奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

スガイディノス、民事再生へ

2022-05-31 04:36:52 | つらつら思ったこと

スガイディノスが民事再生法の適用を申請しました。
各社が報道しています。

元々は須貝興業ですよ。
道内各地で映画館をはじめボウリング場、ゲームセンターなどを運営しています。

閉店したお店も多いですね。

私の住んでいるマンションの新築時、商業スペースにスガイが入居していました。
今の市税事務所がある場所に、琴似神社近くにあったスガイが移転してきた。

琴似の商業の中心軸から外れたこの立地に、ナントまぁ…と思いましたが。

今も昔もスガイにお世話になった方は多かろう。
ですが娯楽が多様化した今、なかなか苦しい業態となっていたのは間違いありません。

そこにコロナが追い打ちをかけ、民事再生となりました。
さてこれからどうなっていくのか。

あぁ、終わっちゃったな…。

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上磯駅

2022-05-29 06:56:29 | 北海道の“鉄旅”日記

 

 

当駅は1913年、上磯軽便線が当駅まで開通したことにより開業しました。

いさ鉄の途中駅、列車の半数はここを終点・始発に函館との間を行き来しています。

構内は1面2線、1番線は上磯駅折り返し専用ホームでここだけ非電化です。
2番線は木古内行、3番線は函館行の列車が使用する島式ホームです。

松前線、江差線が元気だったころは急行「松前・えさし」も発着していました。
ちなみに上磯は北斗市の代表駅ですが市役所や図書館などの都市機能は隣の清川口駅周辺にあります。

駅の南口は駅前ロータリーがありタクシー乗り場もあります。
周辺は商業地域となっており、その先には国道が通っています。

ハセストやラッピも徒歩圏内、南口は住宅地となっています。

駅の西には太平洋セメント上磯工場が立地、かつては専用線がその先の鉱山まで通っていました。
また工場から海に延びるベルトコンベアは上磯らしい景観を呈しています。

南口の商店街の中に気になる飲食店が点在していました。
観光地でない海沿いの街、一杯やってみたい…。

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コロナ入院給付金支払い、9倍に

2022-05-28 06:20:06 | つらつら思ったこと

国内生保大手4社の2022年3月期決算が揃いました。
昨日の毎日新聞電子版が伝えています。

保険料等収入や基礎利益など、いろいろあるのですがそれは割愛、
新型コロナウイルスの入院給付金を見てみます。

新型コロナウイルスによる死亡保険金は4社合計で約430億円(約6000件)で前年の約2.3倍、
入院給付金は同じく4社合計で約500億円(約40万件)で前年の約9倍となりました。

新型コロナウイルス感染症に罹患すると病院へ入院した場合はもちろん、
ホテル療養や自宅療養でも「みなし入院」として入院給付金が支払われます。

コロナ入院給付金のほとんどはこの「みなし入院」と思われます。
どんな入院であろうと支払いは支払いなので、保険会社としては苦しいところであろう。

ただ、経営への影響はないと思われます。

大変なのは担当者です。
支払いが9倍にもなると営業の現場と本社の支払い担当者は相当混乱したであろう。

また「みなし入院」で支払われることを知らない方もいるでしょう。
それを探し出すのもこれからの仕事になります。

何れにしろ、混乱はこれからもしばらく続きます。

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夕張メロン初セリ、2玉300万円

2022-05-27 05:23:43 | 農業を考える

昨日、夕張メロンの初セリが行われ2玉300万円で落札されました。

落札したのは夕張市で青果物販売などを行っている「ホクユーパック」で、
同社では食べごろになる1週間後に店でカットして100人限定で無料提供するとのことです。

夕張メロンの初セリの落札額は2019年の500万円が過去最高額で、
2020年は12万円、去年は270万円でした。

2020年はさすがにねぇ…。
そこから300万円まで来たということは、景気も上向いているということか?

落札会社はかつては札幌のデパートが定番でした。
最近はデパートの出番はなく、いろいろな業種のいろいろな会社が最高額をつけています。

世の中の移り変わりを反映していますね。

さて次はらいでん西瓜、そしてでんすけすいかだ。
どんな初値がつくのか、注目ですね。

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胆振縦貫鉄道株式会社跡

2022-05-25 05:29:52 | 北海道の“鉄旅”日記

 

 

伊達紋別駅を出て左側に交番があります。
その横の道を入ってすぐ右側に謎の柱みたいなものがあります。

何か字が書かれていますが、目を凝らさないと何と書いてあるかわからない。
これが『胆振縦貫鉄道株式会社跡』です。

廃止された胆振線(伊達紋別ー倶知安、京極ー脇方)の簡単な歴史は以下の通り。


・1919年、倶知安ー京極間が京極軽便線として開業
・1920年、京極ー脇方間が開業
・1922年、京極線と改称
・1928年、京極ー喜茂別間が胆振鉄道として開業
・1940年、伊達紋別ー徳舜瞥(後の新大滝)間が胆振縦貫鉄道により開業
・1941年、胆振縦貫鉄道が胆振鉄道を合併、徳舜瞥ー西喜茂別(後の喜茂別)間の開業により全通
・1944年、胆振縦貫鉄道を国有化、京極線を編入し胆振線となる
・1986年、廃止


いろいろな地名や社名が入り交じりややこしい。

胆振縦貫鉄道は1940年から4年間しか営業していなかった。
その会社の起点になる伊達紋別の社屋がここにあったということですね。

ちなみに本社は東京だったらしい。

しかしなんだ、もっとこう…ちゃんとした…ねぇ…。
無いよりいいけど。

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伊達紋別駅

2022-05-24 05:57:42 | 北海道の“鉄旅”日記
 
 
伊達市は仙台藩の亘理伊達氏が開拓した街です。
北海道は仙台藩の関係者が開拓した街が多いな。

駅は1925年、長輪東線(現・室蘭本線)の開通によって開業しました。

1940年に胆振縦貫鉄道(廃止された胆振線)が開業し分岐駅となりましたが、
胆振線は1986年に胆振線が廃止になり再び単独駅となり現在に至ります。

ところで「伊達紋別」の「伊達」はともかく「紋別」ですが、
これは伊達村が成立する以前の地名であった“紋鼈村”に由来します。

駅舎は開業当初のものを手直しして使っています。
ということはあと3年で100周年になるというのに、その古さを全く感じない佇まいです。

駅構造は2面3線、普通は駅舎に近い方から1番線となりますがこの駅は駅舎側が3番線となっています。

普通は駅長室に近いホームから順に1番線からとなるのですが、この駅は逆です。
同様の例は小樽駅にもあり駅舎側から5番線、一番遠いホームが1番線となっています。

また駅舎前の3番線の長万部方にフェンスに囲まれた切り欠きの空間があります。
 
 
 
 
これは旧0番乗り場の跡で、ここからは廃止された胆振線が発着していました。

そしてかつては北海道糖業(北糖)道南製糖所への専用線が伸びていました。
これについては過去のブログに書いていますのでご覧ください。
     → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/f327312febb3e1e0b6e614fd4ae9babf

今はただの途中駅ですが、いろいろな歴史を経てきた駅なのですね。
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佐呂間町竜巻災害、慰霊之碑

2022-05-22 05:19:06 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

2006年11月7日、佐呂間町若佐で新佐呂間トンネル工事の作業用プレハブが竜巻に襲われました。
9人の死者を出したこの災害は日本における戦後最大の竜巻被害となっています。

瞬間風速は毎秒83m、藤田スケールではF3と判定されています。

作業用プレハブは3棟建てられていましたがそのうち2棟が突風に吹き飛ばされ、
そこの2階でたまたま会議をしていた方が犠牲となりました。

 

 

 

 

慰霊碑は国道333号線沿い、若佐市街地の十字路を北見方面へ少し進んだ左側にあります。
被害に遭ったプレハブは慰霊碑の道路の反対側にありました。

碑の裏には碑文があり、犠牲者のお名前と年齢も書いています。
29歳から54歳の有能な土木技術者たちだ。

この災害は私もよく覚えています。
被害が大きかっただけに北海道中が大騒ぎになった。

新佐呂間トンネルは災害の翌年に開通、北見から紋別や旭川へ向かう最短ルートとして使われています。

私もこのトンネルは頻繁に使っています。
このルートを使えば滝上から北見までは約2時間だ。

旭川方面へも石北峠経由よりも早い(と思う)。
その便利さの陰で、竜巻の大きな犠牲があったことは忘れてはならないでしょう。

合掌。

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湧別町・水芭蕉群生地(湧網線、線路跡)

2022-05-21 05:14:02 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

芭露の集落から国道を佐呂間方面へ少し行くと左手に水芭蕉の群生地があります。
広さは12hrもあり、観察用に木道が整備され観察デッキもあります。

花の見ごろは4月中旬、私が行ったのは5月上旬だったので花は終わっていました。

花はどうでもいい、問題はここの木道が湧網線の線路跡にあるということ。
現地の案内図と芭露方面へ伸びる木道の画像をアップしておきます。

 

 

 

 

 

 

木道の画像では両側に広がる鉄道林の様子がよくわかります。

そしてこの木道が線路跡だったという決定的な証拠が、“鉄道林”の看板と枕木。

 

 

 

国道脇で大きな駐車場もあり、木道は車椅子の利用も可能となっています。

せっかくなら水芭蕉の季節に来てみたいもんだ…。

実際の湧網線はこの鉄道林を抜けると志撫子駅あたりまでサロマ湖岸を走り、
対岸の砂州まで見渡すことができるこの路線ならではの風光明媚な車窓を見せる区間でした。

ちなみに鉄道林とは、強風や吹雪、土砂崩れ、砂防などのために鉄道施設に植えられた林で、
札幌近辺では函館本線の大麻駅辺りに見ることが出来ます。

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芭露駅の跡・碑

2022-05-20 05:33:58 | 北海道の“鉄旅”日記

 

 

廃止された湧網線(中湧別ー網走)にあった芭露(ばろう)駅の跡です。

芭露駅は1935年に湧網西線が中湧別ー計呂地間が開通したことにより開業、
1987年3月20日に湧網線が廃止されたため廃駅となりました。

芭露の集落は今でもそれなりの市街地を形成、湧別町の支所もあります。

駅舎は廃止後もしばらく残っていました。
それは知っていましたが国道からは少し離れていたため訪問することはなかった。

駅舎が残っているうちに見るべきだったと、今になって思うが後の祭りだ…。

駅跡には介護福祉施設が建てられ、その施設の前に石碑が残されています。
計呂地駅跡は交通公園として整備されているのと比べ、対照的ですね。

場所は国道から遠軽方面への道道が分岐する交差点の、遠軽方面とは反対側です。

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紋別武徳殿

2022-05-19 05:47:31 | 北海道の旅日記(道東)

 

 

 

 

住所は潮見町となっていますが、海に近い方ではなく紋別公園のふもとにあります。

元々は東洋一の金山と言われた鴻之舞鉱山の従業員と家族の福利厚生施設として、
1940年に鴻之舞に建造された武道場で当時は「光風殿」と名付けられていました。

鴻之舞鉱山の経営は住友でした、なので建物はかなり立派で大きい。
全景を撮影するにはかなり離れたところからでないと画面に入りません。

鴻之舞鉱山は1973年に閉山しましたが、その頃紋別市では新しい武道館建設の構想がありました。
そこで鴻之舞鉱山が「光風殿」を市に寄贈することになりました。

そして翌年、現在地に移転の上復元され名称も「武徳殿」となりました。

館内の道場は110畳もの広さがあり柔道、剣道、少林寺拳法などに使われています。
裏に回れば弓道場、これだけの広さがあれば武道なら何でもできますね。

鴻之舞鉱山関係の遺構は今ではほとんど残っていません。

もちろん現地に行けば様々な構造物が残されているわけですが、
建物として当時を偲ぶことが出来るのはこの武徳殿だけなのではないか。

それもこれも莫大な費用をかけたであろう武道館を建てた住友の財のなせる業です。
貴重な遺構、これからも大事に使っていってほしいと思います。

※紋別市潮見町4-4

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