奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

暑かった関東、東へ西へ … 番外編(ホテルNEO東京)

2010-10-31 04:37:25 | 道外の旅日記
今回泊まったホテルは3月にお邪魔したホテルと同じところにしました。
そのときのブログはコチラ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/16ae728dcb997f2d66a8302c2f4db331

ということで、こんなホテルです。





私の泊まった客室内。
3畳和室で卓袱台付き、布団は自分で敷きます。
画像にはありませんが、部屋の中には冷蔵庫(中は空)とテレビが備え付けられています。

和室は布団を畳んでいるとお部屋が広く使えて助かります。
書類整理なども変なビジネスホテルの狭いデスクよりは楽ですし、
食事をしていても備品の卓袱台をフル活用してのんびり。

これで定員は2名。
どうやったら2名で泊まれるのかは、謎。





洗面台にはゴミ箱(捨てる人が分別する)があります。
私は出たゴミはその都度捨てているのでお部屋に中はいつもきれいで快適。
面倒でなければ普通のホテルで客室内にゴミを置いておくよりは清潔です。

ポットと電子レンジもあります。
こういうのも個人的には助かるなぁ。

壁には近所の食堂などの出前用メニューもぶら下がっているぞ。

そしてやっぱり大浴場。
ユニットバスより絶対に楽で寛げます。

男性専用のホテル、1泊3,500円。

東京に行ったらまた泊まろう。

ということで、今回の旅行記は終わります。
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暑かった関東、東へ西へ … 帰りの北斗星

2010-10-30 04:28:58 | 道外の旅日記
17日、上野駅13番線。
札幌行き寝台特急「北斗星」の入線は18:50、出発は19:03です。

私は乗り込むと同時にさっさと着替え、出発前に寛ぎモードに突入。
ゆっくり寝て翌日札幌に着きました…となるはずでした。

そう簡単には終わらない。

まず、私の小学校のお話をしましょう。

私は小学3年生まで滝上町立滝西小学校におりまして、
小学4年生のときに滝上町立滝上小学校に転校しました。

まずここを踏まえて…。

宇都宮から空いていた向かいの寝台に女性が乗ってきました。
何だかんだとお話しをしていたら、滝上町に住んでいたことがあるとおっしゃる。

それはこんな車内で珍しいことでとお話ししていたら、ナント同級生らしい。
でも、名前とか覚えていないなぁ。

詳しく聞いてみると小学2年まで滝上小学校にいて、その後転校したという。
在学学年がかぶってないもん、わからないはずだ。
でも間違いなく滝上小学校の同級生、共通の知り合いいる。

あいつはどうしたこいつは覚えているか、誰それは専門学校で同じだった、
それならメールしてみよう、電話してみよう、同窓会をしよう…。

盛り上がったことこの上ない。
それにしても北斗星で同席するなどなんという偶然、こんなことがあるのか!
滝上小学校、同級生は90人ほどの中の偶然でした。

だから旅は面白い。

翌日の札幌、18日11:15定刻の到着でした。

帰ってきたので、お終い

でも、番外編に続く
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暑かった関東、東へ西へ … 東海道小田原宿

2010-10-29 04:28:11 | 道外の旅日記
小田原の街中には東海道が通っていました。

当時に重なるように国道1号線が走っていますが、そうでない区間もあります。
今の建物でいうと、小田原なりわい交流館の前後が宿場の中心になります。

街道の西側から国道1号線を歩き始め交流館で休憩、
さらに国道から分かれて東へ東海道の街道筋を歩いてみました。

国道の部分は道路も拡幅され交通量も多く、
東海道の面影を残すものは道の両側にある何軒かの古い建物に感じるだけ。
まぁ、その何軒かの建物の謂れがすごいのですが。

小田原なりわい交流館は無料の休憩所。
ここを境に国道は左折しますが街道筋はまっすぐ東へ伸びています。
地元の方だけが利用する小道は東海道の雰囲気を今に色濃く残しています。

幕末の小田原宿の様子が写真に残っているのですね。
その写真で見る道幅と今に残る小道の幅の距離感がほぼ同じ。

宿場当時の旅籠を起源に持つ旅館が今でもあります。
旧町名の場所にそれを記した石柱も建っている。
確かにここは東海道の宿場だったと、実感できます。

旧街道、1本海側にある千度小路(ここに籠常商店がある)、青物横丁を歩き国道に出ました。
干物屋、蒲鉾屋、呉服店、薬屋、だるま料理店(建物が古くて立派)、お菓子屋さん…。

歩いた、見た、聞いた、発見した、堪能した。

半日、小田原を堪能しました。
城下町と街道を見るならこれくらいがコンパクトでちょうどいい。

小田原は侮れない。

17時を過ぎ、陽が落ちました。
帰りは小田急の「さがみ90号(17:36発)」、車内はがらがら。





16日はこれで終わり、17日は帰ります
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暑かった関東、東へ西へ … かつおぶし博物館(籠常商店)

2010-10-28 04:36:03 | 道外の旅日記
街かど博物館。

立派なガイドマップを作り観光客に開放しているとはいえそこは普通の商店。
買い物もしないのにふらふら店内を歩く私のような観光客は正直、迷惑なのでしょう。

実際にも博物館の看板を掛けているのですが無用の者は店に入ってくるな、
という店構えのところもありました。
こちらも商売の邪魔をしてまでズカズカ入るつもりはありません。

対応がはっきり違ったのが、かつおぶし博物館。

籠常(かごつね)商店。

明治26年創業の鰹節と削り節の製造販売一筋のお店です。

お店にいらっしゃった女将さん、
「博物館なので勉強して行ってもらいます」

そうこなくちゃいけません。

間口は狭いが奥行きは深い、そして建物の尽きるところが海。
店の奥が工場になっていて、主に料理屋やホテルなどに商品を販売しているそうです。

このお店は本物だ。

硬い鰹節をカンナで削らせてもらったり(これは初体験、いい経験をしました)、
お店に並ぶいろいろな削り節(品質により値段が全然違う)を試食させてもらったり。

削りたての鰹節はどこか味が違う。

スーパーに並んでいるパック入りのなんて、買う気にならなくなるぞ。
近くにこんなお店があったら絶対に他では買わないけど、北海道では無理。
こういうお店が何気なく街中にあるというところが、羨ましい。

鰹節と鯖節を粉砕したものをそれぞれ一袋ずつ買いました。
いろいろな料理に使おう。

小田原宿へ続く
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暑かった関東、東へ西へ … 街かど博物館

2010-10-27 04:39:07 | 道外の旅日記



小田原は城下町ではありますが、東海道の宿場町でもあります。
箱根越えを控えて旅人はまず投宿したところであるようです。

本陣が4、脇本陣も4、旅籠が95もあったそうで、
当時の旅籠が今でも旅館として残っているところもあります。

また城下町、宿場町としていろいろな産業が興り、今に伝えられています。
その様子を、小田原城見学のあと街中を歩きながら楽しもうという魂胆です。

小田原には“街かど博物館”というのがあります。
普通の商店などに簡単な展示などをして観光客に立ち寄ってもらおうというもの。
その何ヶ所かを覗いてみました。

小田原といえば、かまぼこ。
古くはもちろん、目の前の相模湾で漁獲された魚を使っていたそうですが、
今は東シナ海産や北海道産の原料を使う事も多いそう。
どこもそんなものなのでしょう。

干物も外せませんね。
原料はどこ産であれ昔から続いてきた技術は存分に生かされます。
産地で食べる干物は美味しいもんです。

意外だったのが、ういろう。
ういろうは名古屋の名物かと思いましたが、戦国時代からの小田原名物でもある。
立派な建物の“ういろう”というお店がありました。

忘れてならないのは、提灯。
お猿の駕籠屋が腰にぶら下げていた、あの小田原提灯です。
が、そんなものはどこにもありゃしない。
工房もなければお土産物屋にも売っていません。
どこかにはあるのでしょうが(小田原駅には下がっている)、見落とした…。

他にもいろいろな興味深いお店があちこちにあります。
さすが歴史のある街だ。

さて、街かど博物館の中で一番面白かったところをご紹介します。

街かど博物館、続く
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暑かった関東、東へ西へ … 小田原城址公園(小田原市郷土文化館)

2010-10-26 04:18:36 | 道外の博物館
天守閣さえ見てしまえば城址公園には用はない、普通の観光客ならそうでしょう。
ですが私にはもう1ヶ所見たいところがあります。
それが、小田原市郷土文化館。

ちょっとした町の郷土資料館、といった趣の建物と展示内容です。
市立博物館、というほどの規模でもない感じ。

いいんですよ、それで。
メインの展示は天守閣に譲って、それ以外の資料がコンパクトにまとめられています。
これくらいの規模の郷土館が一番見学しやすい。

小さいながらも歴史、人文、考古、民俗、自然のコーナーに分かれています。

自然と人文はパス。
歴史資料は地味ですが、興味深いものがいっぱいでした。

考古資料はどこにでもあるものと言ってしまえばそれまでですが、
私は弥生式土器を久しぶりで見た(北海道に弥生時代はないため)。
青森の三内丸山遺跡と県立郷土館で見て以来ではないでしょうか。

最近は縄文式と続縄文式の土器ばかり見ていたので新鮮だ…。
弥生式土器は造形的に美しい。

それとやはり私の専門の民俗資料。
これは地域的な特徴が色濃く出るのでどこのどんな資料館に行っても飽きることはありません。

農具、漁具などの生産用品、暮らしに関わる生活用品など、
私がリアルで体験していたものからそうでないものまで楽しく拝見いたしました。
ソノシートまであったぞ。

入館料は無料。
何気ないことですが、こういうところに小田原の文化度の高さが現れている気がします。

さて、これでいよいよ城址公園ともお別れです。
次は街中を散歩するとしましょう。

続く
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暑かった関東、東へ西へ … 小田原城址公園(小田原城天守閣)

2010-10-25 04:15:04 | 道外の博物館



さて、いよいよ天守閣です。
本丸の正門は“常盤木門(ときわぎもん)”、さすがの門構え。





天守閣は何だかんだあり昭和35年に鉄筋コンクリート造りで復興された建物です。
3重4階建ての天守に付櫓、渡櫓を付してある、パンフレットにはそう書いてある。

中に入ると江戸時代の武具や絵図、古文書などが展示されています。

武具は甲冑、鎧や兜、刀剣、弓矢、槍…。
結構生々しいブツが在りしときのままの姿でここにありました。

とか諸々の展示品が各階に展開されていたのですが…。

東京近郊の名城ということで、観覧客がたくさん来ています。
が、それに対応できる展示スペースと導線が確保されていてそんなに窮屈な感じはしません。
混んではいてもそれなりにきちんと展示物を見ることができる。

展示物も歴史的なものだけではなく、地場産品や武家文化の資料など、
ひとつに偏ることなくいろいろな視点からの展示がなされている。

様々な興味を持つ客が、それぞれのところで足を止めるのでちょうど客が分散される。
ひとつのところに客を滞留させない展示手法、こういうところもなるほど上手。

私が行ったときも城内には相当な人数が滞在していたと思われますが、
城内の広さを十分に利用した展示と導線によって渋滞することがありませんでした。

こういうところはこなれているなぁ、と感心。

最上階からは相模湾、真鶴半島に伊豆半島、そして三浦半島が遠望できます。
海と反対側の足元には東海道本線、その向こうの山は箱根だ。

北条氏が関東に覇をと狙った居城のありさまが見える。

如何せん、小田原は関東の端っこ。
これがもっと東京寄りだったらどうだったのだろう。

さて、下りましょう。

続く
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暑かった関東、東へ西へ … 小田原城址公園(小田原城歴史見聞館)

2010-10-24 04:10:33 | 道外の博物館
16日は小田原、昼頃からフリーになったので夕方まで観光です。
まずは観光案内所で情報収集、市内地図などをゲットして歩き始めました。

駅の外に出れば天気がいいのは助かりますが昨日と同じでやっぱり暑い。
この暑い中をこれからしばらく歩くのか…。

最初に向うのは何はともあれ駅にも近い小田原城でしょう。
駅を出て右手、街のど真ん中に天守閣が見えています。

お城というのは何ヶ所も門がありますが、
そのうちの正規登城ルートとされているところから城址公園に入ります。

大手筋に位置していたという“馬出門”、そして二の丸表門である“銅門(あかがねもん)”。
いわれや構造上の特徴などの解説がありますが、私の専門外なので割愛します。
ただ単純に、昔の人が同じところを歩いて登城していたのだなという空気を楽しみましょう。





銅門をくぐった広場、二の丸跡地には“小田原城歴史見聞館”があります。
小田原城天守閣との共通割引券で540円。





お城の始まりから現在までの歴史を模型と映像でわかりやすく展示している、らしい。
小田原城といえば北条家、戦国大名の北条早雲から5代続きました。
などなどの展示が、模型と映像でわかりやすく…。

わかんないよ。

説明書きはある程度の知識がないとわからないレベルで詳しく述べていました。
映像も確かにふんだんにあって興味をそそるものではありましたが、
そういうコーナーが多すぎてウザイ。

展示や映像を見ていたら両隣や後方からいろいろな音が聞こえてきます。

落ち着いてゆっくり見ることができない。

もっとシンプルに歴史を概説してくれればいいのに。
あるいは私の常識がないから理解できないのか?

とはいえ、北条家から続く小田原城の歴史が何となくわかったので良しとしよう。

次は天守閣です。

小田原城址公園、続く
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暑かった関東、東へ西へ … 外房線

2010-10-23 04:29:02 | 道外の旅日記
安房鴨川の到着は13:36、ここから外房線ですが乗り換え時間はわずかに3分。

乗ったのは特急“わかしお18号”ですが勝浦までは普通列車での運行。
わずかな時間とはいえ特急用車両に乗れるのは嬉しい。





まわりは内房とはうって変わって穏やかな景色。
海と山との距離も離れていて見ていて穏やかな気持ちになります。
とともに、暑さを感じてきた。

天気予報では最高気温が25℃前後らしい。
北海道でいうと、真夏を少し過ぎたくらいの気候です。
車内は冷房が効いていて外に出ると暑い。
こういう状況は体力を奪うなぁ…。

勝浦で千葉行きの普通列車に乗り換え。
車内ではなるべく冷房に当たらないような席を選び座る。

あぁ、大変だ。

浪花駅で対向列車とすれ違い、相手は懐かしの113系。
房総半島を走る列車もほとんど新型になりましたが、わずかに113系電車も走っています。





運用の都合でどの車両になるかはわからないとはいえ、あっちに乗りたかったなぁ。

太東からは九十九里平野になります。
内房と外房の対比が一番感じられる場所かもしれません。

茂原まで来るとビル群が見え都会の様相に。
もうのどかな農漁村地帯は終わったんだなぁ。

大網で未乗区間は終わり、蘇我(15:41)で下車。

房総半島大回りは終わり。

“東京近郊区間”が拡大された恩恵を満喫したひと時でした。

16日へ続く
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暑かった関東、東へ西へ … 内房線

2010-10-22 04:24:27 | 道外の旅日記
10月15日。

180円切符を持って千葉駅のホームにいます。
細かい説明は省きますが、これから180円(蘇我駅まで)の切符で房総半島を一周してきます。

もちろん不正乗車ではありませんのでご安心下さい。

まずは千葉発10:39の君津行きに乗り、木更津(11:18)で下車。
ちょうど久留里線の列車が入ってきました。





国鉄色ツートンカラー復刻塗装のキハ30。
キハ30を初めて見た…。
外吊りドアの独特な外観、車内はさすがにかなりくたびれています。

朝ご飯を食べていなかったので、ここでおにぎりを買いました。

“越後長岡 熟成鮭のすし”





富山の名物は鱒の寿司ですが、長岡は鮭の寿司なのか?

木更津発11:39の安房鴨川行きで再び内房線へ。
発車メロディは“証城寺の狸囃子”。
♪しょ しょ しょじょじ じょじょじの庭は…

証城寺は木更津市にあるんだね。

あたりは海岸沿いにJFEや新日鉄、川重などの工場が連なる工業地帯。
住宅地は田んぼ1枚ごとに開発されたと思われる区画が広がる典型的な田園地帯。

君津を過ぎると急に漁村地帯になりますが、浜金谷が近づくと海沿いに突如豪邸群が現れました。
浜金谷は対岸の久里浜とフェリーで結ばれています。
この豪邸群はそれと関係があるのだろうなぁ…。

それにしても山と海が近い。
海ギリギリまで山が迫り、わずかな平地に集落があります。
その山も急峻で山すそが海に落ち込むよう。

平坦な丘陵を川が削ったあとに残った独立峰のような景色。
浜金谷近くの名所、“鋸山”も見たままの鋸のような山容でなるほどこれは名所になると納得。

内房を規定するのは海ではなく、海岸の際まで迫る山並みだ。

館山で東京湾を離れ房総半島の先端を横切り千倉から太平洋へ。
ここから山並みが離れ平地が増え安房鴨川へ。

内房線の景色、見るべきは海側より山側です。

続く
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