最も奥、左側には10年ほど前に綺麗に解体修理された唐門、そして右側には大規模な講演会等の場ともなっている本派宗務本院が静かな趣で佇んでいます。
建長寺は、出口の見えないコロナ禍、そして何もかもがカオスと化した感のある東京五輪のドタバタとはまったく無縁の、静かで荘厳な雰囲気に包まれていました。今のこのご時世を、神様はどのように見ているのだろうか…と思いつつ、帰路にちょこっとお店でひとり「お清め」していたワタシがいました。