ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

貧幸農法

2014年04月04日 | 通信-環境・自然

 私は、まだ見習い農夫なのだが、難しいらしい自然農法を目指している。近所の農夫仲間たちは除草剤を使い、殺虫剤も使っていて、88歳のN爺様には「肥料をあげないでどうする。あんたはご飯を食べるだろ?それが栄養であんたも生きている。野菜も一緒だ、栄養をあげないと育たないよ」と注意されている。88歳の爺様に楯突くようで申し訳ないのだが、それでも私は肥料をあげない。口にはしないが、「私は粗食小食で元気に生きている。野菜も粗食小食で元気に育つと思う。大きくはならないかもしれないけど」と心の中では思っている。作物は、土と太陽と水があれば育つはずだ。
 自然農法を目指していると言っても、私の自然農法はテーゲー(大概:いい加減)である。ちゃんとした自然農法では「農薬使わない、肥料あげない、耕さない、除草しない」といった縛りがあるが、私は縛られるのが嫌いなので、「絶対そうしなければならない」などとはちっとも思っていない。よって、それらを厳しくは守っていない。大雑把に耕して、大ざっぱに除草もしている。肥料も有機のものであれば少しはあげている。ただ、化学肥料や殺虫剤については危険を感じているので使わないようにしている。ちなみに、私は縛るのも嫌いなので、女性相手のSMプレイも嫌いである・・・関係ないが。

  あまり厳しくない私の自然農法なので、隣の畑で農薬を使っていてもさほど気にしていない。隣の先輩農夫Tさんも薬を撒く時は私に遠慮しているのか、飛び散らない様静かに撒いている。それでも風に乗って僅かな量は飛んでくるかもしれないが気にしない。
 私は薬を飲まない。風邪を引いても、頭痛、腹痛の際も薬に頼らず根性で治している。インフルエンザワクチンなんてのも打たない。私の感性では、化学物質の塊である薬品を体の中に直接入れることに比べれば、少々の農薬がかかった野菜を食べることはさほどの脅威ではないと思っている。さらに言えば、隣のTさんと不仲になった場合の、精神的ストレスの方がもっと体に悪い。平和であることが大事だと思っている。
          

 自然農法の目的、私は安心安全野菜を作ることを第一にしているわけでは無い。先々週のガジ丸通信『幸せの種』の中で「300坪の畑で私が目指している自給自足は、外からなるべく何も入れずに作物が採れること。何も入れずの「何」は肥料類もあるが、大本の種もある。」と書いたが、「外からなるべく何も入れず」なので、化学肥料も有機肥料も使わないということになるわけだ。もう少し正確に言うと、「なるべくお金を使わずに自給自足したい」となる。なので、殺虫剤も除草剤も買わない使わないとなる。
  こう書きながら、改めて思った。「私は自然農法を目指している」という言い方は正確ではないということを。自然農法自体が、私が目指しているものとはどうも違うようである。「肥料買わない、農薬買わない」という私の信条が「肥料使わない、農薬使わない」となって、結果的に自然農法に近い形になっているに過ぎないのだ。
 そう、私はもう「自然農法を目指している」などとは言わないようにしよう。私が目指しているのは、お金が無くても自給自足ができる農法だ。謂わば、貧乏農法である。貧乏だけど、自作の安心安全野菜を食べて元気、しかも自然農法とは違い、耕したり、草抜いたりの労働はするので程良い運動にもなる。健康的だ。健康は幸せに繋がる。そうだ、私の農法は、貧乏幸福農法、略して貧幸農法であると、これからは言うようにしよう。
          

 記:2014.4.4 島乃ガジ丸


ニセダイコンアブラムシ

2014年04月04日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 ダイコンを奪った奴

 私の料理歴は永い。高校二年生の頃、母が商売を始め、プレハブの店舗の一角に四畳半の部屋を設け、そこに店番を兼ねて私が住んだ。母は夕方には家に帰ったので、16歳の少年は一人住まいとなった。母はほぼ毎日やってきて弁当を持ってきたり、晩飯を作ってくれたりしたが、母の休みの日や朝飯は自分で作ることが多かった。
 大学生活も概ね一人住まいで、大学卒業後の7~8年は実家で両親と一緒だったが、その後はずっと一人暮らし。結婚することも無く、同棲することも無く、食事を作ってくれる恋人もほとんどできず、ずーーーっと一人。ずっと、独り。
  料理するのは好きである。先ず、酒が好きというのが先にあるかもしれない。酒の肴を作るのが好きといってもいいかもしれない。ついでにご飯のおかずも作っている。
 冬場の料理は鍋が多く登場する。私の鍋料理、1度作ると2週間くらい続く。先ずは魚介類の水炊きをし、ポン酢で食う。魚介類はタラが先で、エビ、カニ、ホタテ、カキと続く。鍋の汁はその時点で魚介類の旨味が十分出ている。その次に鶏肉、または豚肉を加えて、それもまた、ポン酢で食う。その後は和風おでんとなり、最後に沖縄風おでん(テビチ:豚足が入る)となって、残った汁にうどんを入れて、食って終わる。

  鍋料理に欠かせない野菜の一つにダイコンがある。野菜は自給自足するのを信条としているので、私の畑にもダイコンの種を播いた。1畝(約3坪)分播いた。80本程度が収穫できる見込みであった。播いた種の多くは発芽した。ところが、いつまで経っても大きくならない。葉が成長しない。どころか、どんどん枯れていって、収穫時期の1月に4株ほどが残っている惨状となってしまった。収穫できたのはその内の2株だけ、それもたった10センチ程の長さしか無く、直径も2センチ程しかなかった。
 私のダイコンを奪った犯人は判っていた。犯人は堂々とダイコンの葉にたかっていた。全てのダイコンの、全ての葉にたかっていた。犯人が数匹であれば手で獲って除去したのだが、夥しい数だったのでそれは諦めた。作物に殺虫剤を使うのは禁止しているので、収穫もほぼ諦めた。よって、「鍋料理に自作ダイコン」も、この冬は諦めた。

 
 ニセダイコンアブラムシ(贋大根油虫):半翅目の昆虫
 アブラムシ科の昆虫 世界各地に分布 方言名:不詳
 名前の由来は資料が無く詳しくは不明。漢字表記の油虫は広辞苑にあり、アブラムシの多くは腹端から甘露と呼ばれる蜜を分泌する。その蜜を油に見立てたのかもしれない。大根はダイコンによく付くからであろうと思われる。ニセについては贋という字を勝手に充てたが、何が贋なのか根拠は無く、贋以外にニセの意味を思い付かなかった。
 別名をアリマキというが、その由来は『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「アリの牧場という意味でアリマキ(蟻牧)」とあった。分泌する蜜をアリが好んで、そのためにアリはアブラムシを保護するとのこと。アリがアブラムシを養っているという意味。
 体長、無翅胎生雌虫で1.7ミリ内外。「体色は暗緑色から淡緑褐色、緑橙黄色まである」とのことだが、あんまり小さくて私の目ではよく確認できない。
 「沖縄では秋から春にかけてキャベツ、ダイコンなどの新芽や葉裏に大きなコロニーを作り、モモアカアブラムシと混生する」とのことだが、これまで私の畑のキャベツについているのを見ていない、あるいは気付いていない。ダイコンには夥しくついている。
 出現は周年。寄主はアブラナ科植物。ウイルス病を媒介する。
 
 ダイコンの葉裏の集団

 記:2014.4.11 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行