“東洋一の金山”と言われた紋別市の鴻之舞(こうのまい)鉱山。
鉱床の発見は1915(T4)年、翌年には鉱区が設定され、
1917(T6)からは住友(のちの住友金属)により本格的な開発が始まりました。
一時は大変な栄華を誇りましたが資源枯渇により1973(S48)年に閉山しました。
史上最高の産金量を記録したのは1955(S30)年、それから18年で閉山したわけだ。
その浮き沈みが激しいのが鉱山で栄え衰退した街らしいところです。
最盛期の人口は約1万3千人、いまは無人の荒野だ。
上鴻之舞小学校は、鴻之舞鉱山がこの地区に鉱区を開いたことにより開校しました。
略歴は以下となります。
1930(S5)年 鴻之舞尋常小学校所属上鴻之舞特別教授場開校
1936(S11)年 鴻之舞尋常小学校として独立
1941(S16)年 在校生が106名で最大となる
1941(S22)年 学制改革により上鴻之舞小学校になる
1968(S43)年 児童数減少により閉校
開校から11年で在籍人数が最大になり、その後増減しながら閉校時は8人でした。
鴻之舞地区には他に鴻之舞小学校、中学校、鴻之舞高校(定時制)がありました。
この中の鴻之舞小学校は一時、オホーツク管内最大の在籍数があったそうです。
これは鉱山の盛衰そのままを現していますね。