まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

南天に後生後生の声が降る

2021年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.0度から13.9度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で午前中は概ね曇り、朝から昼前にかけて雨の降る所がある見込みらしい。午後は、次第に冬型の気圧配置となるため晴れるらしい。

 

 110/57/79 36.3c-99% 63.2Kg 19.4c-38%-1020hPa 体調に変化はない。

  

 今日は風もなくて暖かそうなので「現地に行こう」「現物に触ろう」ということで、大窪寺周辺の遍路道調査に出掛けてみた。

 

 今日は30丁石から1丁石までを調べてみた。この標識の「国境」は”くにざかい”と読んで”こっきょう”とは読まない。阿波と讃岐の国境近くにある標識である。

 

 こういう川沿いの道を歩いてきて、ここから先は川の中を右に行ったり左に行ったりして大窪寺に向かったところ。

 

 こういう川の中の水のない場所を選びながら大窪寺に向かったという。だから、途中で足を滑られてケガをしたり命を落とす遍路もいたという。そういう過酷な旅だったという。歩き疲れて足を滑られて落命したお遍路のお墓も多い場所の一つであったという。

 

 この杉木立の左は川である。これが昔の遍路道だという。特に歩きやすい場所で評判もいいへんろ道である。16丁石、15丁石があるところ。

 

 へんろ道にはこうした標識も設置されている。

 

 この八丁石というのは現在の国道377号線沿いに移転されている。大窪寺方面へは旧のへんろ道が続いている。

 

 で、三丁石まで戻って来た。二丁石は仁王門や大師堂建設のために、ミニ四国の石仏群の中に移転されている。

 

 そして最期の「一丁石」である。しかしのかかし、この一丁石も移転されたようで、山門に至る参道はすぐそこにある。あまりにも近いなぁと思うばかりである。でも、遍路道研究家の先生たちは、そのことに全く触れない。いつ、誰が建てたかというお話ばかりになる。

 

 この修行大師像は四国最大かと調べてみたが、そのような情報はなかった。これよりも大きな修行大師像がほかにもあるのだろうか。

 

 今日の大窪寺。おまいりの人がちらほらと。手水場の氷もほぼ溶けていた。

 

 で、調べてきた旧へんろ道と、その図上に移転される前の道しるべ石を推定で置いてみた。こうしてみると、通らなくなった旧へんろ道と同じような位置に、国道377号線沿いに丁石が移転されていることがわかる。あくまで推定である。遍路道も時代によって変わっているし、実際に測量をした訳でもないので。

 

 今日の掲示板はこれ。「「私は正しい」すべての争いの根は ここにある」というもの。最近、いろんな出来事に対して、多くの人が、自分は正しいと信じて、SNSやツィッターで発信をし、一生懸命に行動されてるのを目にする。もちろん、正しいと信じる気持ちはとても大切だし、それを否定するつもりは毛頭ないが、ただ、どんなにそれが本当に正しいことだったとしても、その正しいことを追求するために、あるいは、守るために、それと反することを悪と決めつけてしまったとき、その正しかったはずのことが、今度は逆に、悪というものに転じてしまうことだってあると思うのだ。そして、そのことの、とても怖いところは、その当事者の人たちは、そのことに、なかなか気づかないということ。気がついたときは、取り返しがつかない(と思えるような)状況になっていることが、少なくないのでは、と思えてならない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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