それは2年ほど前のちょうど今ごろ、縁あって友人が入会していた 北鎌倉史跡研究会に加入することになりました。同会は北鎌倉周辺はもとより鎌倉地域に残る史跡や旧跡、名勝地等を辿りつつ、その素晴らしさを多くの方々に伝えていこう…、という感じのとても伸び伸びユルユルの自由闊達な気風の下、さまざまな探訪ツアーを開催してきています。。その後、北鎌倉駅横に残る「緑の洞門」が市によって開削される計画が発表されるにおよび 、北鎌倉緑の洞門を守る会 も立ち上げて、この洞門の補強・保存へ向けての運動も行ないつつ、現在に至っています。
北鎌倉史跡研究会、ならびに緑の洞門を守る会事務局の構成員の一人として、ワタシも少しばかり活動させてもらっていますが、この事務局員は、共同代表の元大学教授とカリスマ塾講師をはじめ、医師、IT探求者、伝統的農法実践者、酔っ払いさん、その他、多くの個性豊かな方々によって構成されています。
そしてこのたび、事務局員の一人でもあるカメラマン・関戸勇さんが東京・築地にて、東京・青山に営業していた喫茶の名店をテーマにした「よみがえる大坊珈琲店」という写真展を開催しています。ワタシ自身も子どもの頃からカメラ好き、写真好きということもあり、築地や銀座界隈の探訪も併せつつ 今は亡き名店・大坊珈琲店の香りに浸ってきました。
1946(昭和21)年・福岡県北九州市生まれの関戸さんは日大芸術学部写真学科を経て、岩波映画社制作所写真部にて永らく勤務した後、現在はフリーのカメラマンとして活動しています。今回の写真展は、氏が岩波時代から営々と撮り続けていた大坊珈琲店のさりげないひと時を捉えた作品の数々が展示されています。
その中には、1960年代にかのファッションブランド「VAN」を立ち上げた石津謙介氏が店内でくつろぐシーンも残されています。
今回の写真展は好評につき、当初1月28日までだった会期は2月11日(土)まで延長となりました。銀座方面にお出かけの際にはぜひともコミュニケーションギャラリーふげん社(東京都中央区築地1-8-4)にて開催されている関戸さんの写真展に足をお運びくださいませ。いにしえの昭和から始まり、変わり続ける平成の世を東京・青山表参道の地から見守り続けてきた珈琲店の残照が偲ばれます…。
東京・青山通りの名店の余韻に浸りながら、ふげん社を後に街に舞い降りると、そこは紛れもなく真冬の夕暮れ迫る銀座界隈。ライトアップされた歌舞伎座の奥にそびえるタワーに「ちぇっ、ちょっと無粋かも…」とつぶやきながらも、「記念に一枚」と夜景を「パチリ!」
このかつて木挽町と呼ばれた界隈には、まだまだ「昭和モード」のお店や飲み屋さん街がかろうじて残っています。
今にも、こよなく愛するテレビ番組「酒場放浪記」の吉田類さんが、ひょこっと現れてきそうな予感満載です。
そして、吉田類さん的に申せば「今宵のワタシ、それではもう一軒立ち寄る先が…」ということで、しばし時間調整の時を…。
かつて中古カメラを探し回ったカメラ屋さん、そして鉄道模型を眺め続けた 銀座天賞堂さんに足を伸ばし
昔同様、お店の人と、あれやこれやとたわいもない同好談義に明け暮れてしまいます。
銀座といえば、こちらにも。新装なった店内には、パールホワイトのGT-R NISMOがまばゆい輝きを放っています。
かつてはスカイラインGT-Rと冠された名車も、幾多の変遷を経て今ではニッサンGT-Rと呼称が変わってしまいました。こんなところにも、変わりゆく時代の波がうかがい知れます。
そしてこの日の「もう一軒」。昨年秋に入部した駒澤不動産紫門会野球部決起式に馳せ参じた次第です。駒澤不動産紫門会の詳細に関してはこちらのブログから。
野球部決起式にあたってはこのお二人、深澤総監督と面高監督が進行を取り持ってくれました。
この春から、早慶はじめ各大学不動産会野球部⒑数チームとのし烈な総当たり戦がスタートします。
大盛り上がりの決起式の締めは「駒大健児」の契りをあらためて固めるべく、渾身の「三本締め!」。ワタシも高校野球部時代の思い出多き背番号7をいただいたこともあり、プレイ以外で「おおいに貢献しなければ!」と、決意を新たにした次第です。
深澤総監督の奥様が館長をつとめる銀座FANCLスクエア内にある、有機野菜、無添加食材を中心にしたオーガニックレストラン「ぎんざ泥武士」での野球部決起式の後、参集した部員一同の記念写真の図、なり…。
記念写真を撮っている男性・村井さんが、昨秋、ワタシを紫門会野球部に導いてくれたのでした。
銀座から鎌倉へ戻る横須賀線の車中、大学同窓の方々や北鎌倉の写真家・関戸さんとのかかわりを反芻しつつ、ワタシの大学時代にオンエアされたTBSのテレビドラマ「青が散る」の主題歌、松田聖子さんが歌う「蒼いフォトグラフ」の中に納められた「♪写真はセピア色に褪せる日が来ても 輝いた季節 忘れないでね 蒼いフォトグラフ」というフレーズがいつまでも耳の中を駆け巡っていました。
ピュアに輝いていた? 昭和の時代に想いを馳せて あらためて今思う我あり…