まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

青空は 音湧くところ 山つばき

2017年03月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.9度から16.8度、湿度は94%から44%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の20日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 この集落の、今年度最後の行事が、「地神さん」である。地神さんというのは、「社日」におまつりをするもので、社日は、春・秋の彼岸に一番近い「戌」の日である。その日は、農耕を休み、「地神さん」の周りで祭礼を行う。その日に農作業をすると地神さんの頭に鍬を打ち込むことになるといわれ、忙しい時期ではあるが、総ての農家が農作業を休んだ。

 

  「地神さん」の周りには注連縄を張り、のぼりを立て、沢山の供物が供えられた。時間が来ると、その供え物は子供達に分け与えられる。その日、子供は「地神さん」の周りに集まり、お下がりを頂くのが楽しみであった。しかし、そんな子供たちもいなくなってしまった。

 

 午前7時集合ということだったが、6時半にはすでに半分ほどが終わっていて、午前7時前には、我が家に戻っていた。この集落は、そんな集落なのである。

 

 奥方の「けいこばぁ」が、退屈そうにしていたので、「涅槃桜」を見に行こうと誘った。場所は、善通寺市にある「善通寺」という大きなお寺である。

 

 こういう具合に満開状態で、多くの見物客がカメラやスマホをかざしていた。

 

 正式には、「明正寺桜」というのだが、花が開くのが釈尊の入滅した3月15日ごろのために、「涅槃桜」と言われているらしい。

 

 花びらが白っぽくて香りも強い。

 

 桜だけではもったいないので、「親鸞堂」にもお参りしたし。

 

 法然上人逆修塔にもおまいりしてきた。善通寺境内東南の隅「五重の塔」の横に法然上人逆修塔(堂)がある。この善通寺は天笠八塔の土を敷いて建立せられた霊場であるため、法然上人は深く崇敬せられ「一度この地に詣でなんともがらは一佛浄土の友たるべし」と申され、生前に自らの菩提を祈るため、また、多くの人の法縁を結ばんがため、この逆修供養の宝塔を建立されたと伝えられる。話として、ご自身の爪髪を収めたとも。

 

 これがその、「逆修塔」である。なんで、弘法大師の生誕地である、真言宗善通寺派の総本山「善通寺」に、親鸞堂や法然上人逆修塔があるのかは、現地でご確認のほどを・・・。

 

 この、五重塔のすぐ横にあるので、よく目につくと思う。

 

 帰宅するとすぐに「自治会館」に向かう。案内は15時から・・・ということだが、朝と同様に、30分前の14時半には全員がそろっている。そして、全員で「二礼二拍手一礼」しておしまい。

 

 あとは、パンとお茶で座談会。「シカが罠にかかっていた」とか、「ハクビシンが何度もワナにかかっていた」とか、「イノシシがタケノコを掘ってある」とか・・・、毎度の情報交換である。

 

 1時間ほどの情報交換が終わると解散。私は、地神さん、山の神さん、お地蔵さんのお賽銭を集めて回り、これを自治会会計に入金して、自治会長のお仕事は終わる。あとは、自治会総会で次期会長を決めておしまい。

 

  今日の掲示板はこれ。「思った通りにはならないが やった通りにはなる」という荒了寛さんの言葉から。ある画家志望の男の話である。その画家はせっせと自分で絵を描き、それを売りに出すけれど、なかなか絵を買ってくれる人は現れない。何とかしようと考えた男は、自分の絵を引き立てるために自分の手で彫刻を施した独自の額縁を作っては、自分の絵を入れて売りに出してみた。しばらくして、絵が売れ出した。男は努力の甲斐があったと、大変喜んだが、そのうち男は、画家を目指している自分にとっては、残酷ともいえる事実に気がついてしまった。「私の絵を買ってくれた人達は、私の絵を気に入って買ってくれたのではなく、額縁の方が欲しかったんだ。」一時はその現実に失意のどん底に陥った男であったが、やがて新しい光明を見いだすのである。「私の額縁を気に入ってくれる人達のために、額縁の職人としてやっていこう。」今までの夢ではなく現実を受け入れた彼は、その後、独自の額縁を作り出す職人として成功するのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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