Right and Good
正当性と善さ
Right Action → Duty
→ Right
法律や規則に適った行為が正しい、正当な行為であり、例えば、他人の公園を使う権利を尊重する義務があるからだ、ゴミを散らかないのは、正当で、正しいことだ、などと言う。
Being Good → Character
→ Relations
善人とは徳のある人であり、感謝に満ちている人とか、高潔であるとか、節約家であるとか、人物の性格に関わることであり、例えば、高潔でしかも、花の美しさを感謝する人は、公園の花壇にごみを捨てない、などといった言い方をする。
The Good and The Right
良い、というのは、一般に何かにとって、良い、ということで、何かの ためになる、役に立つ、効果的だ、ということであり、目的論的に論じられる場面で使われる。
これに対して、正しい、正当な、というのは、規則、原則や規制や法律に合致しているということであり、義務論的に論じられる場面で使われる。
あることが良い、というときは、何かにとって良い、ということで、何かが正当である、というのは、何らかの規則に従えば、それは正当である、ということである。
良いか、どうか、調べるには、より幸せになっているか、より満足しているなど、それが良いかどうか、観察できるが、正しいかどうかの規則は、観察することはできない。
何が良いかは、何で幸せになるか、健康になるか、どうしたら繁栄するか、によって明らかになるが、何が正しいか、については、一致した意見はない。
また、
前提1 正直で、愛想のよい人は人と仲良し
である。
前提2 太郎は、人と仲良く
したい。
結論 太郎は、正直で、愛想よく
すべき。
というように、目的的文脈であれば、である、から、すべき を導くのは容易である。
さらに、例えば、自分がユダヤ人をかくまっていて、ナチのSSがユダヤ人狩りをしにきたとき、 嘘をつくのは正しくない、無実の人を傷つけるのは正しくない、という原則があったとして、どちらを優先するかを定式化するのは、面倒だが、どちらが、より危害があるか、という効果の観点から考えると、嘘をいったほうがまし、ということが簡単に導ける。
目的論的倫理の枠組みからは、ある規則が他の規則より良く、また、良いことをすべきなのは、それで幸せになり、しないよりも、したほうが気持ちがいいから、という簡単な答えがでるが、正しいことをすべきなのは、なぜか、というのは、結局、この目的論的枠組みからしか答えは出ない。その上、規則に従った正しいことばかりやろうとしている人は、窮屈で、悲惨なことになっている人が多い、と。
ーーーいろいろ議論のあるところでしょうけど、2番目の記事の著者は、以上から、良さ、倫理的な良さ=善さの枠組みの方が優れている、と結論付けています。