こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第16主日(マルコ6:30-34)休まずに教え、諭すイエス

2018-07-21 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/180722.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/7/22(No.954)
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年間第16主日
(マルコ6:30-34)
休まずに教え、諭すイエス
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「使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」(6・30)今週年間第16主日の福音朗読はこのように始まっています。先週どのような指示を受けて出かけていったのかが語られていました。一週間も経つと、なかなか思い出せないかもしれません。今週は先週の流れを思い出すところから出発しましょう。

大阪の前田枢機卿様による補佐司教叙階式に参列してきました。司教座聖堂はエアコンのない聖堂でした。もし私たちがこのミサをエアコン切って挙行したら、逃げ出す人が出てくるかもしれません。そんな暑さと戦いながら、前田枢機卿様は立派にご自身の二人の補佐司教を叙階して、喜びあうことができました。

ところで前田枢機卿様には、私たち田平小教区からのお祝いを届けることになっていたので、忙しくなる前にと思い、ミサの1時間前に大司教館を訪ねたのです。すると受付の人がいたので、お祝いを渡したいと伝えると、「おつなぎできません」とあっさり断られました。「そんな~」と思ったのですが、別の先輩から「前もってアポイント取らなきゃ」と諭されました。私たちの考えが甘かったのですが、叙階式後に無事にお渡ししてきました。

司教様は本当に大切な牧者です。司教様の務めは教会法の中に関連する法令が55項目ありました。その中には、たとえば教区司教の務めがありまして、教区司教は教区民をこのように導かなければならないとか、教区内の司祭たちをこのように導かなければならない、そういう項目もあります。

司教様は司祭と教区民を導かなければならないわけですが、教会法の中で書かれていることは法律の面から見た務めで、司教様は教会法によって教区民や司祭に、牧者として教え導き、励まし、時には忠告したり罰を与えたりもするわけです。それは父親が子供に対して教え導き、時には叱ったりするのと同じことです。

親しくさせていただいた神父様が、このような重い務めを引き受け、補佐司教様になった姿を見て、大変だなぁと改めて思いました。あの暑さの中で司教に叙階されたことで、火で精錬された鉄のようになったのかもしれないと思いました。

さて福音朗読ですが、先週十二人がイエスに派遣される場面では、「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」(6・12-13)と結ばれていました。

十二人はイエスの権能を授かって恵みを届けることと、「悔い改めさせる」ためにも出かけました。教え導くだけではなく、時には戒めたり警告したりもしたのです。これはまさに、現代の教会法が司教様に求めている務めに通じるなぁと思いました。

今週の朗読は、その十二人が戻ってからの話です。彼らは精神的にも肉体的にもそうとう疲れて帰ってきたのだと思います。イエスは彼らに休みを取らせます。肉体的な休み、たとえば横になって体を休めるというよりは、精神的な休みを取るように勧めています。

宣教活動は人々の悩み苦しみに寄り添って手を差し伸べることが多いので、精神的な疲れがあるとどうしても続けられません。「人里離れた所」は、イエスが父なる神と語り合うために好んで選ばれた場所ですから、弟子たちにも父なる神に自分を委ねることで力を取り戻してもらいたかったのだと思います。

ところで、弟子たちに休みを与えている間も、悩み苦しむ人々は救いを求めて集まってきます。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(6・34)

イエスのこのような姿は、文字通りの働きを表していると同時に、弟子たちが休んでいる間も、イエスが悩み苦しむ人々のために休まず働いてくださるから、休む時は信頼を寄せて休みなさいと言われているのだと考えました。司教も司祭も、どこかで休みが必要になります。

その間も絶えず悩み苦しむ人が救いを求めてくるわけですが、イエスは休まず働いて、司教や司祭の足りないところを満たしてくださるのです。教会は、見える姿だけではなく、見えない姿もあって、絶えず宣教し、絶えず人々の苦しみに寄り添っているのだと思います。

教え、励まし、時には戒めてくださるイエスが、弟子たちを通して、枢機卿様、司教様、司祭を通して働き、彼らが休んでいるときも、羊のために休まずイエスがお世話してくださる。この姿を今週は持ち帰りたいと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第17主日
(ヨハネ6:1-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼あんなに大阪は暑いのかと、甲子園球児のことまで考えた叙階式だった。なんとか無事に叙階式を見届けたが、叙階式をあの暑さでやり抜く枢機卿様と被選司教様2人の気力がまずすばらしい。
▼炎に焼かれても信仰を守り抜いた殉教者の心境はあのようなものだったのかもしれない。驚嘆すべき信仰を見ることができた。これは現地で体験した人しかわからない話だが、自分は叙階式のあとあべのハルカスに見物に行ったのだが、そこまで電車に乗っている時の話。
▼一組は新しい補佐司教の本を小脇に抱えた夫婦。関西の言葉だったのだが、内容的には「司教様のご本にたくさんのひとが殺到して、大変だったわよ」と言いつつ、自分は本を手に入れたのだとご満悦の様子。
▼もう一組は、「枢機卿というのは、日本全体に目配りするお方だから、忙しくなるに違いない」とこれまた枢機卿の任務について配偶者に得意げに話している。私が感心したのは、電車という公共の場で、離れた私にも聞こえるように大阪の人が信仰体験を語っておられたということだ。
▼私には偏見があった。大阪や東京の人は、信仰の話を電車のような公共の場で一切話したりはしないものだと思っていたわけだ。それがどうだろう。堂々と、私が司祭のシャツを身に着けていなければ「どんな話ですか」と会話の輪の中に入りたいくらいだった。
▼補佐司教の一人が「神さまはいつも人を驚かせることができる」といった挨拶をしておられたが、私にとっては都会の人が電車の中でその日起こった信仰の偉大な伝承を語り継いでいることが「力ある不思議なわざ」だった。

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今週の1枚
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第561回目。評議会議長と、その末っ子と枢機卿を囲んで。小教区報にも使いたい。

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