鯨山


    <通行止め>
 三月十七日17名の仲間と8時出発で鯨山に行きました。何時も時間前に迎えに来られるので10分前にバス停に向かったがお湯とスパッツを忘れたのに気づき家に戻る、お湯はポットの湯を詰めたので直ぐに準備出来たがスパッツが見つからない、二週間前に使ったばかりなのに見えない、仕方なく夏用のスパッツを持ち玄関に向かったらチャイムが鳴る、玄関を開けると宮田さんの車が止まって玄関に置いた私のザックや靴を積み込んでいた。まだ5分前で最近は時間前の出発になったようだ。

 登山口は車が何台も置けないので波板郵便局駐車場に車を置いて歩くが私は夏用スパッツは暫く使ってなかったので付け方を忘れてしまい手間取る。準備体操が終わった頃やっと準備できた。
 8時40分出発小さな鯨山登山口の看板から車道を進む、道路脇に新しい家が何軒か立っている、安全な高台に家を建てる人が増えそのうちにここら辺も住宅街になるのだろう。
何時も車を置く所にロープで車止めが出来ていた。暫く車道を歩く、以前車の最終地点の小さな広場を過ぎると細い山道にになる。


    <車道に出る>
 目の前が開かれると車道に出る、そして又山道に入ると尾根歩きとなり展望も開けてくる、雪も少しであるが現れる、青年の家コースの尾根が見えてくる頃から枯葉の下が凍っている所が出てきた、傾斜が有るので気おつけていても滑る、下りは道路を外して歩かないと危険だ。


    <山頂神社>
 丁度二時間で山頂に着く、ここは360度の展望台で早池峰山、片羽山、霞露ケ岳の山々、トドが崎から尾崎半島、小松湾の象の鼻の岬まで見渡せる。神社の前の広場で12時までの長い昼食時間を取る。記念写真を丁度大槌の若者が登ってきたので撮ってもらう。12時下山開始。下りは早い、滑らないよう道路を外して下ったが、何人か転倒したようだ、不思議と飲酒グループは一人も転ばなかった。一時間少々で駐車場に着く、今日は心を病んでる人のケアや相談で派遣されて来ていた赤木さんが今月いっぱいで帰ると言うのでそのお別れ山行でも有った、着任そうそう入会したようだが、私は最近歩き始めたので短いお付き合いになってしまった。いままでの活躍に感謝し名残を惜しむ。

 私の膝も大分良くなってきてるのか痛みが出なくなってきた。
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震災二年目の釜石市の現在


     <復興予定地>
 釜石市の復興街作りは奥の大きな倉庫の前にスーパーイオンを中心としたイオンは製鉄所の構内に建設されその前に市営駐車場が建設され大通りに接するブロックは右側のブロックは市民会館を中心とした公益的施設左のブロックは一階を商店に上は復興住宅と隣接して鈴子地区の仮設にある飲食店街を収容するビルを建設し和あいの有る街作りをする計画だ。

 被災地では復興が見えない、遅れてると言われてます。釜石も同じだと思います、イオンの誘致が決まり11月開店と言われてるが、それに伴う街作りが進んでない。


    <取り付け道路>
 イオンは製鉄所構内に作られるが安全上構内道路は使わないと言う、そのためには街からの取り付け道路が必要でこの道路が使われることになっている。しかしまだ工事が始まってない。段差があるため取り付け工事が終わらない限り資材や工事車が入れなく工事は始まらない。


     <駐車場予定地>
 イオンの建設に合わせて市営駐車所も建設されることになっていて、残っている建物の撤去が行われている、残っているのは、NTTの旧庁舎でこれは東部地区の電話回線が入っていて動かせないのでどうしようも無いが、隣の建設関係のビルは立ち退きを拒否してるとの噂も有る、まだ期間もあるので何とも言えない。
それぃ外に手がつけられなくあれ放題の家が有る、修理するか取り壊すかと迷っていたよだがそのまま放置されていた。このような家が三軒有る、有力な情報網がある人のようで、今なら立ち退き料が支払われるのを見越してのことかと思われる、他にも修理が利く家が何軒か有ったが家族が少なくなったので大きな家は要らない無料で壊してくれるのでと取り壊した人が何人もいる。


     <立ち退き地区>
 私が住んでる地区だが一般住宅は四軒で一軒はまだ修理もせず帰ってない、それは事業をしてるが釜石で事業を再開出来ないからである。他はワンルームマンションが二棟、民宿一軒、三階ビルで二階を貸ビルで三階に住んでる人飲食店と貸店舗未修理ビル二棟、銀行、駐車場である。

 駐車場には飲食店集合ビル建設が予定され他は一階が店舗で上は復興住宅を作りたいと市の担当者が言っていた、東部地区の復興住宅への入居希望者が多く予定数の何倍も有り市民会館の上にも増設を予定してるがそれでも足りないそうだ。

 先日市の担当者が土地と住宅の買取価格の説明に来たが、四十数年前に手に入れた価格と変わりなく、二十数年前に一部買いました価格の半値以下三分の一近い価格である、代替え地は時価で購入とのことで何処に行っても高くなるという、震災前はここら辺が釜石では一番土地の値段が高い所だったが被災地なので価格が下がっているから。

 住宅も建設時より数百万円安く土地も家も小さくしなければならない。市の発展を考えると協力しなければならないが考えさせられる。提示された最初から協力しますと意思表示はしてるが。

 問題なのが代替え地で市営駐車場と市民会館跡地が予定されてたが、市民会館は国からの補助金で建設したので国の許可を得ねばならないが許可が下りないので取り壊しがいつになるか分からないという。二月に駐車場の取り壊しが終わったが市民会館の工事が始まらないので何故と思っててがこれでは代替え地の手配が付かなく、我々の移転が何時になるか分からない。我々の移転が終わらないと街作りが始まらなくなる。

 国では被災地の早い復興をと言ってるがこんな事務的なことで遅れてるとは何事か


    <空き地>
 ガレキが撤去され空き地が目立つ、もうすぐ二年が経つというのに何も始まってない。この地区は20cmから50cmの盛り土が予定されている。がれき撤去ご相当の月日が経ったがそのままである、盛り土工事が終わらなければ次の建設は始まらない、出来る工事から始めて欲しい。復興が目に見えるようにして欲しい。
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