河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/30(土)13時半【生演奏でバッハを③】「フランス組曲」3番、6番。NHK文化センター京都教室(大丸より徒歩5分)

戸隠最後の会①

2007-11-06 00:04:55 | 悼・河合隼雄先生
11月3日に開かれた会。

さっきから
と~っても長い文章を書いたのに
なんと途中で全部消滅

もう一度気を取り直して書いて
そのなが~い文章を
アップしようとしてクリックしたら
ヘンな画面に移動して

またまた全部消滅

なんで??


今日はもうあきらめます……
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愛人か母親か

2007-10-30 01:20:27 | 悼・河合隼雄先生
先週の日曜(10月21日)
河合隼雄先生を偲ぶ会があった(関西楽劇フェスティバル主催)。

河合先生は、この会の名誉会長だった。

現会長の山折哲夫先生のお話につづいて
後半、私も河合先生のエピソードを少しお話した。

その後
河合隼雄フルートリサイタル(!)の録画を
皆で鑑賞(ピアノはわたし)。

2003年だったか
兵庫県篠山(先生の故郷)のおっきなホールでのもの。

私は今回初めてこの演奏を聴いた(見た)けれど
思ってたよりずっといい演奏で
ちょっと驚いた。

林光の「七つの子変奏曲」
モーツァルトのアンダンテK.315
ドビュッシー 小舟にて
ジュナン ヴェニスの謝肉祭

というプログラム。

私の隣で見ていらっしゃった山折先生。
モーツァルトの演奏を聞いてらっしゃって
その感想が可笑しい。

山折先生によると、

カデンツァの部分までは
私(ピアノ)は、河合先生(フルート)とエロティックな関係。

で、
カデンツァが終わったあとは
私(ピアノ)は、河合先生(フルート)の母親になった、

とのこと(笑)。

そういう聞き方もあるんですねー。
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文藝春秋の八首

2007-09-07 23:59:34 | 悼・河合隼雄先生
8月10日発売だった「文藝春秋」9月号に
八首「笛をかかげて―悼・河合隼雄さん」を
発表したところ、
見ず知らずの方や
日頃は疎遠になっている知人などから
メールや手紙などをいただき、
その反応にちょっとびっくり。

原稿依頼はずいぶん前に受けていたのですが、
締切3日前に河合先生が亡くなられ
急遽その八首となりました。

また、その中の一首を取り上げ
吉川宏志さんが
「短歌現代」9月号に
「身を合わせる〈読み〉」を
書かれました。

河合先生が亡くなられた翌日に
歌会が開かれたのですが
そこに出した一首についての文章です。

いずれも
私にとっては
河合先生とのご縁を感じるものでした。
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河合先生おわかれ・戸隠の会

2007-08-29 21:28:18 | 悼・河合隼雄先生
東京へ行ってました。

河合隼雄さんのお別れの会が
9月2日に京都で開かれるのですが、
たぶん、ものすごく大掛かりな
公式的な会になるみたいなので
(当初、京大のホールで、という話だったのですが
国際会議場に変更されました)、

戸隠の会としては、
別の日に、戸隠で小さな会をしようということになり
相談してきました。

11月3日、
谷川俊太郎さんの詩の朗読と
私のピアノで40分~50分ほど、
山田さんのお話
ということのみ決まり。

どんな曲がいいか
いろいろ思案中。

今のところ、
シューベルトの最後の変ロ長調ソナタ(遺作)の
第1楽章を中心に
先生がお好きだった
バッハとモーツァルトを少し、
と思っているのですが。

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最終回 悼・河合隼雄さん⑫

2007-08-04 02:07:26 | 悼・河合隼雄先生
私が先生に最後にお会いしたのは、
去年の6月の戸隠でした。

例の「宿題」の時です。

翌日曜日は、毎年
ハイキングや
茸鍋や
いろいろイヴェントがあり
たいへん楽しみにしているのですが、

去年、私は
どうしても急いで帰らなければならない事情があり
次の日早朝に出発。

先生とは
前の日の本番後にお話したのが
最後となりました。

いつもは
「ランプ」での打ち上げパーティーのあと
宿舎の高山坊に帰って
そのままそれぞれの部屋で眠るですが、

去年は
高山坊に帰ったあと
談話室みたいなところで
遅くまで何人かとワイワイやってました。

先生とは
珍しく隣同士の席になり
いろんなお話をしました。

何のきっかけだったか、
人が死ぬことについての話になり、

わたしは、
私の知人が
マンションの9階から飛び降りたんです

先生に言ってしまいました。

先生は、
は~、かわいそうにな~…
とか
いろいろおっしゃった後に


ひかりが見えたんかもしれませんなぁ……

と、ひとことおっしゃいました。


光。

ひかりですか……。



……
先生、

先生も
やっぱり
その「ひかり」が見えたのですか?


その光のなかで
フルート吹いたはるのですか?





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戸隠② 悼・河合隼雄さん⑪

2007-08-02 19:31:13 | 悼・河合隼雄先生
戸隠での思い出は
ほんとうにいっぱいあります。

いつも土曜日本番で、その夜は
「ランプ」で打ち上げパーティー。

先生は、そこで
童謡を片っぱしからフルートで吹き
(先生はたいていの曲は楽譜なしでもOKでした)、
みんなでそれを歌うのが
大好きでした。

私はもちろん
ほとんどの曲は知っているので
そこにあるアップライトピアノで
伴奏できましたが、
ときどき「戦前」の歌が出てきて
それには困りました。

(「兵隊さん♪」とかいう歌の替え歌で
「厨房さん♪」と先生は歌われました。
そのパーティーのお料理を用意してくれた
女性陣に敬意を表して。)

翌日曜日は
いろいろイヴェントがありました。
蕎麦打ち、
キノコ狩り、
バーベキューなど。

ある年は、
当時の戸隠村の役場にも行きました。
(これは本番の前日だったと思う。)

99年スタート当初は
楽器(ピアノ)がなく、
毎年グランドピアノを運び込みましたが、
運送費がものすごく高くつくのがモンダイでした。

何年目だったか、
そのことを知った先生は
ポケットマネーで
中古のグランドピアノを村に寄付。

当時文化庁長官だったこともあってか
先生はそのことで村役場まで行かれ、
職員の方たちを前にお話もされました。

その楽器を選定したのは私ですが、
先生はそのピアノが
「カワイ」でなかったのがウンヌンと
いつもの冗談も快調。


でも
私が一番印象深く覚えているのは
色紙にサインをしていた時のことです。

3人の出演者のサインということで、
先生の縦書きサイン「河合隼雄」の左隣りに
私は「河野美砂子」と書いたのですが、

筆ペンで書かれた
先生のサインがまだ乾いていなかったため
私の右手が
先生のサインを汚してしまいました。

あ~どうしよ~
とか言ってると、

先生はその色紙を手に取り
ちょっと遠くにかざして

「ふ~ん、〈河合隼雄〉に〈影〉がありますな~。」

と、わりと感慨深げにおっしゃって
しばらくそれを眺めていらっしゃいました。




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戸隠 悼・河合隼雄さん⑩

2007-08-01 17:07:29 | 悼・河合隼雄先生
戸隠での「お話と朗読と音楽の夕べ」は
1999年秋から始まって
毎年1回開催。

去年の6月で8回目でした。

河合先生は
毎年、戸隠をとても楽しみにしておられ、
どんなに忙しくても
戸隠の日だけはなんとか確保されていました。

特に長官になられてからは
本当に超御多忙で、
東京で単身赴任の身ではあっても
晩御飯を家で一人で食べる時がない(会食などで)、
とおっしゃってました。

戸隠の「お話…」では
毎回テーマを決めます(「読む」「木」など)。

その相談に
前もって
先生、谷川さん、山田さん(企画のモトジメ)と私が
集まるのですが……

そうそう、思いだしてきました。

ずっと昔は先生も時間に余裕があったので
その相談が終わったあとだったと思うのですが、
4人でカラオケへ行ったこともあります。

先生は童謡を歌わはりましたね。
私は、松任谷由美の「あの日に帰りたい」。
谷川さん、山田さんはなんだったかな?

私は、カラオケ生まれて2回目の経験だったので
忘れがたい思い出です。

で、
その前もっての相談ですが。

新宿の韓国料理屋さんに
夜行くことが今までは多かったのですが、
去年だったか
どうしても先生の夜の時間が取れず、
お昼休みの文化庁に来て、
ということになりました。

ちょうど文化庁の引越しのときで、
丸の内近くの仮の場所でしたが
長官室の先生の仕事部屋で
先生のポケットマネーで
お弁当をご馳走になりました。

先生の大きな仕事机の上には
未決、保留、済み(だったと思うのですが?)
と書かれた三つの木の箱がありました。

未決の箱には山のような書類が積んであり
済みの箱は空っぽだったの覚えてます。


戸隠の「お話…」は
毎年、秋の土曜日の夜に開催していたのですが、
去年はどうしても先生の調整がつかず
秋に開催するところを
6月に早めました。
みんなとても楽しみにしていたので。

このつづきはまた明日。
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口癖 悼・河合隼雄さん⑨

2007-07-30 20:31:05 | 悼・河合隼雄先生
先生の口からよく聞いた言葉で
「人生、何が起こるかわかりませんなー。」
というのがありました。

思いがけないことが人生には起こる、と。

京大を卒業され
数学の教師として奈良の高校に勤務、
たしか職場で出会われた奥様と結婚。

結婚されたときは
四畳半やったか六畳やったか、
「間借り」でのスタートだったそうです。

将来、「一軒家」を借りることができたらええなー
というのがその時の夢やったらしい。

「それが今、
こうして人前でフルート吹いてるんやから
ほんまに人生どうなるかわからんもんです。」

ほんまにそうですね、先生。

先生は本当にフルート吹くのがお好きで、
ちょっとでも時間があったら吹いたはりました。


「すっごい(ナントカ)」
というのも、よく聞いたような気がします。

先生は感激屋さんで
この(ナントカ)には形容詞が入ります。

あと、よく聞いたのは
「すんません」。

これは、
私の個人的体験だと思いますが。

つまり、
先生のフルートと合わせてると
お勘定間違いがけっこうあったり
指の怪しいところがあったり。

そのたんびに先生は
「すんません」を繰り返されたのです。
たぶん100回以上は聞いてるかも。

でも先生は「本番キング」で、
練習の時に×だったところも
なんとか本番ではクリアする、
みたいなオバケじみたところがありました。


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怒り 悼・河合隼雄さん⑧

2007-07-29 15:37:01 | 悼・河合隼雄先生
河合先生が怒ってらっしゃる姿を
一度見たことあります。

当時のS町主催
大イヴェントの一環として
先生のフルートリサイタルが
大きなホールで開かれることになりました。

私はそのピアノを担当したのですが、
本番前から
いわゆる業界人の噂話として
主催者側の不手際の話がちらほらと聞こえてきていました。

先生に断りもなく
大量のチケットを
その町に住む先生の親戚の家に持っていった(!)とか
その他いろいろ。

本番当日
リハーサルが午前中にあり
お昼のお弁当の時のことです。

主催者側の意向で、
町長さんや
教育委員会の人など
数人の方といっしょに
お弁当を食べることになっていました
(普通は本番前にそんなことしないです)。

お汁も付いた立派なお弁当でしたが、
先生はその間、1時間ちかく
ひとっっことも
口をきかはりませんでした。

私は、
あまりにも異常な雰囲気に
ちょっと当惑。

先生から直接は何も伺ってなかったこともあり
また
本番前にイヤな気分になるのも困るので、
知らんぷりして
町長さんなどと少しお話しましたが。


怒りといえば、

ずっと前のことですが、
先生でも怒らはることあるんですか、
みたいな話になったとき

学会ではすっごい怒る時がある、
とおもしろい話をして下さったこと
思い出します。

「あんたたち、何やってるんですか!!」
と、ある会合で先生は怒らはったそうです。
(何についてかはわかりません。)

その怒りはけっこう勢いがあったらしく
会場はシ~ン。

先生はその怒ってることを
その場で喋れば喋るほど
怒りが増大して、怒りまくり。

内心では
もうそろそろ終わりにしないかんな、
と思いながらも
どうにも止まらない
どうしたもんや、と思いつつさらに怒っているところへ

そこへ
ほんまにうまい具合に
その会議に遅れてきた人が
ひょこっと入ってきたりするんですな。。。

それでその場は
一件落着。


なかなか含蓄のあるお話でありました。

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ばったり 悼・河合隼雄さん⑦

2007-07-28 01:57:22 | 悼・河合隼雄先生
私にとって、河合先生とのご縁は
何か特殊な感じがありました。

というのも、
この10年あまりのあいだに
先生と偶然に出会う、ということが
異常に多かったからです。

JR京都駅で
私が地下鉄から新幹線に乗ろうとして
八条口の通路を歩いていたら
先生にばったり。

先生は、
近鉄京都駅から
地下鉄京都駅に行かれるところでした。

また別の日、
地下鉄鞍馬口駅のプラットホームに降りていったら
そこに河合先生がいらしたり。

あるいは、
京大会館でトイレに行こうとしたら
そこで先生が電話をかけてはったり。

さらに、
新幹線に乗ろうとしたら
先生が同じプラットホームに居やはったり。

一番最後の思い出は、
去年の戸隠へ行くとき。

毎年、戸隠の「お話と朗読と音楽の夕べ」本番のため
私や谷川さんは前日に戸隠入りをするのですが、

先生はいつも、本番前日
奥様と、奥様のお友達の3人で
戸隠近くの温泉に一泊、
当日の朝に戸隠入りをされます。

先生との共演が最後となった
去年の本番前日。

私は新幹線で名古屋まで行き、
中央線に乗り換えます。

名古屋発の特急で
出発前、指定席を探して歩いていたら
河合先生ご夫妻の声が。

結局、私の席は
先生の斜め前でした。

これには、
実はもう少し続くお話があります。

先生は長官になられてからはお忙しく、
前もって京都で練習する時間も取れなくなり
本番当日のリハーサルで合わすのみ、
という形になっていました。

楽譜はお互いに持っているのですが、
去年は、
7月21日の日記にも書いたとおり
先生と谷川さんと私と3人で演奏できるように
私が編曲した「宿題」もやることになりました。

編曲ってけっこうめんどくさいので
仕上がりがぎりぎりになり
その楽譜はまだ先生に届けていませんでした。

当日に渡すつもりが
偶然前日に出会ったのでちょうど良かった、
「明日までに練習しといてくださいね。」と
特急車内で
その私の手書きの楽譜を先生に手渡しました。

なぜかそのとき
一瞬不安がよぎったのですが。。。。

案の定というか
やっぱりというか。

先生はその楽譜を、
席の前ポケットに入れたまま降車。

それが判明したのがいつだったか、
とにかく私は、
もう一度ヒッシで楽譜を書き直し。

おまけに先生は、
楽譜と同時に
講演でお話されるためのメモも
その特急に忘れはったのです。

が、そこはタヌキオヤジぶりを発揮。

講演では
「小人が出てきてそのメモをもってった。」
とかなんとか言って
お客様に大ウケしたはりました。
(結局そのメモは意外なところから出てきたのですが)

先生は
モノをなくす名人らしく
しょっちゅう
楽譜がないない、と
楽譜の山をばさばさ探したはりました。

先生の人生で
モノを探してる時間を合計したらどんなになるか…
というお話を何回も聞きました。

結局、講演のメモは出てきたのですが、
私の楽譜はどこへ行ったのやら…。

先生、
ひょっとして今ごろ
その楽譜ひろげて
持ち越しになった「宿題」、
どこかで練習したはるのですか?

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鞍馬口の家 悼・河合隼雄さん⑥

2007-07-26 00:07:15 | 悼・河合隼雄先生
先生のご自宅は奈良ですが、
10年余り前、
書庫を兼ねた仕事場が
京都、地下鉄鞍馬口駅の近くに新築されました。

そこは主に
箱庭療法や「面接」をされる
(原稿執筆も時々?)場所で、
その箱庭や面接の部屋を見せてもらったことあります。

案外狭い部屋なのですが、
狭い方がいい、と先生はおっしゃっていました。

箱庭の部屋には
砂の箱たしか2種類と
ちっちゃなフィギュアが
棚にいっぱい並んでました。

「箱庭、やってみますか。」ともおっしゃいましたが
私は怖くて(?)やることができませんでした。

広い応接間には
アップライトピアノが置かれてありました。

村上春樹氏からのプレゼント、
フルートスタンドもありました。

私の家から車で数分の場所で、
初期の頃は
私もけっこう練習に通いました。

練習が終わったら
近くの中華「鳳舞」で
お昼ごはんをご馳走してくださいました。

先生は必ず「五目そば」。

加茂川がすぐ近くにあり、
一度、桜が満開のとき
出雲路橋から北大路橋にかけての堤を
先生と散歩したこともあります。

まだ長官になられる前だったので
先生も時間に余裕があったのですね。


その鞍馬口のお家の新築直後、
先生の遊び心から
新築お披露目もかねて
たいへん楽しい会が開かれたこと
思い出します。

集まったメンバーがすごい。

谷川俊太郎さん
鶴見俊輔さんご夫妻
阪田寛夫さん
(芥川賞作家、その後亡くなられました。
童謡「サッちゃん」の作詞家でもあります。)
工藤直子さん
その他東京から編集者の方など。

谷川さんは歌い、
阪田さんと先生はピアノとフルートの合奏、
工藤さんはアイリッシュハープ。

さんざん素人音楽会を皆さん楽しまれ、
私は皆さんのフォローに(もちピアノで)。

工藤さんなど、
演奏する姿と雰囲気は素晴らしいのですが、

谷川さんに言わすと
「工藤さん、ずっとおんなじ音弾いてるんじゃない。」
というようなモノでした(汗)。

鶴見俊輔さんは
お客様としてずっと聴いてくださいましたが、
あのリスのような
黒くて艶やかな眼が印象的でした。

その後、おいしいものを食べに
近くのフレンチに。

割り勘5000円だったの覚えてます。


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木登り 悼・河合隼雄さん⑤

2007-07-24 23:55:53 | 悼・河合隼雄先生
木登りの話を昨日書いて、
先生といろいろお遊びしたことを思いだします。

木登りしたのは、10年以上前の初期のころ。
荒川の源流、長瀞(ながとろ)に行ったときのことです。

「宿題」のエッセイにも書いた
編集者の山田馨さんとその仲間の集まりがあり、
ある夜、その川の河川敷の仮設舞台(山田さん達お手製)で
野外コンサートをやったのです。

私は、電子ピアノ。
河合先生、フルート。
谷川俊太郎さん、歌。

私は、ブルクミュラーの子供のための曲を
何曲か弾きました。

思えばこのコンサートが発展して
後日、戸隠の
「お話と朗読と音楽の夕べ」に
つながったんですね。

で、その荒川源流の河川敷ですが。

コンサートの前、リハーサルの前後のことも
思い出してきたぞ。

まだ明るい時間でしたが、
長瀞の河川敷には
たくさんの超巨大な岩があり
その向こうを
青味がかった清冽な水が
白い飛沫を上げながら
流れています。

先生は、
その超巨大(直径は人間の身長より大きい)ではあるけれども、
とても美しい灰緑色の岩の上に座り
ひとり
川に向かって
フルートを長いあいだ吹いたはりました。


コンサートのあとがまた楽しく、
飲み食いパーティーの後、
その夜は
その河川敷に建てられたログハウスに泊まりました。

これも山田さん達のお手製ハウスで、
谷川さんもたしかキッチンだったかを作られた
というシロモノ。

しかも、
「大ログ」と「小ログ(ころぐ)」2軒があり
男性陣は「大ログ」に、
私は「小ログ」で眠りました。

翌朝、山田さんが食べさせてくれた
桑の葉っぱをはさんだサンドウィッチが
忘れられません。

桑の実、というのも
私はその時生まれて初めて食べたのですが、
そう言うと皆にびっくりされました。

その後、大ログ小ログを出発。
山道をハイキング。

その途中に
おっきな枇杷の木(だったはず)があり、
その木に登ったのです。

先生は、
丹波篠山の少年時代を思い出されたようすで
するすると慣れた感じで木登りされるのに
ちょっとびっくりしました。

私は、これも生まれて初めての経験。
きゃあきゃあ言いながら。

柿の木(やったかな?)は折れやすいから
枝先の方へ行ったらいかん、
とかいろいろ教えてもらいました。

谷川さんは、
何の理由だったかよく思い出せませんが
絶対に木登りしやはりませんでした。
(木の下にたたずむ詩人、かっこいい~。)

その後、「樹上の家」へ。

これまた山田さん達お手製。
本当に、木の上に梯子で登っていくのです。

むかし、少年サンデーだったかのマンガで
何という題だったか(冒険ガボテン島?)、
樹上の家のお話があり
あこがれましたが。

けっこうな高さがあり、
その家(部屋)からの眺め、
とっても気持ちよかった。

……
その後、残念なことに
大水か何かで
大ログ小ログは流されてしまい
今はもうその姿はありません。

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ダジャレのないとき 悼・河合隼雄さん④

2007-07-23 21:39:31 | 悼・河合隼雄先生
河合先生は、いつもダジャレを飛ばし
たいへんお元気な方でしたが、
そうでない姿を2,3度見たことがあります。

ひとつは、たぶん一昨年の夏。

久しぶりにお会いしたら
なんか痩せたはるので、
どうしたんですか、と聞いたところ
4キロ痩せた、とのこと。

あの老獪な河合先生が4キロも痩せるなんて!

はっきりとはおっしゃいませんでしたが、
つまり、
先生がボスをやってらっしゃる「臨床心理士」の国家資格の件で
もうちょっとでうまくいきそうだったのに、
最後の土壇場で結局×だったらしいのです。

日本では臨床心理士の地位がたいへん低いので
なんとかそれをアメリカのように
医師と対等か、それに近い地位になれるよう
先生は長年苦労されていました。

文化庁長官の仕事を引き受けられたのも、
長官という政治的に少しは強い立場になるという意味で
そのこともからんでいた、と私は思っていました。

それが結局
医師会の反対で×に(だと思う)。

相当だったのかも。


もうひとつは、これはTVで見ました。

インタビューみたいな番組で、
河合先生演奏の「七つの子」変奏曲のCDが
その場に流れてきました。

「か~ら~す~、なぜなくの~♪」
という、あのなつかしいメロディをしばらく聞いていて、
先生は突然大粒の
(かどうかはわかりませんが、そういう雰囲気の)
涙をぼろぼろ流されたのです。

自分の演奏に感動して、
というわけではなく
たぶん
子供時代を思い出されてのこと。

特に、その直前に
先生の弟さんが亡くなられたばっかりだったので
そのことが大きかったのでしょう。


三つ目は、
これは単なる、風邪。

毎年、大阪いずみホールで
フルートの佐々木真さんの演奏と
先生の講演+フルート
というのをやっていたのですが、
その本番の前日だったか
うちの家で練習があったときのこと。

先生はいつも超御多忙で
その日も、たしか一つ講演か何かをやった後に
うちに来られたのですが、
いつになくしんどそうで熱もあるみたい。

先生がうちに着かれたとき、
私と佐々木さん二人の曲の練習が
まだ終わってなかったので
先生の出番までしばらく時間あり。


急遽、畳の部屋に敷いたお布団のなかで
先生は1時間ちかく眠らはりました。

上記以外のときは
基本的に先生は冗談やダジャレの人で
とっても元気。

そういえば
一度いっしょに木登りをしたことあるの
今、思い出しました!

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東京芸大にて 悼・河合隼雄さん③

2007-07-22 14:20:56 | 悼・河合隼雄先生
河合先生の思い出をもう少し。

4、5年前の東京芸大でのこと。

当時、文化庁長官の河合先生は
東京芸大学長の平山郁夫さんに頼まれ
芸大で講演をなさいました。

大きな階段教室一杯になる盛況で
もちろん先生のユーモアあふれるお話に
会場は沸きました。

先生は、講演のギャラを受け取られない
とのことだったので、
芸大としてお礼の意味をこめて、
講演会のあと、学長室で
芸大生によるモーツァルトフルートカルテットの生演奏を
先生にプレゼントする、
ということになりました。

私はその前日に先生と電話でお話していて
「明日、先生もフルート吹かはらへんのですか?」
と聞いたところ
「いや~、芸大では……」
というお返事だったので
その頃、方々でフルート吹きまくりの先生も
さすが芸大では吹かはらへんのかと思ってました。

で、その講演会後の学長室。

平山さんをはじめ副学長さん他
主に美術学部の先生が多かったように思いますが、
10人以上の教授連がいらっしゃいました。

学生によるカルテットの演奏は、K.285ニ長調。

もちろん上手な演奏で、河合先生ご機嫌。

教授連が居並ぶなか、先生は冗談連発されるのですが
なぜか割合カタ~イ雰囲気。
ダジャレのあとも、シーン。

で、同席していた私が
思わず場を取り繕う感じで、
「河合先生、このカルテット、
ついこの間、京都で吹かはったばっかりですよね。」
と助け舟を出したところから
お話は意外な展開に。

じゃあぜひ河合先生吹いてみて下さい、
てなことになり(そうでも言わなければ場がもたなかった?)、
先生は「いや~、楽器も持って来てないし……」
とか言いながらも
結局、学生さんのフルートを借りて
とうとう第2楽章ロ短調を
吹かれたのでした。

お勘定のあやしいところがあるのは
いつものことでしたが(3人の弦楽器さんが助けてくれはりました)、
音色だけでいうと
たいへん存在感のある音で
これは私もびっくり。

同じ楽器だったのでよくわかるのですが、
優秀な芸大の学生さんの音より
先生の音の方が
ずっと「いい音」で、
その歌い方にも
先生の人間力が現れていました。

先生のフルート、
初期のころからご一緒で
いつも危ない思いをしているのですが、
このときは
あらためて見直したことでした。




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「宿題」悼・河合隼雄さん②

2007-07-21 16:43:48 | 悼・河合隼雄先生
以前、京都新聞に書いたエッセイを再録します。
ちょうどぴったり1年前、2006年7月21日掲載です。

           「宿題」  
               河野 美砂子
 
 長野県戸隠での恒例行事、「お話と朗読と音楽の夕べ」は、今年でもう8回目になる。
河合隼雄さんのお話、谷川俊太郎さんの詩の朗読、それに私のピアノ、という舞台。みずみずしい緑のこの季節、印象的なエピソードとともに、得がたい時間を過ごすことができた。

この会は、編集者だった山田馨さんという人が、戸隠の喫茶店「ランプ」を世に広めよう、と考えたのがそもそもの始まり。
山田さんが河合さんや谷川さんを巻き込んだ、という形で、今では、谷川さんは「戸隠ありったけ」という地元の会のCEO(会長)に就任するほどだ。

今年は「木」がテーマで、「木とともに生きる」(河合)、「樹木昇天」他(谷川)、武満徹「雨の樹」など(河野)、充実した内容だった思う。

2時間ほど皆がプロとしての仕事をした後、実はこの会独自の趣向があって、河合氏のフルート演奏、谷川氏は歌を披露。
最近はお二人ともそれぞれに進歩のあと著しく、今回は、私も含めて三人が一緒に演奏できるよう、「宿題」(詞・谷川俊太郎、曲・谷川賢作)を私が編曲した。

リハーサルではバッチリうまく行っていたこのトリオ。

が、私のソロの間奏がややこしかったせいか、まず谷川さんが3番の入りをトチリかけ、続いて河合さんも路頭に迷い……これはなかなかの事件で、絶句する谷川さん、あわてる河合さんの姿は、通常そんなに見られるものでない。

でも、さすが大人(たいじん)二人。
普通のオジサンが二人してオロオロしたら目も当てられないが、そこはその存在感がモノを言うのであって、お客様には大ウケだ。

来年に「宿題」は持ち越し、と谷川さんが最後に締めくくり、めでたく終わったのでした。


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