Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

格差

2007年09月27日 05時03分20秒 | Weblog
 民主党の小沢氏は都市と地方の格差を作った政策をタネに自民党を攻め込むらしい。
 しかし、これには、神門氏などの反対説がある。農家は個別保障などを求めているわけでなく、大半の農家は公共事業がなくなってうまみがなくなったことを不満にもっているものの、先進的な農家はむしろ外国人を正規の労働者として認めてもらいたがっている。
 むしろ深刻なのは都市部におけるフリーターなどと非正規労働者との格差かもしれない。この点、池田信夫氏は一連の投稿は面白い。
厚労省にはフリーターが見えないのか
丸山眞男をひっぱたけ
 正規正社員は組合などで厚く保護されている一方、フリーターなどの非組織的労働者は低賃金でまた、その保護も薄い。またそうした組合に保護された既得権益がこうしたフリーターの人々の流動化を阻害している。これらの人々の不満も大きい。

 「格差」という言葉ははマルクス主義が人々に訴えてきた古びた文句ではある。そして、日本のインテリの大半が一度はマルクス主義に陶冶されている。しかし、格差そのものに訴えることが政治勢力につながるか、どうか?
 都会の下町では、比較的低所得者がわりに幸せそうにくらしている。
 六本木の金持ちあたりに嫉妬がないと言えば嘘だろう、彼らがずっこければちょっと愉快な気にもなるのであるが、しかし、そうした成り上がりの想像を絶する生活は文字通り想像を絶しているのであって、彼らとの格差が生活の関心の的になることは薄いのでないだろうか?
 そこそこの生活ができて、病気のときや老後にそのそこそこの生活が保障されていれば、負け組の生活は勝ち組の生活より、案外楽しい。年金問題が国民の怒りを買ったのも、この最低線の生活保障ラインを冒涜するものだったからだろう。
 もっとも、組合の問題はあろう。労働者の権利を守る為の組合の既得権益が社会や他の非正規労働者の生活を圧迫しているというのは皮肉なことだ。解雇の自由化と並行した中途採用の幅の拡大化は興味ある提言である。単純に解雇の自由化などと言えば反発必至であろう。まずは、自治労の怠慢、非効率、傲慢な体質とその社会に与える弊害などを切り口に訴えていけば、国民は納得するのではないだろうか。
 格差という言葉に訴えることは、国民の嫉妬心に訴えて有効なときもあろう。また、無制限な格差が許されるというものではない。ロールズなどの、格差是正の原理は支持されても良い。その意味で非常に大きな枠のなかでは妥当な議論ではあろう。しかし、具体的に日本社会を改善する方向にもっていく概念としては具体性や現実味、生活感が欠ける議論のように思える。




 

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