まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

法水の流れて清し秋彼岸

2020年09月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、夜には雨の降る所があるらしい。気温は23度から28度、湿度は80%から68%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、朝晩は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 103/50/79 36.2c-98% 60.5Kg 25.3c-60%-1014hPa 体調に変化はない。

  

 お彼岸の中日が過ぎて間もなくだから、今日か明日かが昼と夜との時間が同じになる頃らしいが、それにしても日の暮れるのが早くなったし、朝が来るのが遅くなった感じがする。朝の4時半といえば、まだまだ真っ暗だ。朝の6時になってもまだ薄暗い。

 

 今朝の体重である。やはり、尿管が詰まっていたようで開削すると安定してきた。これでもまだ水分が多い方だと思う。58Kgくらいにはなりそうな気がするが、どうしても喉が渇くとかで水分を摂ってしまう。

 

 四連休が明けたので、JAさんの支店に行ってきた。自治会費後期分の預け入れとお賽銭の入金とを済ませ、今度は赤い羽根共同募金のお金と歳末たすけあいのお金を引き出して、さらに郷社の祭典費の振り込みを済ませておく。今年は秋の例大祭はお休みなのに、祭典費は「年会費」だから納入せよとのお達しである。

 

 私は神さんなんぞ信じてはおらんし、氏子になったこともないのだが、神社の方はおかまいなしに「一世帯いくら」と言ってくるし、自治会長になれば、自動的に「氏子総代」になるのらしい。わたし一人がわがまま言っても無駄だからと黙って一年を過ごすしかない。

 

 これが終われば、自治会長のお仕事も終わったも同然。大きなお仕事は片付いたよう。後は毎月の電気代と水道代の支払いくらいなものだ。ま、毎月の広報の配布は続くのだけど。

 

 会計帳簿の記載も忘れずにやっておく。最近の物忘れはひどいものがある。こうして、毎日のブログに記録しておかないと、何をしたのかがわからなくなる。昨日の昼に何を食べたのか、昨日は何をしていたのかさえ、すっかりと記憶の彼方に飛んでしまう。そういうときには、このブログが役に立つ。役に立つが、このブログには不思議と夕食の記事がない。

 

 さて、JAさんの会計の待ち時間に、例の闘病記を眺めていたら、「はじめのことば」からミスがある。香川大学医学部付属病院には「救命救急センター」があるが、この闘病記では「救急救命センター」と記載されている箇所が実に七カ所もあった。普通の人にはどっちでもいいようなものだが、こと、香川医大付属病院の看護師さんに贈る本ではまずかろうということで、またしても書き直しの印刷し直しの製本のやり直しになった。

 

 「今日のお昼はおそうめんか、おでんの残りを食べておいてね」と奥方は出て行ったが、いまどき、そうめんかいな・・・と思ったけれど、「あたたかいそうめん」だってあるじゃろうと調べてみたら、どんどんとレシピがあふれ出てきた。そこで、「焼き鯖そうめん」というものを作ってみた。

 

 サバ缶の鯖をオーブントースターで焼いてみた。少し焼きすぎたかも。そのサバ缶の出汁や砂糖、醤油、みりん、酒、白だし、水などを煮立て、その中にそうめんを投げ入れてじっくりと味をしみこませる。まずまずの味になった。なかなかにいいそうめんになったなぁと自画自賛。

 

 食べ終わってから、長浜名物の「焼き鯖そうめん」を調べてみたら、余った出汁は掛けないようで水分が見えない。おだしナシというのは食べにくそうだが、どんなものだろうかね。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。そうか、そうなのか、忘れることがしあわせなのか。(注 法水: 仏法が衆生の煩悩を洗い清めるのを、水にたとえていう語。法雨。ほっすい)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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