こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました

2016-08-15 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/160815.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
16/08/15(No.842)
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聖母の被昇天
(ルカ1:39-56)
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました
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聖母の被昇天の祭日を迎えました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(1・45)天に上げられたマリアを、エリサベトと同じ言葉で今日わたしたちもたたえることにしましょう。

初めてマリア様の御像の塗り直しを間近で見学しました。わたしは中田ザビエル工房という親戚を持っているにもかかわらず図工も美術も「2」でしたので、出来上がりには興味はあっても途中経過はあまり興味がなかったのです。けれども都合五日間、一つ一つの作業を見ているうちにだんだん興味を覚え、これはやりがいのある仕事だなぁと思いました。

聖母像は何種類かの色を使っています。わたしは、それぞれの色は全く関連なく塗り替えられるものだと思っていましたが、そうではないことを今回知りました。これまでの汚れを落とした後、ザビエル工房の中田さんは聖母像全体を白く塗り始めたのです。ベースとなる色、下地の色を塗る作業でした。

平日に始まった作業でしたので、平日に朝ミサに来てラジオ体操をする子供たちには、日々変化していく聖母像の様子を知ってもらおうと、聖母像の前に集めて観察を続けさせました。「マリア様の御像を、専門家にお願いして塗り直しをしてもらっています。昨日のマリア様と、今朝のマリア様は違っているはずです。どこが違っていますか?」

水色の部分も含め、全体が白く塗られたのですから、さすがに気づくでしょうと思いましたが、案外気づかないものです。「分からない」と言われました。ちょっとショックでしたが、「水色の帯も、足を置いている岩の土台も、すべて白く塗られているでしょう。このあとそれぞれの色を重ねて塗っていくそうです。作業が進んだ様子を、明日も見に来なさい」と促してこの日は帰しました。

幸いに、日一日と変化して作業が完成していく様子を見ることができた子供たちもいました。教会正面の聖母像は、今は立派な姿に生まれ変わっています。この聖母像の塗り替えを観察しながら、今年の聖母被昇天の説教のアイディアが浮かびました。最終的に、いくつかの色が塗られて立派な聖母像になるわけですが、その像も最初は下地の色となる「白」を塗った上で、色を重ねるということです。

つまりこういうことです。新しくされた聖母像は、マリアの一生に思いを向けさせていると思ったのです。マリアは自分を神の前に真っ白な状態で差し出し、神がその上に御業をおこなって、色が重ねられた。そのように考えてみたのです。

もし聖母像の塗り替えで、全体を白で塗り上げてから色を重ねることが無駄な作業であるなら、塗料も無駄になるし作業も一日無駄に費やすことになります。決してそうではないのです。聖母像は、何かの色が重ねられる前に、いったん真っ白にされて、そのおかげで素晴らしい色を重ねていくことができるのです。

実際のマリアの一生も、そうなのではないでしょうか。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1・38)神のお告げにこのように答えたマリアは、これからどのような神の御業が自分の上に起こるのか全く知りませんでしたが、すべてを差し出しました。

神はマリアの上に、心を剣で刺し貫かれる体験、奇跡を見る体験、さまざまな御業を成し遂げられました。それはひとことで言えば、「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」(1・49)ここに表されています。

一度真っ白に塗られた聖母像に、巧みにさまざまな色が塗り重ねられ、御像は見事に修復されました。マリアの生涯もそうです。最後には、目には見えない御業、天に上げられるという御業がマリアの生涯に塗り重ねられました。神がこれからなさろうとする御業にすっかり自分を差し出したので、天に上げられるという栄冠も含めて、マリアの生涯は完成されたのです。

マリアはわたしたちの手本となってくださいました。わたしたちの人生は神の御業によって色鮮やかにされていきます。そのためには、わたしたちは自分の人生をすっかり神に差し出す必要があるのです。「ここは神に協力できるけれどもここは譲れません。ご勘弁ください」こういう態度ではなく、「わたしの上にどのような御業が行われようとも、わたしはすっかりあなたに委ねます。」こんな覚悟を、聖母の取り次ぎによって願いたいのです。

「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」このように神をたたえるためには、まず自分自身をすっかり神に委ねる必要があります。「主がおっしゃったことは必ず実現する」そう信じて、全面的に協力する必要があると思います。

わたしたちが機会あるごとに自分をすっかり差し出すとき、「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」このマリアの賛美が実現するのだと思います。わたしたちは天に上げられたマリアを鏡に、これから何度も「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」という体験を積みたいと思います。

その上さらに、わたしたちの上に実現した神の御業を見て、キリスト教に触れたことのない人が「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と神を賛美することにつながりますように。わたしたちの賛美が、わたしたちの教えを知らない人の賛美につながりますように。被昇天の聖母の取り次ぎを願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第21主日
(ルカ13:22-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼今年の聖母被昇天の説教は年間第20主日の説教の前に準備を終えた。日曜日の説教を準備してから月曜日の聖母被昇天の説教の準備では間に合わないと思ったからだ。一度説教を準備して集中を緩め、またネジを締めて説教を準備する必要があるが、日曜日は気持ちを緩めて締め直せる自信がないと判断した。
▼方針に沿っていざ聖母被昇天の説教を準備し始めるとなかなか進まない。7日と8日は事情を抱えた方の葬儀が入って何もできず、10日の夜に机に向かい始めたが、まとまらない上にオリンピックも気になる。広島カープも初回の裏に1点入れたまま、とうとう9回裏まで相手の2点を跳ね返すことができなかった。この時点でもう夜10時。かつてならまだまだ粘っていただろうが、今は気持ちがついてきてくれない。仕方なく寝る準備をして、明日うまくいくことを願って床に就いた。
▼朝起きてみると、金メダルラッシュの放送が入り、説教はそっちのけで映像を何度も見てしまう。「あー、今日もダメか。今日も準備できないのか。」そう思っていたら少し神の助けがあったようで「何か形になりそうだ」と思ってもう一度ネジを締め直す。11日午後3時。エアコンを利用していても外の直射日光が気になるような時間帯。少しでも先に進めて、できれば11日中に聖母被昇天のメルマガ配信の予約を入れたい。
▼しかしそれでも頭は回らない。こうなったら最後の手段。原稿の量を半分に減らそう。いつも話している日常の話題は、たぶん14日の説教に盛るのだろうから、2日連続する必要はどこにもない。これで準備は整った。説教を書いて、配信まで済ませよう。

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今週の1枚
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第449回目。塗り直しをお願いしていた聖母像は美しさを取り戻した。

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† 神に感謝 †
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