退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「AIによる悪夢と革命の理想化あるいは好ましい対話といささかの心配」について

2018-01-03 02:06:31 | Weblog
晴れ。タバコを買いに外へ出た以外はひきこもり。

ウォシャウスキー兄弟「マトリックス レボリューションズ」(’03)を再見。

「マシン・シティ」の支配者は文字通り「デウス・エクス・マキーナ=機械仕掛けの神」。
「オラクル」は「預言あるいは神託」といった意味であることを覚えておこう。

ネオとエージェント・スミスの「最終決着」より
「イワシのトルネード」のように群がるセンチネルの姿がやはり印象的。

「コントロール不能なプログラム」としての「エージェント・スミス」は
「未来のAIの不気味な姿」だと思えばいいはず。

その一点以外に作品として面白いかと言われると微妙。
本シリーズの設定である「AIに生かされた存在」である人間たちはすでに「現実」に近く。

「与えられた選択肢」を「現実」だと認識するようになって久しいことではある。
本作では白人より黒人俳優の姿が目立つことも忘れずに。

「レボリューション=革命」がもたらす「反動の大きさ」を思うと
「変革のスピードが重要」なのだと思うことしきり。

フィクションの中ではそれが「素晴らしいこと」として描かれるけれど
おそらく「現実」はそうもいかず。

NHK「新春テレビ放談」を観る。

テレビ局の垣根を超えて現場のプロデューサーたちが集まって話すのがいいところ。
「重鎮」にテリー伊藤、司会に千原ジュニアと「ポイント」を押さえた上で。

ヒャダイン、カンニング竹山らの「的確な指摘」もあり非常に面白い内容。
「長時間の視聴」に耐えられない「若い世代」をどう取り込むのかが重要な模様。

「視聴率」という従来の「唯一のハカリ」が「現実」に対応しなくなっている。
そのことはもっと「共通認識」になった方がいいはず。

ただし「若い視聴者たち」の「読み取り能力の欠如」はむしろ心配だったり。
「スマホの中毒性と画面の小ささ」についても気になるところ。

「集中力のなさ」というのが実は大きな問題。
こうした優れた番組がもっと各地でいっぱいできたらいいのに。

少なくとも「現在のテレビの不自由さ」を浮き彫りにするだけでその「存在価値」はある。
とはいえネット番組もやがて「巨大」になればテレビと同じことが起きるはずで。

「束の間の『自由な空間』」が機能しているのは確かだとして
その「未来」が明るいかどうかはまだまだ不明。

「脱・保険の企画」というわかりやすい言葉で「上層部のダメさ」を指摘した
テレビ東京のプロデューサーに期待したいところ。

ドラマのジャンルから「恋愛もの」の人気が薄れている一方
映画を思えば「そればっかり」という感じがしないでもないのは何故なのだろう。

「イベント」という形でしか「共感」を求められない「現実」よ。
その背景にあるのは「身近な環境の悪化」だと思われるのみ。
コメント
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