奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

紋別市立上鴻之舞小学校・碑

2023-05-29 05:21:52 | 北海道の旅日記(道東)

 

“東洋一の金山”と言われた紋別市の鴻之舞(こうのまい)鉱山。

鉱床の発見は1915(T4)年、翌年には鉱区が設定され、
1917(T6)からは住友(のちの住友金属)により本格的な開発が始まりました。

一時は大変な栄華を誇りましたが資源枯渇により1973(S48)年に閉山しました。

史上最高の産金量を記録したのは1955(S30)年、それから18年で閉山したわけだ。
その浮き沈みが激しいのが鉱山で栄え衰退した街らしいところです。

最盛期の人口は約1万3千人、いまは無人の荒野だ。

 

 

上鴻之舞小学校は、鴻之舞鉱山がこの地区に鉱区を開いたことにより開校しました。
略歴は以下となります。

1930(S5)年 鴻之舞尋常小学校所属上鴻之舞特別教授場開校
1936(S11)年 鴻之舞尋常小学校として独立
1941(S16)年 在校生が106名で最大となる
1941(S22)年 学制改革により上鴻之舞小学校になる
1968(S43)年 児童数減少により閉校

開校から11年で在籍人数が最大になり、その後増減しながら閉校時は8人でした。
鴻之舞地区には他に鴻之舞小学校、中学校、鴻之舞高校(定時制)がありました。

この中の鴻之舞小学校は一時、オホーツク管内最大の在籍数があったそうです。
これは鉱山の盛衰そのままを現していますね。

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帰ってきました

2023-05-28 06:55:54 | 北海道の旅日記(道央)

 

25日から昨日まで、お知らせした通り出かけていました。

25日は札幌を出て国道275号線を北上、幌加内から士別に入り名寄へ、
所要を済ませ滝上に行きました。

26日は紋別まで往復、滝上滞在中はいろいろな方とお話しできて楽しかったよ。
驚いたのは日帰り入浴施設の「プラザの湯」が閉鎖になっていたこと。

ホテル渓谷の大浴場がサウナ付きで新装オープンしたのに合わせ、
3月いっぱいで閉館になっていました。

老朽化などで閉館するのは知っていましたが、早かったな。

昨日は滝上を出て滝川へ、駅で娘と待ち合わせて「たきかわ菜の花まつり」に。

最盛期は過ぎた、とのことでしたがまだまだ見ごたえはあるぞ。
「菜の花まつり」は今日まで、いろいろなキッチンカーも出ていて楽しかったぞ。

ところで、スマホを持たずに家を出てしまった。
昨日、娘に持ってきてもらい滝川でスマホに再会しました。

だからといって、タブレットは持っていたので支障はなかったのですが。
にしてもスマホはあった方がいいけどね。

※写真は菜の花特設会場の菜の花畑

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また、今日から出かけます

2023-05-25 05:10:55 | つらつら思ったこと

先日は北見と旭川に行ってきましたが、今日からまた出かけます。

今日はまずは名寄に、その後に滝上に行きます。
明日は滝上から紋別まで往復、明後日は帰札となります。

今回は仕事ではなく、完全なプライベートの用事だ。
こんなことは珍しい。

これからしばらくは、プライベートで滝上に行くことが度々ある予定です。

せっかくだからな、地元で飲みに行ったりしてみようか。
同級生の誰かを誘ってもいいな。

ということで、ブログは少なくても27日まではお休みします。
この間のことについてはツイッターやFBをご覧ください。

では、行ってきます。

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紋別市立中立牛小中学校・碑

2023-05-24 05:43:33 | 北海道の旅日記(道東)

 

紋別からR373を滝上方向に進み上渚滑を過ぎて渚滑川を渡ると分岐点があります。
そのまま国道を行くと滝上・上川方面ですが分岐点の案内には「立牛」とあります。

地名は“たつうし”と読みます。

かつては渚滑川の支流、立牛川沿いにも開拓者が入植し、栄えていた時期がありました。
その中の中立牛地区にあったのが中立牛小学校です。

 

 

1914(T3)年 第三渚滑尋常小学校所属中立牛教授場として36人の児童を抱え開校
             今風に言うなら上渚滑小学校中立牛分校、ですね
1927(S2)年 中立牛尋常小学校として独立
1934(S9)年 高等科(今の中学校)を設置
1947(S22)年 学制改革により中立牛小中学校になる

1927(S2)年の児童数は101人だったそうです。

1981(S56)年 中学校が上渚滑中学校に統合
1996(H8)年 児童数減少により閉校

閉校時の児童数は6人だったそうです。

同じ地域に“紋別市中立牛診療所”の建物を見かけました。

 


もちろん今は閉所していますが、昔のへき地にはこのような診療所が各地にありました。

診療所は滝上町滝西にもあったな。
学校と診療所、どちらも今は忘却の彼方ですね。

ちなみに立牛地区にはここの他に、立牛、上立牛、上古丹に学校がありました。

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今日と明日は出かけます

2023-05-21 05:32:43 | つらつら思ったこと

今日と明日は出かけます。

今日は14時までに北見に行けばいいのでのんびりと。
いつもなら旭川紋別道を使うのですが、今日は層雲峡経由で行こうと思っています。

そのまま北見にお泊り。
多分時間が余ると思うので街中を散歩でもしましょうか。

天気が心配ですが。

明日は北見を出て午前中に旭川へ、午後はまっすぐ帰札します。
今回はゆとりのあるスケジュールなので行きも帰りものんびりできるでしょう。

問題は鹿だな。
ぶつかったら勝てないからな。

ブログは少なくても23日まで休みます。
では、行ってきます。

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「アクサ札幌中島公園プロジェクト」

2023-05-20 07:12:14 | つらつら思ったこと

アクサ生命保険(本社・東京)はグループ戦略のグリーン投資の一環として、
中島公園エリアで再開発プロジェクトへ投資すると発表しました。

パークホテルの横、「ヤマハセンター」があった場所ですね。
ここに地上14階の複合ビルを建設中です。

1~3階は商業施設、4~8階にはアクサ生命札幌本社などのオフィス、
9階から上は道内初のインターコンチネンタルブランドの高級ホテルが入居します。

このエリアは札幌市が「MICE」誘致の中心と考えていたエリアであり、
パークホテルも建て替えて高級ホテルと連携しリニューアルする予定でしたがコロナで中断した。

パークホテルは当初の予定では今年、ヒルトンホテルと提携し再開業予定でした。
アクサ生命はその中でも当初の計画通り建設を進めることとなりました。

このスピード感の違いが国内資本と外資の違いなのかなと思います。
こんなことだから国内資本は外資にいいところを持っていかれるのだな。

ホテルの「インターコンチネンタル札幌」は42㎡のスタンダードから159㎡のスイートまで全149室、
館内にはラウンジ、バー、インドアプール、フィットネスジムなどを完備します。

スタンダードで42㎡か、さすがハイブランドのホテルだな。
客室は心地よい「邸宅」をイメージし、フルワイドの窓からは中島公園や豊平川が眺められるそうです。

キリンビール園跡地も再開発中、パークホテルの建て替えも早々に具体化するでしょう。
中島公園エリア、何年かしたら風景が変わりそうですね。

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暑い…

2023-05-19 05:44:32 | つらつら思ったこと

暑いよ。

昨日の最高気温は最も高いところで福島県梁川の36.2℃、
他にも福島、伊勢崎、舘林、熊谷、鳩山(埼玉県)で猛暑日となりました。

北海道では足寄で30.2℃になり真夏日になったほか、札幌でも28.9℃となり、
この時期としては高い気温となっています。

ちなみに札幌の5月の史上最高気温は2019年5月27日の34.2℃でした。
同年5月26日が32.0℃、5月25日が31.1℃でこれが札幌のベスト3となります。

このときは26日に佐呂間で39.5℃を記録し、これが北海道の史上最高気温となっています。
そういえば、そんなことがありましたねぇ。

それに比べれば昨日の暑さなんぞ大したことはない。

それはそうなのですが、やっぱり暑かったわなぁ。
昨日は外を歩く時間が長かったのですが、さすがにくたびれた。

まだ暑さに慣れていないからなぁ。

北海道の5月は雪が降ったり真夏日になったり、忙しい季節です。
皆さんも体調管理にはお気を付けください。

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菜の花が満開!

2023-05-18 05:39:50 | 北海道の旅日記(道央)

 

昨日は日帰りで旭川に行ってきました。

時間に余裕があったので行きも帰りも一般道をのんびりと走っておりました。
天気も良く、気温も高い、上々のドライブ日和でしたね。

花粉症の症状を除けば、ですが。

さて走行ルートはR275を北上し雨竜町から道道279に入り滝川市江部乙に向かいます。
そしてR12に合流し旭川に向かいます。

このいつものルートに今の時期、彩りを添えるのは“菜の花”です。

画像ではその菜の花畑を披露しましたが、これでは広すぎてよくわからない。
ですがとにかく広大な菜の花畑だ、というのだけはわかります。

このような風景が江部乙周辺のあちこちに見られる。

この辺りは実は、国内有数の「菜の花」の産地なのです。
その菜の花が今が満開だ。

20日からは『たきかわ菜の花まつり』も始まります。
    → http://www.takikawa-nanohana.com/

今年はフル開催、週末はイベントも満載です。
現地に行って、ジンギスカンを食べたいなぁ…。

※畑は民有地です。絶対に入らないでください
 イベント期間中は係員の指示に従ってください

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名寄町道路元標 … その現物は

2023-05-16 05:10:56 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

昨日からの続きです。

前置きが長くなりなりましたが、「名寄町道路元標」です。

設置されているのは名寄市西4条南4丁目、
国道40号線沿いの交差点でそばには焼肉トトリがあります。

碑銘には“名寄町”となっています。

名寄が“上名寄村”として剣淵外3カ村戸長役場の管轄に入ったのは明治32(1899)年、
明治35(1902)年に上名寄村、多寄村(共に現・名寄市)、下名寄村(現・美深町)が分離し上名寄に戸長役場設置。

明治42(1909)年に上名寄村が独立し、大正4(1915)年に町制施行により上名寄村から名寄町になりました。
名寄が市制を施行したのは昭和31(1956)です。

ちなみに多寄村(初代)は後の風連町で現在は名寄市となっています。

碑の裏には『昭和3年建設 北海道廰」とあります。
ということで昭和3年の名寄は“市”ではなく“町”だった。

これは再建やレプリカではなく、建設当時の現物だと思われます。
それも、建設当時の場所にそのまま置かれているはず。

昭和3年は1928年、今年で95年か。
ずっとこのまま残ってほしいな。

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名寄町道路元標 … 道路の「元標」とは?

2023-05-15 05:25:22 | 北海道の旅日記(道北、道南)

日本各地に、道路の起点となる地点を記した“元標”があります。

最初に定められたのは明治6(1873)年、太政官布告により定められた「里程元標(りていげんぴょう)」で、
各府県に置かれました。

北海道の「里程元標」の記念碑は創成川公園の南1条にあります。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/2b6d421851769d3b28db8453a5def0e5

大正8(1919)年には旧道路法により、各市町村に「道路元標(どうろげんぴょう)」を置くことが定められました。
大正11(1922)年には道路元標の形状、規格、材料などの詳細が決められています。

縦横25㎝、高さ約63㎝の直方体、頂部が弧を描き材質は花崗岩が多かったようですが、
各地様々な形状や材質のものがあったようです。

札幌市の「道路元標」は赤レンガ正門前にありますが、これは1982年に再建されたものです。

また日本で一番有名な「道路元標」は東京の日本橋にあります。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/22532bb6ffd8c885794921444e98d74e

東京の、ではなく『日本国道路元標』とされているところが日本橋たる所以ですね。

ということで道路の“元標”は設置された時代によって2種類ある、ということになります。

大正時代に定めまれた「道路元標」は現物や復元、レプリカを含め全国各地に残っています。
何しろ当時は、全国で1万2千以上の自治体があったのですから。

今の自治体数は北方領土を除き1,718なので雲泥の差だ。

続く

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