奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
OYOYO美術部所属。

特別快速「きたみ」物語 … 急行「大雪」時代(名寄本線区間)

2009-12-29 08:19:26 | 渚滑線・名寄本線
今はない急行「大雪」ですが、最盛期は6往復もありました。

その中で急行区間としては一番短い距離(旭川ー遠軽)を走っていたのがこの列車。
「大雪」に名前を変えて以来、一貫して名寄本線区間は普通列車として走っていました。

実はこの列車、急行列車の石北本線区間より普通列車の名寄本線区間の方がメインでした。

弘済出版社発行「弘済会の道内時刻表」(昭和49年12月1日発行)で見てみます。

名寄を8:23に出発。
天北峠を越え網走管内に入ると乗客を集め始め、
興部駅では興浜南線からの乗り換え客も収容し10:35、この地方の中心・紋別駅に到着。
この時点では2両編成での運転です。

ここで大半の乗客が入れ替わります。

ここからまた乗客を集め始めます。
中湧別駅では湧網線の網走行きへ接続。
そして11:46、遠軽駅に到着し再び大半の乗客が下車しました。

その乗客の流れに合わせるように2両編成だった列車も1両を切り離し、
遠軽から先の急行区間をキハ22の単行で旭川まで進んでいたのです。

普通列車として走る名寄本線区間は2両編成で走り多くの乗客で混雑、
晴れやかな急行区間は空いたまま単行で走るというのが当時の姿でした。

遠軽で降りた客はそのまま町へ出る人の他は、
お昼を挟んで接続した網走行き(12:44発)と旭川行き(13:34発)の列車へと乗り換えていきました。
そうすると網走管内の中心都市・北見駅には14:16着、
中湧別から乗り換えれば網走支庁所在地の網走駅には14:00着。

つまりこの列車の名寄本線区間は紋別地方同士の流動と、
同じ紋別地方から商業と行政の中心地への移動という大きな流れの核になっていたのです。
この役割は列車廃止まで一貫していました。

逆(興部止り)も全く同じ流れがあり、
私も遠軽や北見、あるいは丸瀬布へ行く際は頻繁に利用しました。

今思い返しても懐かしいですね。

石北本線区間のお話は次回。
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特別快速「きたみ」物語 … 急行「オホーツク」時代

2009-12-28 05:58:50 | 渚滑線・名寄本線
急行「旭川」は昭和43年に廃止になりました。
正確には、旭川ー名寄間が廃止になり名寄ー遠軽ー旭川間に短縮され、
名称も急行「オホーツク」に改称されました。

鉄道弘済会発行「北海道全線時刻表」(昭和44年1月1日発行)によると、
名寄を8:21(多分、キハ22・2連)に出発、興部で2両は別々になり、
1両は急行「オホーツク」として旭川(14:05着)へ向いもう1両はそのまま遠軽行きになっています。

旭川からは15:01に出発し興部まで単行運転、
その後遠軽から来た普通列車に併結し名寄到着は20:32。

これ列車が急行「オホーツク」です。

このほかにも繁忙期の予定臨として上りは網走ー遠軽間に急行「大雪51号」と、
急行「大雪51号」運転時には旭川以遠は急行「なよろ1号」と併結し札幌までが設定されています。

さらに急行「なよろ1号」は旭川ー深川間に急行「るもい1号」を併結していたので、
繁忙期の旭川ー深川間は4列車併結で走っていたことになります。

また下りは同じく札幌から急行「なよろ2号」に旭川まで併結、
さらに遠軽ー網走間は急行「大雪51号」として延長運転することになっています。

そして昭和45年からは名寄ー遠軽間が普通に格下げされ、
急行としての運転区間は遠軽ー旭川間となりました。

この運行形態がそのあとのこの列車の基本形になります。

この列車が私の記憶に出てくるのはこの辺りから。
特に普通列車区間の渚滑ー遠軽間は上り、下りともよく乗りました。

さて、特急列車が「おおとり」だけだった石北本線にもう1往復、特急が増えることになりました。

昭和47年、急行列車が格上げされる形で札幌ー網走間の特急「オホーツク」が誕生、
この列車は名前を新設特急にゆずり急行「大雪2・3号」となりました。

ここからがこの列車の黄金期になります。
そして私が頻繁に乗ったのもこの頃。

次回はそのお話を。
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特別快速「きたみ」物語 … 循環急行・旭川時代

2009-12-26 20:09:38 | 渚滑線・名寄本線
始発駅からぐるっと周り、また始発駅に戻ってくる列車を循環列車といいます。
国鉄時代に気動車の機動性を生かしていくつか設定されていました。

北海道の急行列車では急行「いぶり」が札幌を出て千歳線、室蘭本線、胆振線とまわり、
函館本線を通って札幌へ(逆周りも)。
途中は急行「ちとせ」、急行「らいでん」などと併結し胆振線内は単独運転でした。
一周約7時間。

もうひとつは急行「旭川」。
これは旭川を出て名寄まで急行「礼文」に併結、
そのあと単独で名寄本線、石北本線を走り旭川に戻るというもの(逆も同じ)。
一周7時間半ほど。

運転開始は昭和37年(当時は準急)で廃止は昭和43年です。

私は残念ながらこの列車の記憶はありません。
運転している当時は見たことも聞いたこともなかった。
実家の近くを走っていたのにねぇ…。

ということで、手許の時刻表で見てみます。
鉄道弘済会発行「北海道全線時刻表」(昭和42年2月1日発行)。

旭川の発車は6:10、先頭から2両が稚内行き急行「礼文」で後ろ1両が急行「旭川」。
和寒、士別と停まり名寄発は7:40、ここから名寄本線へ。
下川、西興部、興部、渚滑、紋別、中湧別に停まりながら遠軽へ。
上湧別には停まらなかったんですね。
遠軽発は10:55で石北本線を丸瀬布、白滝、上川と停まり旭川には13:42着。

逆周りは旭川を14:55に出て同じく旭川着は22:41。

なんと羨ましいコースを通るのか…。
今ではもう乗ることができないのが本当に残念です。

ちなみに車両は、キハ22らしい。
単行なのですから、そうですね。

この列車が現在の特別快速「きたみ」に繋がっていきます。
どう繋がるかは、次回に。
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4代目、おけいはん

2009-12-23 07:56:06 | 鉄道
京阪のる人、おけいはん。

関西の京阪電鉄は面白いCM展開をしています。

イメージキャラは、“おけいはん”。

この度、4代目のおけいはんが登場しました。

これからどんなことが起こるのか、楽しみです。

おけいはんはこちら → http://www.okeihan.net/okeihan/

ちなみに私は初代おけいはんとそのお父さんが好きでした。
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奮闘する十勝川温泉

2009-12-21 03:37:44 | 北海道のこと
十勝川温泉の宿泊客数(年間)は1996年の約70万人をピークに減少、
昨年は50万2000人に落ち込んだそうです。

これはまずいと思ったのか、音更町は町民が温泉に泊まると2000円の補助を出すことにしました。
ホテルの方も町民限定宿泊プランなどを作り、宿泊の取り込みを図っています。

私の泊まった「はにうの宿」では通常6,700円のプラン(夕食7品)に特別料理を追加し、
町民割引の上さらに独自に2,200円を引きとあわせナント4,200円引きで、1泊2食付2,500円!

って、おいおい…。
いくらなんでも、どういう価格設定だよ…。

でもこれなら行きたくなるでしょう。
居酒屋より安いんだから。
果たして町民がどれくらい泊まっているかはわかりませんが(そこそこ泊まっているみたいです)。

また十勝川温泉観光協会では、
毎週火曜日に札幌を出発し木曜日に戻ってくる2泊3日の無料送迎バスを期間限定で運行しています。

これは昨年秋に初めて実施、宿泊人数は3ヶ月間で約1,470名に上ったそうです。

道内各地への無料送迎バスはいろいろありますが、
観光協会として取り組むというのは珍しいかもしれません。
それだけ温泉街としての危機感が強いということでしょう。

十勝川温泉は十勝平野にあり景観の面から立地は決してよくありません。
今年3月に老舗ホテルのグランドホテル雨宮館が倒産するなど苦境が続いています。

ですが温泉自体は北海道遺産に指定されたほどの優れもの。
この素材を生かして頑張って欲しいものです。

でも普通のことしてたってダメですからね。
せっかくのモール温泉、活かしましょうよ。

泊まってみるとわかりますが、どうもこの特性を生かしている感じがしません。
素材はいいけどそれに胡坐をかいて何もしない。
北海道全体にいえることですが、これは本当にもったいないことだと思います。

いろいろ取り組み始めた十勝川温泉。
これからどうなるか、楽しみです。
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0泊2日、とんぼ返りの函館 … そして札幌へ

2009-12-19 11:19:31 | 北海道の“鉄旅”日記
摩周丸を辞して函館駅へ。

これから普通列車を乗り継いで札幌へ帰ります。

14:27発長万部行きは途中森駅までは2両編成、その先長万部駅までは単行です。
日曜の昼下がり、空いている列車は淡々と進みます。

日も暮れた長万部駅に到着したのは17:43、
向かい側ホームに停車中の小樽行きの乗り換え出発は17:47。

150系の単行ですが、これが寒かった。
もともとデッキのない造り、ドアを開ければ外気が車内に入ってきます。
そのため乗降口にドアを手動で開閉できるスイッチが付いています。

ですが。
運転手はこの寒い中、車内もガラガラで乗降客もいないのに駅ごとにドアを開けていきます。
その分車内の暖房を強めるならまだしもそれもなし。
列車待ち合わせで駅に長時間停車するときもドア全開のまま。

他のお客さんも防寒着を着たまま乗っています。
みんな辛抱強いなぁ…。

私は運転手に車内が寒いと言いましたが、
「暖房は入っているんですが…」
でおしまい。

そのまま小樽駅まで走りとおしました。

こんなことしてるからみんな高速バスに乗るんだな。
こんな寒々した列車、短距離でもイヤじゃ。

小樽で乗り換えた電車の車内の暖かいこと!

その150系、小樽から折り返し余市行きになりますが相変わらずドア全開でホームに停まっていました。
あの手動スイッチの意味は何ぞ?
昔のキハ22が懐かしい。

札幌の自宅に戻ったのが22時前。
前の日からほぼ24時間、函館までの旅が終わりました。

今年はもう出張の予定がありません。
また来年、どこかへ行きましょう。

おしまい。
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0泊2日、とんぼ返りの函館 … 函館市青函連絡船記念館 摩周丸

2009-12-18 04:55:09 | 北海道の博物館
市電を乗り終えたあとは、私がかねてから行きたかったところへ。

“函館市青函連絡船記念館 摩周丸”

函館駅から歩いて4分のところにあります。

入館料は大人500円ですが、一日乗車券を提示すると400円に。
ちと嬉しい。

摩周丸は青函連絡船の現役時代に何回も乗りました。

桟橋から船の中に入るとまん前に売店、そして案内所がありその先が船室普通、
2階に上がるとサロン海峡やグリーン船室などなど。
懐かしいのであります。

私は去年、青森市にあるメモリアルシップ八甲田丸を見学し大変感激したので期待して行きました。
そのときの日記はコチラ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/c20f148e336c24df379b75db201a0699
最悪だ。

船内で当時のまま展示されているのはかろうじてブリッジ・通信室や甲板だけ。
あとはことごとく改造されておりとうじを偲ぶものは何もないどころか、
青函連絡船とは何も関係ないものが展示してある。

往時と同じものは、覚えている限りでは次の通り。

普通椅子席・グリーン指定椅子席  床に固定せず、ただ置いてあるだけ。背もたれを押すとずれる
桟敷席                  実際に設置されていた場所とは関係のない場所に復元したもの
サロン 海峡で使われていた椅子   床にポンと置かれ、現物であるとの解説がある

これだけでしたね。

これで当時青函連絡船に乗った人が懐かしがるだろうか?
青函連絡船を知らない人が来て、青函連絡船とは何だったのかを知ることができるだろうか?
よかった、また来てみたいと思うだろうか?

青函連絡船は産業遺産です。
摩周丸はどんなものだったのか、少なくともある程度原形をとどめて当時の姿を伝える必要がある。
その上で展示する側が何を伝えたいのか工夫を凝らし、必要な改造を施す。
航路の歴史や存在した意義、なくなった経緯などなど。
それでこそ保存する価値があるのです。

今の摩周丸にはそれが全くない。
外から見れば当時の摩周丸そのものであるけれど、
中に入れば当時の青函連絡船を偲ぶものがほとんどない。
はっきり言って青函連絡船として保存し公開する価値のほとんどないものである。

とはいえこの施設は開設以来、運営の破綻や運営主体が何回も変わるなどさまざま紆余曲折があったので、
今でも船がここにあるということだけでも感謝しなければいけないのかとも思う。
無くなっては元も子もないからね。

ということで、運営主体の奮起を望む。
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0泊2日、とんぼ返りの函館 … 函館市電

2009-12-16 05:11:17 | 北海道の“鉄旅”日記
谷地頭温泉を出て再び市電へ。

函館の市電は湯の川から五稜郭、函館駅前を通り十字街へ、
そこから谷地頭へ向かうのが2系統、函館どっく前へ向かう向かうのが5系統です。

運行が2系統しかないのに系統番号は2と5。
その昔はちゃんと1系統、3系統、4系統もあり、函館市内を細かく結んでいました。
最盛期は17.9kmありましたが今は10.9km。

それでも最盛期の半分以上の路線が残っているなんて、すごいことです。

その2系統、湯の川行きに乗り湯の川まで乗り通します。
所要時間は44分。

現在残っている路線は、確かに残るべくして残った路線だとわかります。
函館駅から西の区間は観光の中心になる西部地区、
シーズンオフのこの日も観光客が何人も乗っていました。
正直こんなに観光客がいるとは思いませんでしたが、結構なことです。

函館駅付近から五稜郭までは都心部を結ぶ中核路線。
この両端に都市機能がつまっていて、両地区を結んでいます。

そこから先は温泉地・湯の川まで、商店と住宅地が連なっています。

さすがに風情がありますなぁ…。
函館は古い港町なんだとわかります。
昔の建物がかなり残っている。
電車を降りて歩けば、いろいろな発見があることでしょう。

それにしても運転本数が多い。
日中は両系統10分おき、路線が重なる湯の川ー十字街間は5分おきの運行です。
こんなに頻度の高い路線は札幌にはありませんね。

札幌は一番頻度の高いバス路線でも10分おきくらいでしょう。
路面電車でも7分おき。

それに比べてなんて利便性が高いのでしょう。
都市機能がつまった中心部を貫く市電がこんな高頻度で運行されているなんて、羨ましい。

そんな市電を乗ったり降りたり、
またタイミングよくやってきた超低床電車「9601号」(らっくる号)にも乗れました。
こんな電車です → http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/transport/9601/lakkuru.html

これはすごい。
機能性もデザイン性も優れているいい車です。
こんな車両が北海道に走っているだなんて、知らなかった…。

2系統、全線完乗。

続く
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0泊2日、とんぼ返りの函館 … 谷地頭温泉

2009-12-15 02:08:41 | 北海道の“鉄旅”日記
OYOYOの冬祭りを途中で抜けて大通の地下通路を歩きます。
目指すは中央バス札幌ターミナル。

ここから23:55発の夜行バスに乗って函館に行きます。
独立3列シート、後ろの席が無人だったのをいいことにフルリクライニングにして寝ました。

教訓。
フルリクライニングはかえって寝にくい。

函館駅到着は日曜の朝5:05、駅前の朝市が開き始める時間です。
本当は朝市の食事処でがっつり朝食でもと思っていましたが、
さすが前の晩遅くまでOYOYOで飲み食いしていたのでお腹が空きません。
結局コンビニのおにぎり。

でもさぁ、どこもそうなんでしょうが朝市の食事メニューを見ているとイヤになる。
観光客向けの同じような海鮮系丼メニューに高い値段。
いい加減にした方がいいのではないかと、私などは正直思いますが。

新聞を読んだりいろいろなお店を覗いたり(函館駅のキオスクなどは6:30開店です)、
飽きることなく時間を過ごしました。

そろそろ行動開始ですがその前に駅中の本屋さんで市電・函館バス共通一日乗車券を買いました。
これで函館市内はどこへでも自由自在です。

市電の函館駅前始発は6:49発函館どっく前行き。
私はその次の6:56発の谷地頭行きに乗りました。

揺られること12分で終点の谷地頭、更に歩いて数分で函館市営谷地頭温泉。
一緒に下車した方も何人か同じ方向へ向かいます。

入浴時間は6:00からとさすが港町、朝が早い。
入浴料は大人420円。
こんな早い時間から、大勢の入浴客で賑わっています。

お湯は鉄を含んだ茶褐色、泉質はナトリウムー塩化物泉。
湯船は大浴場と五稜郭をかたどった露天風呂。

大浴場は広い。
洗い場も広い。
お湯は熱い。

ぬるめの浴槽は43℃、熱い浴槽は45℃、気泡風呂は42℃、露天風呂は43℃。
夜はイベントで騒ぎ、そのあと夜行バスに揺られてここまでやってきた私の体が蘇る…。
いやぁホント、心身ともによれよれだった私が普通に戻った。

体もきれいになり、ひげも剃ってそのうえ体もポカポカ。
温泉で朝風呂、何も言うことはありません。

朝早くから市民で賑わう谷地頭温泉。
朝市などよりもよっぽど訪れる価値があるスポットだと思いますが。

さて、いよいよ本格的に活動するとしましょう。

続く
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OYOYO冬祭りにて

2009-12-14 04:27:00 | イベント
12日はOYOYO(まち×アートセンターさっぽろ)の冬祭りでした。

HPはこちら → http://www.oyoyo16.com/

私は21時過ぎに顔を出しました。

ライブ、おでん、カレー、お酒…。
知った顔もたくさんいて、楽しかったのです。

私は少女漫画家、Tさんの似顔絵コーナーへ。

にせオクイ、どうよ?

23時過ぎまでお邪魔していました。

さて、そのまま函館へ行くとしましょうか…。

函館へ続く。
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