団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

40年も経つと、第一志望校に受からなかった傷も癒えていました。

2024-03-29 01:19:36 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「進学先の高校 楽しめた」というタイトルで、56歳の女性が投稿されていました。

 6日付本欄「志望校に落ちても充実」を読み、私自身の高校時代のことを思い出しました。

 40年前の名古屋市公立高校の受験は学校群制度でした。

 志望校が含まれる学校群を受験し、属する2校のどちらかに振り分けられて合否を判断するというものです。

 私は志望校でないもう一方に合格しました。

 入学時は正直、複雑でした。

 しかしながら進んだ高校は伸び伸びとした校風で、周りの友達も穏やかなすてきな人ばかりでした。

 3年間は楽しくてあっという間でした。

 当時では最新のかわいい制服もよかったです。

 クラスメートと卒業後に交際を始め、やがて結婚しました。

 3人の子どもにも恵まれました。

 第一志望でなくとも、この高校に進学したからこそ夫にも、子どもにも巡り会えたと思えば実に感慨深いです。

 若い皆さん、一度しかない高校生活を充実させてくださいね。

 以上です。

 私の60年前ぐらいの岐阜県の公立高校の受験は、愛知県のような学校群制度はありませんでした。

 地元の第一志望校を落ちました。

 第二志望校を書いた記憶はないですが、地元からちょっと離れた高校に合格していました。

 当時はショックで第一志望校の学生を見ると辛かったです。

 電車に乗って第二志望校?の学校へ通いました。

 電車で仲良くなった級友たちと、行きは話しながら学校へ行きました。

 電車で好きになった女子学生もいて、彼女の顔を見るのも楽しかったです。

 体育を除けば、授業も楽しかったです。

 第一志望校でなかったですが、高校生活を楽しめました。

 55歳の時、同窓会に出席して第一志望校へ行った級友たちに会いましたが、なんとも思わなかったです。

 40年も経つと、第一志望校に受からなかった傷も癒えていました。




悲しき街角 デル・シャノン 1961
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