鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

曙匂う桜花、大路の空に彩り添えて。いつの時こそ、伝説のしだれ桜を愛でる日を待つ‥。

2013-03-25 21:27:37 | 日記
先月2月の半ばころから土、日曜の陶芸教室に際しては、横須賀線や江の電でお越しの会員さん方から「鎌倉駅は人でいっぱいです」という声をポツポツと聴くようになってきました。長く、そして寒~い冬を経て春の息吹を感じるとともに、人は何処かへ出かけたくなるのですね。私も春の陽気に誘われて、半径50メートルだったハズのプチ街歩きが半径100メートルくらいの大遠征となることもしばしば。ほんの10分足らずのプチ街歩きの間にも、すれ違う鎌倉散策の方々の足取りがグーンと軽くなってきたことがはっきりと感じられます。思わず笑顔で「春っていいなぁ」と独り言‥。

以来、春のお彼岸を経て、おととい、昨日の土、日曜日。陶芸教室会員さん達が発する「鎌倉駅は人でいっぱいです」というセンテンスは、これまでと少々ニュアンスを変えて「鎌倉駅は東口へ向かう人ですごいことになってます!」と、この春 最高潮の喧騒のさまを伝えてくれます。

電車を降りて駅東口改札に向かう人たちのお目当ては、若宮大路の段葛や鶴岡八幡宮を彩る満開の桜花にほかなりません。この地に移り住んで来てから今回が三度目の桜となりますが、この街の桜のメッカは「やはり段葛」とか。


この段葛の桜に関しては、ちょっと気になるお話しもチラッと耳にしました。いわく、「桜の枝の先っぽのほうにつぼみがついていないようで」とか‥。その言葉が気になって、クルマで段葛の横をとおった時に桜の枝ぶりをちらっと観察してみましたが、たしかにつぼみのつき具合が悪いように想える桜の木も。

うーん、なんとなく思いあたるフシも‥。

今から約30年ほど前、土曜朝のフジテレビでは関西放送が制作する「ハイ!土曜日です」というトーク番組を放映していました。今は亡き関西の名落語家・桂米朝師匠がメイン司会を務めていたこともあって、ほぼ欠かさず観ていた思い出深い番組です。この番組では毎年、桜の季節になると当代一の桜守との誉れ高い佐野藤右衛門さんが登場し、米朝師匠とともに京都や奈良・吉野の桜にまつわる軽妙にして時にちょっと艶っぽいトークを交わしてくれました。

うろ覚えながら当時、桜をわが子のように可愛がる藤右衛門氏は米朝師匠との桜談議の中において、「街中の桜は四六時中、根っこを踏まれ続けてけっこう可哀そうなんですわ‥」「桜ってヤツは、花見の時期に酒盛りしながらどんちゃん騒ぎされるのを、ホンマはたぶん快く思ってないと違いまっか‥」と、桜に対する愛情のタケを存分に語ってくれていたような記憶があります。

その言葉とともに若宮大路の段葛の現状をみまするに、たしかに一年を通じて根っこ近くを踏まれ続け、さらには大路を絶え間なく行き交うクルマの騒音にもさらされ続けています。

あらためて、いつまでも咲き誇れよと段葛花。

ひるがえって昨日あたりの陶芸教室では、会員さん達の間で「今、鎌倉ではどのあたりの桜が一番の見頃?」などという会話が飛び交っていました。若かりし頃から女友達の「アッシー君」たる経歴を持つわが身としては、「されば、ご案内いたしましょう」ということにて、会員さんの帰り道にシンクロさせて、市内は梶原、S字坂を経て北鎌倉駅までグルッと桜をご案内することも。

S字坂の途中から向かい側の山並みを望めば、ソメイヨシノやオオシマサクラがキラキラと。私の愛車メガーヌの車内では、陶芸を経て桜詣での会員さんたちが「うわぁ、綺麗‥」と固唾をのみ込んでいたり。

私としては、まこと「アッシー」の面目躍如と一人ひそかに悦に入ったりも。

北鎌倉の森の中にひっそりと咲き誇る桜は、まさに「心技体」を兼ねそろえた如く、枝の先の先まで躍動感あふれる桜花をまとっていました。


静寂に包まれた北鎌倉の凛とし、そして雄々しき桜花を観るにつけ、「若宮の桜よ、元気たれ‥」と願わずにはいられない気分になったりもした今日この頃‥。

桜といえば、ウチの近くには「鎌倉で一番美しい桜」との評判を取り付ける しだれ桜の木があるとも。そのしだれ桜は、この堂々として凛たる風情を醸し出すこの邸宅の一角に佇んでいるとか。


いつの日か、かしこ問いたい しだれの桜。かくあれば、四季のへだて無く愛でたくとぞ願。 おそまつ‥。

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桜吹雪が降る前に初夏の陽ざしに包まれて、気分はすっかり虹色モード

2013-03-20 18:33:25 | 日記
本日3月20日はお彼岸の中日。古くから「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、こと今年に限ってはちょっと言葉を言い換えて「暑さ覚めるも弥生から」などと言いたくなるくらい、弥生三月の声を聞くとともに俄然、初夏を思わせる気候の日々が続いています。数日前には過去最速とも思える時期での桜の開花、そして昨日などは当地でも気温25度を越えて鎌倉散策の方々も半そでシャツ姿がぞろぞろと。

つくづく、いい季節になってきました。そしてこのお彼岸の頃だけ、工房の中にはこのような光が差し込んできます。

たぶん、工房に差し込む太陽光が窓ガラスに屈折して虹色の光となって白い壁に映し出されるのだと思いますが、毎年この時期にこの現象を見るたびに「春」を感じます。

ひるがえってみるに寒さは自身の陶芸作業においても、一番の敵。真冬の頃、氷のように冷たい粘土を捏ねるのはホントにツラい。あの苦行からようやく開放されます。作陶においてろくろ作業だけでなく、屋外でのうわぐすりかけ工程においても、暖かくなるこれからはその作業がグーンと楽になります。

一昨日は春の暖かさに包まれた中での、うわぐすりかけ。まずはWBC準決勝でのジャパンの勝利を確かめてから「いざ、開始!」と思ったのですが、グスン・・。

「8回のダブルスチールは無いよなぁ・・」などとひとりブツブツ言いながら。

いざ 気を取り直して、私ひとりで「孤高の!?」うわぐすりかけ。陶芸芸教室の会員さんたちが手がけた作品にうわぐすりをかけていきます。

会員さんたちが選んだ各色のうわぐすりを丹念に溶いて、作品一点一点がどの会員さんの作かをきっちりと確認しつつ・・。手順、そして、かけるうわぐすりの濃度等をジグソーパズルのようにコツコツとアタマの中に組みあげた後、屋外での一発勝負の作業となります。

うわぐすりかけの途中経過。工房のテーブルはこのような状況に。

うわぐすりのかけ方等を記載したノートを見ながら、そして、作品の表面を丁寧にレタッチしたりとの細かい作業が延々と。ゆえにテーブルの上は収拾がつかない様相を呈します。

計50点ほどの作品にうわぐすりをかけ、さらに釜詰めが終了するまで約2日。暖かな日差しに包まれて、桜花に先がけてウチの工房の「陶(すえ)の春」は満開気分です。

春は、人をして戸外へ誘うのか‥。

かねてより、ウチの陶芸教室にかよってきているチビッ子陶芸家さんたちのお母さんたちから「センセイのお宅の裏にある斜面の木、切りましょう!」と声をかけていただいていました。そして過日、ついについに春の日差しに誘われて、お母さんたちと「庭仕事」の一日を。

家の東側にそびえる斜度にして約60度の急斜面は登るだけでも一苦労。


崖に生い茂る竹、竹、竹と格闘すること1時間。切った竹を表に運んで小枝をパチパチと刈り落とすこと延々と。
 
途中、昼食をはさみながら、子育ての悩みや教育談義、そして来るべき春休みの楽しいプランをあれやこれやと。何だか私も「気分はすっかりお母さん」‥。

本日・春分の日の陶芸教室終了後、玄関先に干してあったワカメを見つけて思わず「うわぁ、春の景色‥」とつぶやく会員さん。春風にひらひらとたなびくワカメをお土産に差し上げたことは言うまでもありません。


ご近所の方々からもれ伝わってくるところでは、当地の桜は明後日あたりが見頃だとか。ちなみに昨年の秋以来ずっと心待ちしていた「センバツ高校野球」も明後日から甲子園にて開幕します。

よく言われるように「春はセンバツ」から、そして今年はさらに時を同じくして「春は満開の桜から」。長い間、「センバツ」の春を心待ちしていましたが、その開幕が満開の桜と重なることはついぞ記憶がありません。

みんなにとって、なにかいいことあるかな‥。


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親愛なるアズマに向けて。再会の日は「キャッチボールから始めよう!」

2013-03-13 11:54:16 | 日記
「あの日」から2年‥。先の週末の3月9日、10日はテレビをはじめラジオ、新聞その他メディアでは多くの時間を使って「震災」に関する特番、特集を流していました。工房にて、震災から2年を経た今の東北の状況を伝えるテレビ番組の数々を聴きながら作陶していると、この2日間に何度か福島県南相馬市小高地区の様子を伝える映像が放映され、そのたびに陶芸の手を休めて画面に見入ってしまうことが幾度も。

画面では、あの日を境にそれまで住んでいた人たちが一斉にほぼ強制的に避難させられ、現在でもほとんど人影がなくなっている小高の街の映像が。思わず、「小高か‥。アズマたちの一家が暮らしていた街、だよなぁ」‥。続けて「新たなる地での暮らしが落ち着いたら、必ずこっちに会いにきてくれよな」とつぶやいていました。

そして、反射的に家のリビングの本棚の一角にまとめてある賀状の束をひもとき、あらためてこの一枚を手にとって。

かの震災後、東北方面に住む友人知人たちの消息を追っていた中で、アズマとは最後の最後まで連絡がつきませんでした。昨年1月にふとしたことからアズマの消息を知り、今年の賀状を出そうか出すまいか悩んだ挙句、思い切って賀状を出した後に私の所に届いたアズマ一家からの嬉しい便りです。

アズマとはじめて会ったのは今から約20年ほど前、私が30代後半、そしてアズマは20代半ばの頃でした。当時、私は東京・葛飾にて高校の野球部の先輩後輩仲間とともに構成していたブラボーズという野球チームのメンバーとして、日曜日になると荒川河川敷のグラウンドを走り回っていました。なんともかんとも、今となっては信じられないくらい元気でした‥。

そんなある時、ある人を介して「東北の会社から東京へ単身赴任中の元甲子園ボーイの若者がいる。野球の仲間に加えてやってくれないか‥」という経緯にて、アズマはブラボーズにやってきました。

甲子園常連校仕込みの俊足巧打、そしてビシッと鍛え抜かれた礼儀作法を身につけていたアズマは、私達ブラボーズの頼りないメンバーに対しても「先輩、先輩」ととても真摯に付き合ってくれました。ちょうどこの時期にチームが葛飾区軟式野球連盟傘下の約150チームの頂点に立つことができましたが、それもアズマの存在があったればこそ。今ふりかえっても、アズマとともにブラボーズで野球をしたあの頃は本当に思い出深い数年間でした。

さらにアズマとはもっと以前にも少なからず縁がありました。アズマとはじめて会った時、彼が甲子園大会に出場したのは昭和62年であることを知りました。はて、東北のあの強豪校の出身‥、昭和62年の甲子園‥!?。思わず私は「ひょとして、2回戦でノーヒットノーラン喰らって負けた?」とポツリ。すぐさま、アズマも「えっ、判っちゃいました? そうなんです、今でも悔しくて悔しくて・・」と心の底から無念の表情。

すかさず「オレさぁ、その頃『週刊ベースボール』の編集部に勤めててね。その試合、よく覚えてるよ。試合後の原稿も書いたしね」と話を向けるやいなや、「お恥ずかしい‥」とアタマをポリポリやるアズマ。そんなこともあり、アズマに対してより一層シンパシーを感じるのでした。

今から約四半世紀前の昭和62年、アズマが出場した「第69回 全国高校野球選手権大会」の全容を伝える『週刊ベースボール 増刊 9月5日号』

あの時、焼けるような夏空の下でアズマは東北の強豪校のメンバーとして高校球児の聖地・甲子園球場で懸命にプレーし、そして私は毎晩徹夜しながらこの「増刊号」のページをシコシコと編集していました。

ふりかえると、この大会に出場した高校生たちの中から多くのプロ野球選手が誕生しました。横浜からメジャーリーグを経て現在は楽天に所属する斉藤隆投手はアズマの高校時代のチームメイト。そして今年のWBC日本代表チームでコーチを務める元中日の名内野手・立浪和義氏は、この大会で優勝したPL学園の主将でした。また、千葉ロッテを皮切りにメジャーリーグ、そして阪神で活躍の後に昨年7月に自ら命を絶った 故・伊良部秀樹氏も、この第69回大会・尽誠学園のエースとして数々の「豪球伝説」を打ち立てました。


アズマは数年間ほど、東京での単身赴任生活とわがブラボーズでの野球を経て故郷・東北勤務に戻っていきました。このボールは今から約20年近く前に私が結婚、ならびに挙式した折にブラボーズの先輩後輩から贈られた、とても思い出多き記念の一球。もちろん、アズマも記銘してくれています。

かの震災以来、このボールを握りしめながら、何度、アズマのことを思ったことか‥。

そして、今。

かの震災以来、友人知人とともに「いかにして支援していこうか」と話し合う中で、「いくばくかの時を経て、多くの問題点が明らかになった時に我々の『支援元年』をスタート」ということで意見が一致していました。そして今、「2年が経ったこの時こそ、我々の『支援元年』のスタート」と一同、思いをひとつにしています。「あくまでも無理せず急がず、身の丈に合ったやり方で。されど、限りなく営々と‥」との思いを胸に・・。

今年初めにアズマから送られてきた賀状を再度読み返し、「新しい地での生活」への決意とともに「今度、アトリエにおうかがいします」という一節にあらためて少なからず心躍る自分がいます。本当に久しぶりにアズマに会える‥。

アズマの一家がウチへ来てくれた時、もし許されるならば震災の時の様子、そしてそれからの2年間の生活や思いのたけをじっくりと聞かせてもらいたい、と。そしてその言葉ひとつひとつを私と友人知人達の「支援元年」スタートの参考にさせてくれたらと思っています。

アズマの一家がわが家にやってきたら、まずははじめにアズマとキャッチボールを、と自分勝手に思ったりして。

ついては、草野球選手としてはとうの昔に「現役引退」しているわが身としては、もはや野球グラブさえ処分してしまっていました。まずは桜が咲く前に、そしてアズマがわが家にやって来る前に、野球グラブを買いに行こう‥!
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暖かな陽気に誘われて「ドコモダケ」もやって来て。間もなくいよいよ春本番。

2013-03-07 22:09:58 | 日記
去る3月5日は、二十四節気のひとつで「土の中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じて地上に這い出してくる」という「啓蟄」でした。インターネットで「啓蟄」について検索してみると、「一雨降るごとに気温が上がっていき‥」「ふきのとうの花が咲く頃」伝々、「弥生三月」の響きとともに春本番を感じさせてくれます。

たとえば、日本文化いろは事典によれば 「具体的には、日本人が『さぁ、働くぞ』と意気込み始める日のこと」だそうです。うーん、5日の「啓蟄」をふり返ってみても「さぁ、働くぞ!」と意気込んだ記憶はついぞありません。やっぱり、今年も怠け者‥!?

そして昨6日のお昼どき。

ウチの同居人さんとラーメンで軽い昼食を決め込んでいた時のこと。クロネコ・チー坊がラーメンに添えた菜の花に触発されたのか、テーブルの上でジーっと緑色の葉っぱを物欲しそうに見つめています。

普段、テーブルの上に登ってくることはありません。されど、この時ばかりは、「床の上で毛づくろいしていたネコが春の到来を感じて卓上に這い出してくる」の態。これも「啓蟄」なればこそ‥?

昨6日午後、工房ではチビッ子陶芸教室が開講されて近所のチビッ子陶芸家さんたちがいつものように学校からランドセルを肩からしょったまま、「ただいまぁー」という言葉とともに直接ウチの工房にやって来ました。昨日はチビッ子陶芸教室始まって以来初となる「野外授業」! です。

この日は、うわぐすりを掛ける作業を初体験。
 
まずは、プラ容器に入っているうわぐすりと水をゆっくりと混ぜていきます。そして裏庭にて、絵画のエアブラシ技法の要領で素焼きを終えた作品にうわぐすりを吹き付けてゆきます。

いつも工房の中で粘土細工しているチビッ子達は暖かい陽気の中での屋外作業にご満悦。うわぐすり掛けの合間にもうっかりと目を離している隙に「春の到来を感じて地面をはい回りそうな」雰囲気がありありと。これも「啓蟄」なればこそ‥?

素焼き、ならびに陶芸用絵の具で色付けした作品は、うわぐすりを掛けて真白い姿となりました。
 
この後、約24時間かけて1245℃まで焼成して作品が完成となります。

チビッ子陶芸教室終了後、わが家のリビングにて恒例の「宿題、おやつ&プレイタイム」となりまして

ひとしきり大騒ぎした後はすっかりしっかり、「まったりモード」。

付き添いのお母さんたちと歓談していると、あらら、ご近所に住む「将来の売れっ子4コマ漫画家」わだちゃんが「和服着てみました。来ちゃいました。春です、春です、ウキウキします」と言いながら語らいの輪の中に馴染みきっています。これも「啓蟄」なればこそ‥?

ウチの同居人さんにとって、わだちゃんはかつての仕事場のカワイイ後輩の一人。そのようなよしみもあって、私も「おい、わだ!」とか言っておおいに遊んでもらっています。ありがとう、わだちゃん。それにしても「ドコモダケ」を連想させるわだちゃんのヘアスタイル、とっても良く似合っています。

さてさて、「春」と言えば‥。

先日、同居人さんの仕事に帯同して千葉県は南房総方面を訪れました。「啓蟄」を目前に控えた一日でしたが、南房総地方の暖かいことといったら‥。
 
あたり一面、「菜の花」「菜の花」‥。「品川」「練馬」「足立」「相模」「横浜」その他、近隣各都県のナンバーを付けたクルマのドライバ―さんが運転席から降りてきてデジカメで菜の花をパチリと撮る姿を何度見たことか。かく言う私もその一人。

神奈川県横須賀・久里浜港から千葉県浜金谷へ向かうフェリーのキャビンにて。

私が「船っていいね。ウチもあと数年で銀婚式ですよ。ちょっと早いけど、この40分間のプチ船旅を豪華客船 飛鳥 での銀婚アニバーサリー・クルーズと思ってくださいな」と言ったところ、「ガクッ」と見事にアタマから崩れ落ちる同居人‥。

春はまぎれもなく、すぐそこまで。されど「花に嵐のたとえもあるぞ。言葉にだけは気をつけよう」‥。


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やっぱりいいね、お雛様。ふと気がつけば半世紀、私も飾り続けてきています・・

2013-03-02 16:05:46 | 日記
弥生 3月の幕開けとなった昨日、関東地方ではこの時を待ちかねていたかのように「春一番」が春を運んできてくれました。東京では気温17.6℃を観測したとか。当地ではそこまでの暖かさには恵まれませんでしたが、それでも頬にガツンと当たる強い南風を感じながら「梅、桃、そしてもうすぐ桜の季節‥」なんて具合にひとり勝手に「春本番」の一幕‥。

そして、弥生といえばその幕開けはひな祭り。今年もわが家では、母親が暮らす二階の居間に雛人形を飾りました。


今からちょうど50年前の昭和38年 春、私の妹が1歳の時にこのお内裏様とお雛様がわが家にやってきました。


わが家とこの雛人形さん達にまつわるお話しは、昨年3月4日にアップしたこちらから。

ふり返ってみると、私は約50年ほど前の小学生時代からこの雛人形の飾り付けに一役買ってきています。今から約10日前の2月下旬、今年も雛段の構築作業を。陶芸の合間をぬって、まずはお雛様ご一行が収まった箱を居間に移動。そして、雛段を組み立てることから「弥生」は始まります。


雛段が完成した後は、この写真を参考にしながら母親がポツポツと飾り付けを進めます。


私が敷いた赤い毛氈の上に、母親がゆっくりゆっくりと雛人形を設えていきます。

母親にとって、このお雛さまを飾るその行程こそが「自分史」をあらためて振り返る貴重なひと時のようでもあります。思えば、亡き父もこの雛人形を前にして「僕のお雛様‥」と言いながらとても楽しそうにビールを飲っていましたっけ。

事、雛人形の話題に及んではとにもかくにも亡き父の思い出が巡ってきてしまいます。あと数年で還暦を迎える身ではありますが、いつまでも「父離れ」できないということか‥。おりしも昨日は、将棋界にあっても「一番長い一日」。亡き父にとって将棋とは、野球、相撲、落語、写真、音楽、そしてお酒等々とともにとても興味深い趣味のひとつ。

私も工房にて陶芸の傍ら、将棋名人戦にて森内名人に挑む挑戦者が決まる「長い一日」の映像をチラチラと。かつて父在りし頃、BS放送での将棋界の「一番長い一日」を観ながらいろいろと将棋談議していた頃が忍ばれます。

そして「春一番」を経て翌日の弥生2日。工房にお越しの知人やお客様との会話の流れは時節柄「お雛様」ということに。「雛人形」の思い出に話が及ぶと、何とはなしにわが家のこのお雛様の話題にも。

お客様ともども二階の母親宅にある「お雛様」の元へ。

私の母は「この雛人形は今からちょうど50年前に浅草橋の久月で買いました‥」「最初の年はお内裏様とお雛様だけ買って。あとは毎年徐々に買い増して‥」伝々、解説しています。不思議なことにこの講釈が昨日あたりからすっかり上手くなってきているような気も。落語家さんに例えると、前座、二つ目を経て間もなく真打ち‥という域には届いているでしょうか。

ともあれ、毎年のことながらこのお雛様を前にたくさんの人の笑顔が並び、そしてさまざまな会話が広がります。「桃の節句」って、つくづくいいなぁ。

男の子のお祝いたる「端午の節句」は、華やかさ、そして、奥ゆかしさの面でも「桃の節句」には遠く及びません。やはり、遠いいにしえの昔から「この世はオンナで回っている」ということでしょうか‥。
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