Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

迷信と差別

2008年06月11日 06時00分10秒 | Weblog
 NYTの記事である。タンザニアの話で当地では黒人社会の中で目立つ先天性色素欠乏症の人に関して迷信があり、その皮膚や骨は人を裕福にすると信じられているため、彼らは殺され、そして、目はえぐられるわ、足はもぎ取られるわの事件が続出している、という。
 先天的なハンディキャップの上に迫害されるのである。

 彼の地で起きている愚かしくも痛ましい事件といえば、それまでだが、ある意味、差別とは程度の差こそあれ、似たりよったりではないだろか?

 中国でも韓国でもイギリスでもなんでもいいが、たとえば、中国で生まれ、中国人の両親に育てられたからといってある個人はしかじかである、という特定の属性が導かれるわけではない。そのように感じてしまうとすれば、それは迷信である。

 このことははっきりしておくべきだ。

 例えば、石平氏や、呉善花女史などは、それぞれ中国・韓国で生まれ育ったが、今では日本を愛する日本人なっておられる。

 中国人や韓国人を十把一絡げに扱うのは氏たちへの侮辱であり、失礼であろう。
 いまだ帰化されてない在日外国人、あるいは、海外での日本ファンの外国人にしても同じである。不当な偏見・批難に対して一生懸命頑張ってくれている英語圏の外国人の方も多い。こうした方々へのご恩を忘れてはいけない。そして、これらのひとは皆仲間ではないか。

 味方になってくれるひと、味方に潜在的になる人まで敵にしてしまってはしょうがない。

 そして、十把一絡げにするような言動は味方よりも敵を多くつくり、ひいては自分の首を絞めているのだ、ということも自覚すべきだ。
 
 また、そうした言説は国内的にも、国際的に許容されるものでもない。

 理想の日本や日本に対する思いはいろいろあってもいいと思うが、やはり敵はなるべく少なく、仲間は増やしたほうがいいに決まっている。もちろん媚びる必要もない。あるときは無視、あるいは、断絶が一番いい関係という場合だってあるかもしれないが、できれば、より多くの国、より多くの国民と友好を築けたらそれがいい。

 ある政府のあからさまな反日政策やメディアの反日記事を叩くのは別だ。日本および日本人に対する正当な批判を超えた悪意ある論評は徹底的に叩いていくべきだ。そして、その場合、その政策、その記事に対して、議論を尽くせばよいのであって、それは国民や人種一般、あるいは特定の文化に言及することなくできるはずだ。
(まっ、ここいらはおいらも気をつけなくてはならん・・・)

 因みに、ある行為をそれはその国の固有の文化だから、という防衛法は議論としては非常に難しいということは知っておこう。

 仮に殺人という行為がある文化固有の慣習だったとしても、それが正しいとは限らないからだ。
 まあ、ここらへん、わりに議論が複雑なので、ちょっと詳しい記事は、Moral relativety を参照にしていただければありがたい。
 (仮にするとしてもかなり複雑な議論が必要である。)

 



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