晴れ。タバコを買いに外へ出た以外はひきこもり。
ウォシャウスキー兄弟「マトリックス レボリューションズ」(’03)を再見。
「マシン・シティ」の支配者は文字通り「デウス・エクス・マキーナ=機械仕掛けの神」。
「オラクル」は「預言あるいは神託」といった意味であることを覚えておこう。
ネオとエージェント・スミスの「最終決着」より
「イワシのトルネード」のように群がるセンチネルの姿がやはり印象的。
「コントロール不能なプログラム」としての「エージェント・スミス」は
「未来のAIの不気味な姿」だと思えばいいはず。
その一点以外に作品として面白いかと言われると微妙。
本シリーズの設定である「AIに生かされた存在」である人間たちはすでに「現実」に近く。
「与えられた選択肢」を「現実」だと認識するようになって久しいことではある。
本作では白人より黒人俳優の姿が目立つことも忘れずに。
「レボリューション=革命」がもたらす「反動の大きさ」を思うと
「変革のスピードが重要」なのだと思うことしきり。
フィクションの中ではそれが「素晴らしいこと」として描かれるけれど
おそらく「現実」はそうもいかず。
NHK「新春テレビ放談」を観る。
テレビ局の垣根を超えて現場のプロデューサーたちが集まって話すのがいいところ。
「重鎮」にテリー伊藤、司会に千原ジュニアと「ポイント」を押さえた上で。
ヒャダイン、カンニング竹山らの「的確な指摘」もあり非常に面白い内容。
「長時間の視聴」に耐えられない「若い世代」をどう取り込むのかが重要な模様。
「視聴率」という従来の「唯一のハカリ」が「現実」に対応しなくなっている。
そのことはもっと「共通認識」になった方がいいはず。
ただし「若い視聴者たち」の「読み取り能力の欠如」はむしろ心配だったり。
「スマホの中毒性と画面の小ささ」についても気になるところ。
「集中力のなさ」というのが実は大きな問題。
こうした優れた番組がもっと各地でいっぱいできたらいいのに。
少なくとも「現在のテレビの不自由さ」を浮き彫りにするだけでその「存在価値」はある。
とはいえネット番組もやがて「巨大」になればテレビと同じことが起きるはずで。
「束の間の『自由な空間』」が機能しているのは確かだとして
その「未来」が明るいかどうかはまだまだ不明。
「脱・保険の企画」というわかりやすい言葉で「上層部のダメさ」を指摘した
テレビ東京のプロデューサーに期待したいところ。
ドラマのジャンルから「恋愛もの」の人気が薄れている一方
映画を思えば「そればっかり」という感じがしないでもないのは何故なのだろう。
「イベント」という形でしか「共感」を求められない「現実」よ。
その背景にあるのは「身近な環境の悪化」だと思われるのみ。
ウォシャウスキー兄弟「マトリックス レボリューションズ」(’03)を再見。
「マシン・シティ」の支配者は文字通り「デウス・エクス・マキーナ=機械仕掛けの神」。
「オラクル」は「預言あるいは神託」といった意味であることを覚えておこう。
ネオとエージェント・スミスの「最終決着」より
「イワシのトルネード」のように群がるセンチネルの姿がやはり印象的。
「コントロール不能なプログラム」としての「エージェント・スミス」は
「未来のAIの不気味な姿」だと思えばいいはず。
その一点以外に作品として面白いかと言われると微妙。
本シリーズの設定である「AIに生かされた存在」である人間たちはすでに「現実」に近く。
「与えられた選択肢」を「現実」だと認識するようになって久しいことではある。
本作では白人より黒人俳優の姿が目立つことも忘れずに。
「レボリューション=革命」がもたらす「反動の大きさ」を思うと
「変革のスピードが重要」なのだと思うことしきり。
フィクションの中ではそれが「素晴らしいこと」として描かれるけれど
おそらく「現実」はそうもいかず。
NHK「新春テレビ放談」を観る。
テレビ局の垣根を超えて現場のプロデューサーたちが集まって話すのがいいところ。
「重鎮」にテリー伊藤、司会に千原ジュニアと「ポイント」を押さえた上で。
ヒャダイン、カンニング竹山らの「的確な指摘」もあり非常に面白い内容。
「長時間の視聴」に耐えられない「若い世代」をどう取り込むのかが重要な模様。
「視聴率」という従来の「唯一のハカリ」が「現実」に対応しなくなっている。
そのことはもっと「共通認識」になった方がいいはず。
ただし「若い視聴者たち」の「読み取り能力の欠如」はむしろ心配だったり。
「スマホの中毒性と画面の小ささ」についても気になるところ。
「集中力のなさ」というのが実は大きな問題。
こうした優れた番組がもっと各地でいっぱいできたらいいのに。
少なくとも「現在のテレビの不自由さ」を浮き彫りにするだけでその「存在価値」はある。
とはいえネット番組もやがて「巨大」になればテレビと同じことが起きるはずで。
「束の間の『自由な空間』」が機能しているのは確かだとして
その「未来」が明るいかどうかはまだまだ不明。
「脱・保険の企画」というわかりやすい言葉で「上層部のダメさ」を指摘した
テレビ東京のプロデューサーに期待したいところ。
ドラマのジャンルから「恋愛もの」の人気が薄れている一方
映画を思えば「そればっかり」という感じがしないでもないのは何故なのだろう。
「イベント」という形でしか「共感」を求められない「現実」よ。
その背景にあるのは「身近な環境の悪化」だと思われるのみ。