ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

竹槍で戦車に立ち向かうが如く

2013年08月23日 | 通信-環境・自然

 太平洋戦争末期、武器の調達もままならない日本は竹槍で戦車に立ち向かった者もいたという話を何かの本で読んだか、映画かドラマで観たことがある。無理だ、無謀だと解ってはいてもそうする以外に術を見い出せなかったのであろう。平和な世の中に住んでいる私のような呑気な人間は、「白旗揚げろよ」とすぐ思ってしまうのだが。

 範囲の狭い局地的な雨、雨雲が半分空を覆い、こっちは雨が降っているけど向こうは晴れていることを和語では「狐の嫁入り」とか言うようだが、沖縄ではカタブイ(片降り)と言う。8月中旬から沖縄はカタブイが多かった。
 8月中旬から「昨日はすごい雨だったねぇ」と那覇の人が言うのを2、3度聞いたが、私の畑ナッピバルには1滴の雨も無かった。8月中旬のある日、畑へ出勤時、アパートの周辺は雨に濡れていた。畑へ向かう途中から雨の跡は無かった。畑はちっとも濡れていなかった。私の住むアパートは沖縄島の東西の真ん中、太平洋にも東シナ海にも同じ位の距離にあって、丘のようになっている。私の畑ナッピバルは太平洋に近い。那覇は東シナ海側にある。カタブイは丘を境にして東シナ海側に多くあり、太平洋側にはあまり無いという気象現象となっているみたいである。(素人考えで詳細は不明)
  ナッピバルの土面が濡れたのは8月13日、しかしそれはセミの小便程度で1時間もしない内に乾いた。17日の未明に雨が降ったようで、その時は表層3センチくらい湿っていた。その後も短い時間の雨がちょこちょこ降って、21日には表層10センチまで濡れた。だけど、そんなものではまだまだ水不足解消には至らない。そんなものでは野菜は元気にならない。落花生は去年に比べると1株の実着きが四分の一も無い。

 落花生以外の夏野菜では、ヘチマ、ゴーヤー、モーウイ(白瓜)、シブイ(冬瓜)、スイカ、キュウリ、オクラのうち、ヘチマ、シブイ、スイカは1個の実も着けないままに枯れ、モーウイは1個、キュウリは2個収穫できただけで枯れ、かろうじてオクラが1日に2~3個、ゴーヤーが週に1~2本収穫できているだけ。
 というわけで、4月2日にニンジン400円分を売り上げて以来、畑からの現金収入はゼロ。5月と6月に1回ずつビートを友人の食い物屋に持っていき、物々交換をし、金に換算すると1000円(先方の好意で高め)ほどになったが、7月以降はビートも育ちが悪くなり、物々交換もできなくなっている。収入ゼロが続いている。
          

  雨不足に農夫は嘆いていたのだが、21日、台風12号の強風圏に入って、夜中から強い風になった。台風対策を万全にはやっていなかったので朝早く畑へ出た。空は黒い雲が覆っている。「あー、これで水不足から抜けられるかも」と期待できた。
 ところが、安堵したのも束の間、台風12号の風は「強風圏?暴風圏じゃないの?」と思うくらい強かった。干ばつの中でもすくすくと順調に育っていたバナナ4本が倒されていた。バナナは現金収入のための優良作物だ、大いにショックを受ける。
 干ばつに踏まれ、台風に蹴られた気分の新米農夫は、自然は強大で、人間は弱小であることをつくづく思い知らされた。竹槍で戦車に立ち向かっているみたいだと思った。でもまだ、白旗は揚げない。新米農夫の竹槍が戦車を止める日が来る、かもよ。
          

 記:2013.8.23 島乃ガジ丸


南風原黄金森公園

2013年08月23日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 3年前に父が他界し、住む人のいなくなった実家を売却するために家財道具の整理処分をしていたら「戦利品」が見つかった。日本軍の銃剣と米軍の水筒とフライパン。生前の父から「戦争中にオジーが拾ってきたものだ」と聞かされていたもの。
 戦前から戦中、戦後、昭和30年頃まで、祖父とその一家は、南風原町に住んでいた。銃剣と水筒とフライパンは、畑に倒れていた兵士たちと一緒にあったものらしい。銃剣は父が手入れしていたようで、錆は少なく、殺傷能力もあると思われた。
 「銃刀法違反だなこりゃ。博物館へ寄贈だな」とすぐに判断した。沖縄県立博物館は実家から近い、歩いても10分少々の距離。だが、寄贈相手はそこでは無く、南風原文化センターとした。南風原で拾ったものは南風原に返そうという考えだ。
 南風原文化センターに電話し、「こういったものがあるが要りますか?」と聞いたら「ぜひ」という返事だったので、過日、そこを訪ね、上記の3品を寄贈した。
     
     

 南風原文化センターの建物は新しかった。訊けば2009年オープンとのこと。文化センターという名前からは「どういうところ?」とイメージが掴みにくいが、町の博物館といったようなもの。館内は南風原町(私が子供の頃は村だった)の歴史や文化に関わる資料が展示されている。見やすくて分かりやすい展示内容であった。
 黄金森公園には同センターの他、陸上競技場、野球場の運動施設があり、中央公民館があり、観光施設としては史跡であり戦跡である沖縄陸軍病院南風原壕群跡がある。平和教育のための施設として生徒たちの見学場所、修学旅行の見学場所に向くと思う。

 黄金森公園についての詳しいこと(面積や見取図等)の載っている資料は無かったが、私が散策した限りでいえば、散策場所としては・・・たまたま、私は炎天下の中を歩いて暑い思いをし、たっぷりの汗をかいてしまったが、涼しくなれば十分楽しいと思う。
  おそらく、南風原の原生林を残していると思われ、植物の種類も豊富で、ところどころに樹木札もあり、植物の勉強もできる。6月末の糞暑い時期、花の咲いている植物はクワズイモくらいしか無かったが、シマヤマヒハツにはたくさんの実が着いていた。
 もちろん、動物も多くいる。私が見た限りでいえばキジバト、メジロ、ヒヨドリ、イソヒヨドリなどが多くいた。私の知らない鳥も1種見つけたが、撮った写真はボケていて何者か不明。セミはサンサナー(クマゼミ)が煩く鳴いていた。チョウは私の畑でも見られるもの、シロオビアゲハ、アオスジアゲハ、ナガサキアゲハ、ミスジチョウなどがここでも多く飛んでいた。私の畑や住む周辺では見られないモンキアゲハもいた。私の目には止まらなかったが、おそらくカブトムシやクワガタムシも多くいると思われる。夏休み、虫取りの好きな子供達にとっては宝の山となるはずだ。
     
     

 南風原町立南風原文化センター →公式サイト
 住所:沖縄県島尻郡南風原町喜屋武257番地
 電話:090-889-7399 FAX:098-889-0529
 開館時間:午前9時~午後6時
 休館日:毎週水曜日、及び12月29日~1月3日
 展示内容:南風原・沖縄に関する生活文化歴史に関する資料、沖縄戦に関する資料。

 記:2013.8.4 ガジ丸 →沖縄の生活目次