河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

来年3/10(土)13時半【生演奏でバッハを】「イギリス組曲」5番、6番。NHK文化センター京都教室(大丸より徒歩5分)

口癖 悼・河合隼雄さん⑨

2007-07-30 20:31:05 | 悼・河合隼雄先生
先生の口からよく聞いた言葉で
「人生、何が起こるかわかりませんなー。」
というのがありました。

思いがけないことが人生には起こる、と。

京大を卒業され
数学の教師として奈良の高校に勤務、
たしか職場で出会われた奥様と結婚。

結婚されたときは
四畳半やったか六畳やったか、
「間借り」でのスタートだったそうです。

将来、「一軒家」を借りることができたらええなー
というのがその時の夢やったらしい。

「それが今、
こうして人前でフルート吹いてるんやから
ほんまに人生どうなるかわからんもんです。」

ほんまにそうですね、先生。

先生は本当にフルート吹くのがお好きで、
ちょっとでも時間があったら吹いたはりました。


「すっごい(ナントカ)」
というのも、よく聞いたような気がします。

先生は感激屋さんで
この(ナントカ)には形容詞が入ります。

あと、よく聞いたのは
「すんません」。

これは、
私の個人的体験だと思いますが。

つまり、
先生のフルートと合わせてると
お勘定間違いがけっこうあったり
指の怪しいところがあったり。

そのたんびに先生は
「すんません」を繰り返されたのです。
たぶん100回以上は聞いてるかも。

でも先生は「本番キング」で、
練習の時に×だったところも
なんとか本番ではクリアする、
みたいなオバケじみたところがありました。


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怒り 悼・河合隼雄さん⑧

2007-07-29 15:37:01 | 悼・河合隼雄先生
河合先生が怒ってらっしゃる姿を
一度見たことあります。

当時のS町主催
大イヴェントの一環として
先生のフルートリサイタルが
大きなホールで開かれることになりました。

私はそのピアノを担当したのですが、
本番前から
いわゆる業界人の噂話として
主催者側の不手際の話がちらほらと聞こえてきていました。

先生に断りもなく
大量のチケットを
その町に住む先生の親戚の家に持っていった(!)とか
その他いろいろ。

本番当日
リハーサルが午前中にあり
お昼のお弁当の時のことです。

主催者側の意向で、
町長さんや
教育委員会の人など
数人の方といっしょに
お弁当を食べることになっていました
(普通は本番前にそんなことしないです)。

お汁も付いた立派なお弁当でしたが、
先生はその間、1時間ちかく
ひとっっことも
口をきかはりませんでした。

私は、
あまりにも異常な雰囲気に
ちょっと当惑。

先生から直接は何も伺ってなかったこともあり
また
本番前にイヤな気分になるのも困るので、
知らんぷりして
町長さんなどと少しお話しましたが。


怒りといえば、

ずっと前のことですが、
先生でも怒らはることあるんですか、
みたいな話になったとき

学会ではすっごい怒る時がある、
とおもしろい話をして下さったこと
思い出します。

「あんたたち、何やってるんですか!!」
と、ある会合で先生は怒らはったそうです。
(何についてかはわかりません。)

その怒りはけっこう勢いがあったらしく
会場はシ~ン。

先生はその怒ってることを
その場で喋れば喋るほど
怒りが増大して、怒りまくり。

内心では
もうそろそろ終わりにしないかんな、
と思いながらも
どうにも止まらない
どうしたもんや、と思いつつさらに怒っているところへ

そこへ
ほんまにうまい具合に
その会議に遅れてきた人が
ひょこっと入ってきたりするんですな。。。

それでその場は
一件落着。


なかなか含蓄のあるお話でありました。

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ばったり 悼・河合隼雄さん⑦

2007-07-28 01:57:22 | 悼・河合隼雄先生
私にとって、河合先生とのご縁は
何か特殊な感じがありました。

というのも、
この10年あまりのあいだに
先生と偶然に出会う、ということが
異常に多かったからです。

JR京都駅で
私が地下鉄から新幹線に乗ろうとして
八条口の通路を歩いていたら
先生にばったり。

先生は、
近鉄京都駅から
地下鉄京都駅に行かれるところでした。

また別の日、
地下鉄鞍馬口駅のプラットホームに降りていったら
そこに河合先生がいらしたり。

あるいは、
京大会館でトイレに行こうとしたら
そこで先生が電話をかけてはったり。

さらに、
新幹線に乗ろうとしたら
先生が同じプラットホームに居やはったり。

一番最後の思い出は、
去年の戸隠へ行くとき。

毎年、戸隠の「お話と朗読と音楽の夕べ」本番のため
私や谷川さんは前日に戸隠入りをするのですが、

先生はいつも、本番前日
奥様と、奥様のお友達の3人で
戸隠近くの温泉に一泊、
当日の朝に戸隠入りをされます。

先生との共演が最後となった
去年の本番前日。

私は新幹線で名古屋まで行き、
中央線に乗り換えます。

名古屋発の特急で
出発前、指定席を探して歩いていたら
河合先生ご夫妻の声が。

結局、私の席は
先生の斜め前でした。

これには、
実はもう少し続くお話があります。

先生は長官になられてからはお忙しく、
前もって京都で練習する時間も取れなくなり
本番当日のリハーサルで合わすのみ、
という形になっていました。

楽譜はお互いに持っているのですが、
去年は、
7月21日の日記にも書いたとおり
先生と谷川さんと私と3人で演奏できるように
私が編曲した「宿題」もやることになりました。

編曲ってけっこうめんどくさいので
仕上がりがぎりぎりになり
その楽譜はまだ先生に届けていませんでした。

当日に渡すつもりが
偶然前日に出会ったのでちょうど良かった、
「明日までに練習しといてくださいね。」と
特急車内で
その私の手書きの楽譜を先生に手渡しました。

なぜかそのとき
一瞬不安がよぎったのですが。。。。

案の定というか
やっぱりというか。

先生はその楽譜を、
席の前ポケットに入れたまま降車。

それが判明したのがいつだったか、
とにかく私は、
もう一度ヒッシで楽譜を書き直し。

おまけに先生は、
楽譜と同時に
講演でお話されるためのメモも
その特急に忘れはったのです。

が、そこはタヌキオヤジぶりを発揮。

講演では
「小人が出てきてそのメモをもってった。」
とかなんとか言って
お客様に大ウケしたはりました。
(結局そのメモは意外なところから出てきたのですが)

先生は
モノをなくす名人らしく
しょっちゅう
楽譜がないない、と
楽譜の山をばさばさ探したはりました。

先生の人生で
モノを探してる時間を合計したらどんなになるか…
というお話を何回も聞きました。

結局、講演のメモは出てきたのですが、
私の楽譜はどこへ行ったのやら…。

先生、
ひょっとして今ごろ
その楽譜ひろげて
持ち越しになった「宿題」、
どこかで練習したはるのですか?

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鞍馬口の家 悼・河合隼雄さん⑥

2007-07-26 00:07:15 | 悼・河合隼雄先生
先生のご自宅は奈良ですが、
10年余り前、
書庫を兼ねた仕事場が
京都、地下鉄鞍馬口駅の近くに新築されました。

そこは主に
箱庭療法や「面接」をされる
(原稿執筆も時々?)場所で、
その箱庭や面接の部屋を見せてもらったことあります。

案外狭い部屋なのですが、
狭い方がいい、と先生はおっしゃっていました。

箱庭の部屋には
砂の箱たしか2種類と
ちっちゃなフィギュアが
棚にいっぱい並んでました。

「箱庭、やってみますか。」ともおっしゃいましたが
私は怖くて(?)やることができませんでした。

広い応接間には
アップライトピアノが置かれてありました。

村上春樹氏からのプレゼント、
フルートスタンドもありました。

私の家から車で数分の場所で、
初期の頃は
私もけっこう練習に通いました。

練習が終わったら
近くの中華「鳳舞」で
お昼ごはんをご馳走してくださいました。

先生は必ず「五目そば」。

加茂川がすぐ近くにあり、
一度、桜が満開のとき
出雲路橋から北大路橋にかけての堤を
先生と散歩したこともあります。

まだ長官になられる前だったので
先生も時間に余裕があったのですね。


その鞍馬口のお家の新築直後、
先生の遊び心から
新築お披露目もかねて
たいへん楽しい会が開かれたこと
思い出します。

集まったメンバーがすごい。

谷川俊太郎さん
鶴見俊輔さんご夫妻
阪田寛夫さん
(芥川賞作家、その後亡くなられました。
童謡「サッちゃん」の作詞家でもあります。)
工藤直子さん
その他東京から編集者の方など。

谷川さんは歌い、
阪田さんと先生はピアノとフルートの合奏、
工藤さんはアイリッシュハープ。

さんざん素人音楽会を皆さん楽しまれ、
私は皆さんのフォローに(もちピアノで)。

工藤さんなど、
演奏する姿と雰囲気は素晴らしいのですが、

谷川さんに言わすと
「工藤さん、ずっとおんなじ音弾いてるんじゃない。」
というようなモノでした(汗)。

鶴見俊輔さんは
お客様としてずっと聴いてくださいましたが、
あのリスのような
黒くて艶やかな眼が印象的でした。

その後、おいしいものを食べに
近くのフレンチに。

割り勘5000円だったの覚えてます。


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木登り 悼・河合隼雄さん⑤

2007-07-24 23:55:53 | 悼・河合隼雄先生
木登りの話を昨日書いて、
先生といろいろお遊びしたことを思いだします。

木登りしたのは、10年以上前の初期のころ。
荒川の源流、長瀞(ながとろ)に行ったときのことです。

「宿題」のエッセイにも書いた
編集者の山田馨さんとその仲間の集まりがあり、
ある夜、その川の河川敷の仮設舞台(山田さん達お手製)で
野外コンサートをやったのです。

私は、電子ピアノ。
河合先生、フルート。
谷川俊太郎さん、歌。

私は、ブルクミュラーの子供のための曲を
何曲か弾きました。

思えばこのコンサートが発展して
後日、戸隠の
「お話と朗読と音楽の夕べ」に
つながったんですね。

で、その荒川源流の河川敷ですが。

コンサートの前、リハーサルの前後のことも
思い出してきたぞ。

まだ明るい時間でしたが、
長瀞の河川敷には
たくさんの超巨大な岩があり
その向こうを
青味がかった清冽な水が
白い飛沫を上げながら
流れています。

先生は、
その超巨大(直径は人間の身長より大きい)ではあるけれども、
とても美しい灰緑色の岩の上に座り
ひとり
川に向かって
フルートを長いあいだ吹いたはりました。


コンサートのあとがまた楽しく、
飲み食いパーティーの後、
その夜は
その河川敷に建てられたログハウスに泊まりました。

これも山田さん達のお手製ハウスで、
谷川さんもたしかキッチンだったかを作られた
というシロモノ。

しかも、
「大ログ」と「小ログ(ころぐ)」2軒があり
男性陣は「大ログ」に、
私は「小ログ」で眠りました。

翌朝、山田さんが食べさせてくれた
桑の葉っぱをはさんだサンドウィッチが
忘れられません。

桑の実、というのも
私はその時生まれて初めて食べたのですが、
そう言うと皆にびっくりされました。

その後、大ログ小ログを出発。
山道をハイキング。

その途中に
おっきな枇杷の木(だったはず)があり、
その木に登ったのです。

先生は、
丹波篠山の少年時代を思い出されたようすで
するすると慣れた感じで木登りされるのに
ちょっとびっくりしました。

私は、これも生まれて初めての経験。
きゃあきゃあ言いながら。

柿の木(やったかな?)は折れやすいから
枝先の方へ行ったらいかん、
とかいろいろ教えてもらいました。

谷川さんは、
何の理由だったかよく思い出せませんが
絶対に木登りしやはりませんでした。
(木の下にたたずむ詩人、かっこいい~。)

その後、「樹上の家」へ。

これまた山田さん達お手製。
本当に、木の上に梯子で登っていくのです。

むかし、少年サンデーだったかのマンガで
何という題だったか(冒険ガボテン島?)、
樹上の家のお話があり
あこがれましたが。

けっこうな高さがあり、
その家(部屋)からの眺め、
とっても気持ちよかった。

……
その後、残念なことに
大水か何かで
大ログ小ログは流されてしまい
今はもうその姿はありません。

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ダジャレのないとき 悼・河合隼雄さん④

2007-07-23 21:39:31 | 悼・河合隼雄先生
河合先生は、いつもダジャレを飛ばし
たいへんお元気な方でしたが、
そうでない姿を2,3度見たことがあります。

ひとつは、たぶん一昨年の夏。

久しぶりにお会いしたら
なんか痩せたはるので、
どうしたんですか、と聞いたところ
4キロ痩せた、とのこと。

あの老獪な河合先生が4キロも痩せるなんて!

はっきりとはおっしゃいませんでしたが、
つまり、
先生がボスをやってらっしゃる「臨床心理士」の国家資格の件で
もうちょっとでうまくいきそうだったのに、
最後の土壇場で結局×だったらしいのです。

日本では臨床心理士の地位がたいへん低いので
なんとかそれをアメリカのように
医師と対等か、それに近い地位になれるよう
先生は長年苦労されていました。

文化庁長官の仕事を引き受けられたのも、
長官という政治的に少しは強い立場になるという意味で
そのこともからんでいた、と私は思っていました。

それが結局
医師会の反対で×に(だと思う)。

相当だったのかも。


もうひとつは、これはTVで見ました。

インタビューみたいな番組で、
河合先生演奏の「七つの子」変奏曲のCDが
その場に流れてきました。

「か~ら~す~、なぜなくの~♪」
という、あのなつかしいメロディをしばらく聞いていて、
先生は突然大粒の
(かどうかはわかりませんが、そういう雰囲気の)
涙をぼろぼろ流されたのです。

自分の演奏に感動して、
というわけではなく
たぶん
子供時代を思い出されてのこと。

特に、その直前に
先生の弟さんが亡くなられたばっかりだったので
そのことが大きかったのでしょう。


三つ目は、
これは単なる、風邪。

毎年、大阪いずみホールで
フルートの佐々木真さんの演奏と
先生の講演+フルート
というのをやっていたのですが、
その本番の前日だったか
うちの家で練習があったときのこと。

先生はいつも超御多忙で
その日も、たしか一つ講演か何かをやった後に
うちに来られたのですが、
いつになくしんどそうで熱もあるみたい。

先生がうちに着かれたとき、
私と佐々木さん二人の曲の練習が
まだ終わってなかったので
先生の出番までしばらく時間あり。


急遽、畳の部屋に敷いたお布団のなかで
先生は1時間ちかく眠らはりました。

上記以外のときは
基本的に先生は冗談やダジャレの人で
とっても元気。

そういえば
一度いっしょに木登りをしたことあるの
今、思い出しました!

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東京芸大にて 悼・河合隼雄さん③

2007-07-22 14:20:56 | 悼・河合隼雄先生
河合先生の思い出をもう少し。

4、5年前の東京芸大でのこと。

当時、文化庁長官の河合先生は
東京芸大学長の平山郁夫さんに頼まれ
芸大で講演をなさいました。

大きな階段教室一杯になる盛況で
もちろん先生のユーモアあふれるお話に
会場は沸きました。

先生は、講演のギャラを受け取られない
とのことだったので、
芸大としてお礼の意味をこめて、
講演会のあと、学長室で
芸大生によるモーツァルトフルートカルテットの生演奏を
先生にプレゼントする、
ということになりました。

私はその前日に先生と電話でお話していて
「明日、先生もフルート吹かはらへんのですか?」
と聞いたところ
「いや~、芸大では……」
というお返事だったので
その頃、方々でフルート吹きまくりの先生も
さすが芸大では吹かはらへんのかと思ってました。

で、その講演会後の学長室。

平山さんをはじめ副学長さん他
主に美術学部の先生が多かったように思いますが、
10人以上の教授連がいらっしゃいました。

学生によるカルテットの演奏は、K.285ニ長調。

もちろん上手な演奏で、河合先生ご機嫌。

教授連が居並ぶなか、先生は冗談連発されるのですが
なぜか割合カタ~イ雰囲気。
ダジャレのあとも、シーン。

で、同席していた私が
思わず場を取り繕う感じで、
「河合先生、このカルテット、
ついこの間、京都で吹かはったばっかりですよね。」
と助け舟を出したところから
お話は意外な展開に。

じゃあぜひ河合先生吹いてみて下さい、
てなことになり(そうでも言わなければ場がもたなかった?)、
先生は「いや~、楽器も持って来てないし……」
とか言いながらも
結局、学生さんのフルートを借りて
とうとう第2楽章ロ短調を
吹かれたのでした。

お勘定のあやしいところがあるのは
いつものことでしたが(3人の弦楽器さんが助けてくれはりました)、
音色だけでいうと
たいへん存在感のある音で
これは私もびっくり。

同じ楽器だったのでよくわかるのですが、
優秀な芸大の学生さんの音より
先生の音の方が
ずっと「いい音」で、
その歌い方にも
先生の人間力が現れていました。

先生のフルート、
初期のころからご一緒で
いつも危ない思いをしているのですが、
このときは
あらためて見直したことでした。




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「宿題」悼・河合隼雄さん②

2007-07-21 16:43:48 | 悼・河合隼雄先生
以前、京都新聞に書いたエッセイを再録します。
ちょうどぴったり1年前、2006年7月21日掲載です。

           「宿題」  
               河野 美砂子
 
 長野県戸隠での恒例行事、「お話と朗読と音楽の夕べ」は、今年でもう8回目になる。
河合隼雄さんのお話、谷川俊太郎さんの詩の朗読、それに私のピアノ、という舞台。みずみずしい緑のこの季節、印象的なエピソードとともに、得がたい時間を過ごすことができた。

この会は、編集者だった山田馨さんという人が、戸隠の喫茶店「ランプ」を世に広めよう、と考えたのがそもそもの始まり。
山田さんが河合さんや谷川さんを巻き込んだ、という形で、今では、谷川さんは「戸隠ありったけ」という地元の会のCEO(会長)に就任するほどだ。

今年は「木」がテーマで、「木とともに生きる」(河合)、「樹木昇天」他(谷川)、武満徹「雨の樹」など(河野)、充実した内容だった思う。

2時間ほど皆がプロとしての仕事をした後、実はこの会独自の趣向があって、河合氏のフルート演奏、谷川氏は歌を披露。
最近はお二人ともそれぞれに進歩のあと著しく、今回は、私も含めて三人が一緒に演奏できるよう、「宿題」(詞・谷川俊太郎、曲・谷川賢作)を私が編曲した。

リハーサルではバッチリうまく行っていたこのトリオ。

が、私のソロの間奏がややこしかったせいか、まず谷川さんが3番の入りをトチリかけ、続いて河合さんも路頭に迷い……これはなかなかの事件で、絶句する谷川さん、あわてる河合さんの姿は、通常そんなに見られるものでない。

でも、さすが大人(たいじん)二人。
普通のオジサンが二人してオロオロしたら目も当てられないが、そこはその存在感がモノを言うのであって、お客様には大ウケだ。

来年に「宿題」は持ち越し、と谷川さんが最後に締めくくり、めでたく終わったのでした。


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悼・河合隼雄先生①

2007-07-19 22:45:06 | 悼・河合隼雄先生
河合先生と私との出会いは、
たぶん15年くらい前。

河合先生ファンだった私は
自分のリサイタル招待状をお送りしたのですが、
「隼雄」と書くべきところ
「準雄」と書いて郵送してしまいました。

すぐに先生からハガキが届き
その日は予定があり残念、という内容で
差出人の「河合隼雄」の「隼」の字に
点が打ってあったのでした(汗)。

そんなことがあった後、
私ははじめて河合先生の講演を聞きにいき、
終演後、思い切って控え室に伺いました。

(河合先生のフルートの先生である
水越典子さんと共演したこともあるため、
先生は私のことを間接的にはご存知でした。)

ソファに座っていらっしゃった先生は
私とわかると歓迎してくださり、
右足を貧乏ゆすりしながらこうおっしゃいました。
「フルートの伴奏、してもらえませんか?」

それからしばらくして
先生は私の家にいらっしゃるようになり、
また、
先生の、京都に新しく建てられた仕事場が
うちに近いこともあり、
私が伺うこともありました
(アプライトピアノがありました)。

エピソードは山のようにあるのですが、
今日はここまで。

以下は、知人に宛てた文章の一部です。

つい2日前、谷川俊太郎さんにファクスをお送りすることがあり、
そのついでに「私は言霊を信じるので書いておきます。
来年の本番には河合先生が聞きに来やはります。」と書いたばかりでした。

6月の末にも同じようなことを書いて、先生と奥様宛にお便りしたのですが。

今日夕方、京都新聞と読売新聞からコメント取材があり、いろいろ聞かれるままに、
もう15年?くらい前の出会いや、その後のいろいろなエピソードもお話しましたが、
一番言いたかったのは、以下のようなことです。

先生の1年近くに渡る魂の旅、想像もできないような経験をされたこととと思います。
結局私達のところには戻って来られず、その具体的なお話は聞くことはできません
でしたが、きっとそのような旅を先生がされたことの意味を、これから私達はいろんな
場面で折々に気づかされるのだと思います。

私個人的にも、戸隠の「宿題」や(今度そのことを書いたエッセイをお送りします)、最後となった電話での会話など、折り合いのついていないことがたくさんあり、これから長い時間をかけていろいろと考えていきたいと思っています。

それが先生が私たちに残されたメッセージだと私は受け取っています。

以下略。
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公開レッスン・指揮セミナー

2007-07-19 12:57:08 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
京都コンサートホールで
小澤征爾塾の指揮セミナー開催中。

私は聴講しています。
12日間です。

昨日は、三ッ石潤司氏(ピアノ・コレペティ)と
湯浅勇治氏の公開レッスン。

三ツ石氏すばらしい。

オペラ「カルメン」を
受講生達に歌わせながら(もちフランス語で)、

言葉の意味、ニュアンスや物語の背景を確認し、
それに基づく、和声、メロディラインの必然性
(ビゼーの音楽はホントによくできてる)、
歌手の歌いやすさについてなどを
具体的に示されます。

あらゆることを理解してから演奏すると
こうしか弾けない、という所に到達する、
ということなんでしょうね。

三ツ石氏ほどでは全くないけれど、
私なども
ウィーンのリート(歌曲)のクラス(E.ヴェルバ教授)で
1年間しごかれましたから
三ツ石氏がおっしゃることすべてに
深くうなずきました。

歌手といっしょにやる時は、
言葉をすべて調べ
意味を理解し発音を確認、
まず自分自身で声を出して弾き歌い。

歌手と合わせる時は、
歌手に合わせるのではなく
こちらが音楽をすべて用意して
それに乗せてあげる。

こちらがぐいぐいと引っぱって行ったり
逆にブレーキかけたり

声域が低くて聞き取りにくかったら
もちろんバランスを取り

歌手の声の調子をみて
必要なら
休息をすすめる(歌手って身体が楽器なので)。

そして時々ほめる。

これ、だいじ。

歌手って
おだてられるとホイホイそれに乗って
調子を上げる人多いので。

ヴェルバ氏のクラスでは
いろんなことを学びました。

つづきはまた明日。

今日も聴講に行ってきます。♪
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梅蜜

2007-07-18 02:42:34 | 京都の暮らし
去年はじめて作ったのですが、
今年も梅蜜がなかなかいい感じです。

一ヶ月ほど前だったか、
梅の実を3キロ買ってきて
2キロはヘタを取って冷凍。

残りの1キロを
蜂蜜と氷砂糖で漬けました。

発酵しないようにお酢をちょっと入れて。

3週間ほどで
梅のエキスが蜂蜜と混ざって
広口瓶に溜まります。

それを
お水かソーダで割って飲みます。

飲むとき
黒酢をちょっと垂らすのが
私の好み。

これを飲むと
翌日、不思議と疲れが取れてるんです。

ここ何日か
毎日飲んでるんですが、
一日だけ飲まない日があって
その翌日は
朝からすごーく疲れてました。

冷凍の梅の実は
そろそろ第二弾として
漬ける予定。

また蜂蜜を買わなければ。

西陣の、
口では言えない
ややこしい所に
ドラートという蜂蜜屋サンあり。

町家を改装した
お店、というより
普通の西陣のお家。

何十種類の蜂蜜があって
なんぼでも味見させてくりゃはります。

真っ赤な包装袋が
またかわいいのデス。

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次期「モーツァルトに会いたい」

2007-07-16 23:02:33 | 演奏会「モーツァルトに会いたい・2」
京都芸術センターの、
次期共催事業申し込み締切が迫っています。

今までと違い
使用可能な日はわずか8日間!

「モーツァルトに会いたい・3」を
ずいぶん前から考えていたのですが、
どうなることやら。

①「モーツァルト・マニアック」と題して
谷川俊太郎氏の朗読やお話と
一般的でないモーツァルトのピアノソロの曲を。

②「ピアノで聞くオーケストラ作品」と題して
若いピアニストとの連弾。
交響曲39、40、41番(ジュピター)。

③小編成のオーケストラと「ピアノコンチェルト」。
これは芸術センターでは無理なので
別のホールで。

などなど。

書くのは簡単、
弾くのも楽しい。

でも、その他もろもろの
演奏会を開くための
雑用の山を見上げて
ちょっとためいき。

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指揮セミナー in 京都

2007-07-15 23:13:33 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
2日目が終わったとこ。

参加者は10名あまり。
他に聴講が10名あまりとピアニストが3人。

参加者名簿が配られないので
よくわからないけれど、
京都市芸大生が二人、
聴講にも一人いました。

ふだんウィーンで勉強している人もいる様子。
あとは東京などから?

昨日と今日は
音楽空間ネイヴという所で開催されたのですが、
その持ち主というのが
京都市芸大の私の後輩でした。

その他にも知人がちらほらと。

三ッ石氏のクラスは
オペラ「カルメン」を
交代でピアノ弾きながらやるのですが
何しろ曲が素晴らしくって。

ウィーンにいたころ、
国立歌劇場の「カルメン」新演出
(マゼール指揮のドミンゴ、ヴァルツァ)に
徹夜で並んでチケット買った思い出あります。

湯浅氏の方でも
ベートーヴェンのシンフォニー1番を聞いて
何回聞いても
わたし、この曲ホントに好き。

と言いつつも
やっぱり私はピアノ弾きなので
他人の演奏ばっかり聞いてると
だんだん
自分が弾きたくなります。

カルメンやベートーヴェン1番
弾きたい~!

セミナーは、明日からは
京都コンサートホールで。

室町(四条)のあたりでは
明日、祇園祭宵山で
クラスは明日だけは6時で終了、
宵山に行くとか行かないとか。

同じ京都といっても
私たちは四条には住んでいなくって
お祭も関係ないので、
出かけません。

雨、やっとあがりました。
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指揮セミナー・小澤征爾塾

2007-07-14 00:25:50 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
明日土曜より、
京都で開催される
指揮者志望の人のためのセミナー。

この受講者のなかに、
私がピアノやソルフェージュを教えている
男の子二人(指揮は湯浅氏などに師事)がいるので
私も明日は聴講することに。

明日は
ピアノ(コレペティ)の三ッ石氏と
指揮の湯浅氏のレッスン。

お二人とも普段はウィーンの人。

さて、
若者はどのようにしぼられるか。

スケジュールによると、
朝10時から夜8時まで、
14日から26日まで休みなし。
これ、ほんと?

ま、それくらい勉強せーということですね。


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吉田秀和氏とビルスマ

2007-07-12 23:39:33 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
季刊誌「考える人」夏号に
吉田秀和氏と堀江敏幸氏の対談、
それからビルスマのロングインタビューが
掲載されています。

音楽関係の人のみならず、
短歌関係の人必見。

吉田秀和氏は
音楽評論を軸に
批評とは何か、
ということについて
いつもどこかで考えつつ、
でも軽やかに、
そして専門的に(気分ではなく)
書き続けてきた人です。

青磁社の短歌時評(web)で
吉川宏志さんが、
吉田秀和の文が好きでよく読む
と書いています。

堀江氏との対談は、
先日教育TVで放映していたものの
詳細版。

堀江氏は、
NHKFMの吉田氏の番組が出会いだった
ということですが、

私も、あの番組での
吉田氏の独特の外国語の発音
(音楽用語のイタリア語や作曲者の名前など)が
めちゃかっこよくって
印象に残っています。

日本人の平たい発音ではなくて
母音、子音の区別がはっきりしていて
アクセントがどこにあるかよくわかるのです。

一方のチェリストのビルスマは
ピリオド楽器の第一人者の一人。

誌面では、
たくさんの自宅での写真が
載っています。

10年くらい前
ビルスマが京都に来て
バッハ無伴奏チェロ組曲を弾いたの
聞きました。

とんでもなく自由に弾いてた、
という記憶が残っています。
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