まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あの頃の 色のままなり 百合の花

2016年06月25日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響により、曇りで雨の降っている所があった。気温は25.1度から22.4度、湿度は90%から83%。風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の26日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 典型的な梅雨の天候。今朝も身体が重くて眠たくて、おまけにおなかが張って仕方がない。利尿剤の効き目が悪くなったのか・・・。「今日はお昼まで頑張ってくるわ♪」と奥方が言うので、「今日は金曜日、しっかりと一日働いて来てよ~」と言うと、「あ、そっかぁ~」なんて言うたものの、パソコンでカレンダーをみたら、やっぱり土曜日だった。ボケが進み出したんだろうか。

 

 作業が中途半端になっている遍路札調査。今は「願文」と呼ばれる「四文字熟語」を調べていた。この札だと、上部の左右にある「天下泰平」「国家安全」という語句を調査している。

 

 これはまた奇妙な書体。筆文字で、よくまぁ、こんな字が書けるもんだ。

 

 これはまた奇妙な色札。この頃には、回った回数で色が変わる・・と言う習慣はない。何かの願掛けなんだろうか。こういうのは千枚あって一枚あるかどうか・・・。今日は1200番から1900番までの調べが済んだ。あと少しだ。

 

 かたつむりのようなゆっくりとしたお仕事になっている。

 

 少しバージョンアップした自分史年表。わが家にテレビがやってきたのはいつ頃だろうかと思案していた。この年表の少し下に、昭和38年に大川ダムが完成したとある。このときに、当時の集落の8軒の人が夕方の6時からダムの完成式典のニュースを見るために集まっていた。だから、それまでは、みな、テレビなんぞ持っていなかったことになる。で、チャンネルを回しながらニュースを追いかけて9時過ぎまでねばっていたのを思い出す。

 

 親戚の叔父さんが電機製品の取り扱いをやっていて、半ば押しつけのように、自分のノルマ達成のために置いて行ったようなもの。だからこのあたりの山奥の集落でははるかに早かった。

 

 こういうアニメ、フィリックスとかいうネコが走り回っていたような記憶がある。それとかポパイとか。

 

 昨夜、どこかのテレビで、この映像が流れていたが、この時は小学校近くの老人ホームで見ていた。なんで、老人ホームに行ったのかは覚えていない。

 

 この「番頭さんと丁稚どん」はあちこちで見せてもらったが、わが家でもしっかりと見ていた。ということは、昭和の33年から35年の間・・・くらい。34年の秋だったかも知れない。白馬童子や少年探偵団もあった。

 

 てなもんや三度笠や、

 

 とんま天狗は家で見ていた記憶がある。

 

 こういう手回しローラーのついた洗濯機も中学生の時には置いてあった。これで教室のカーテンを洗って褒められた記憶があるから確かだ。こんな風に、少しずつ記憶をひねり出して行く。

  

 今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。 それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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