ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ユーフルヤー

2011年05月27日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 父の一年忌で、姉、弟、従姉(子供の頃一緒に暮らしていた)らと、子供の頃の、近所に住んでいた同級生の話になった。向かいのIさんとこの長男は誰の同級生、三軒隣のSさんとこの二男は誰の同級生、などといった話。みんなで昔、40年以上も昔を思い出す。実家のある通りには14世帯ほどあったが、その中に姉の同級生が3人いて、私と従姉の同級生は0人で、弟の同級生は「たぶん2人」とのことであった。
 弟の「たぶん2人」の内一人は、私も名前を覚えていた。ミンルーという愛称であった。当時、実家のある通りの14世帯ほどには、2学年上の姉から4学年下の弟の年代までの子供が、私が覚えているだけで、私たち3人を含め15人はいた。その内、私が名前を覚えているのは、両隣りの3人の他にはミンルーとその兄と、あと2人位しかいない。

 その頃、普段の日は、学校のクラスや、近くに住む同級生たちと遊ぶことが多かったが、休みの日などは隣近所の子供たちの何人かともよく遊んでいた。よく遊んでいた子供は名前を覚えているわけだ。しかし、ミンルーとその兄は同学年でも無く、よく遊ぶ仲間でも無かった。なのに、名前を覚えている。何故?・・・理由はある。
 ミンルーと弟は仲良しで、二人でよく遊んでいた。「沖縄に来て、誰か会いたい人はいるか?」と弟に訊くと、「一人だけいる。ミンルー。」と答えるくらいだ。弟とミンルーが一緒に遊んでいて、家にもよく来ていて、で、私は彼のことを覚えているのだ。

  ミンルーの家は向かいの家の2軒隣で、そこは銭湯であった。その頃、実家に風呂はあったのだが、小学校低学年までは銭湯に行くことが多かった。すぐ近くだし、銭湯は楽しかったからだ。銭湯に行くと、同級生たちに会うこともあったし、何より、湯船が大きいので泳ぐことができた。まあ、つまり、銭湯で体を洗うというより、遊んでいたわけである。

 銭湯のことを、ウチナーグチではユーフルヤーと言う。湯風呂屋という意味だ。湯風呂はちなみに、「湯槽(ゆぶね)に湯をわかして入浴する風呂」のこと。もう一つちなみに、銭湯は「料金を取って入浴させる公衆浴場」(同)のこと。私が小学校低学年までは行っていた銭湯、祖父母も、両親も、友人たちも銭湯とは言わず、風呂屋とも言わず、ユーフルヤーと言っていた。銭湯が消えて久しい。今となっては懐かしい響きだ。
     

  沖縄の銭湯がいつ頃まであったのか、資料が無く不明だが、ミンルーとこは早くに、たぶん私が中学になる頃には無かったと記憶している。大学生活で東京に住んでいた頃、3年間は銭湯に通っていた。30年以上前の話だが、その頃、東京には銭湯がいくつもあった。風呂付で無いアパートが多くあり、銭湯も十分の需要があったのだろう。
 沖縄のアパートで湯風呂の無いアパートは多い。現に、私が今住んでいるアパートも湯風呂は付いていない。だが、瞬間湯沸かし器とシャワーは付いている。東京に風呂付で無いアパートが多くあった頃も、沖縄のアパートには概ねシャワーが付いていたと思う。なので、東京に比べ、沖縄の銭湯の需要は少なく、街から消える日も早かったのであろう。
     

 記:ガジ丸 2011.5.16 →沖縄の生活目次


欲深い信者たち 

2011年05月27日 | 通信-社会・生活

 我が家の墓の隣の隣に小屋を建て、十年以上も前から住んでいる自由人がいる。墓参りに行くと、たいてい話しかけてくる。自由人だからといって私は偏見を持たないので、たいてい相手をする。実を言うと、彼の話は私の興味を引くものでは無いので、できたら相手をしたくないのだが、無視するわけにもいかず、渋々相手をしている。
 先日、父の一年忌があった。千葉在住の弟が帰省して、墓参りを手伝ってくれた。前に弟と二人で墓参りをした時もそうであったが、自由人は、弟がいると話しかけてこない。恥ずかしがりやで、知らない人とは話できない、というわけでは無い。
 来世や終末思想などに関心があるという点で、自由人と弟は同じ人種だ。自由人は弟がそうであることを察知しているに違いない。「そうですか」と言うだけの私は楽だが、弟相手では話が面倒になると思っているのだろう、たぶん。

 その日はしかし、彼はずっとしゃべり続けた。会話では無く、一方的に文句を言い続けていた。弟が、彼の大事にしていると思われる薪、弟から見れば、他人の墓に無断で置いてある廃材なのだが、それを放り捨てたから怒ったのだと思われる。
 「お前らがやっているのは邪教だ、親がやっていたから、周りがやっているからと何も考えずに、良いことをしていると思って満足しているだけのことだ。そんなのは何の意味も無い。俺は修行していたから解る。お前らのは邪教だ。」というのが、彼が20分ばかり言い続けた文句の概要。「俺達がやっているのは宗教では無く、沖縄の伝統文化だ。したがって、邪教にはあたらない。」と言ってやりたかったが、「俺は悟っている、お前らは無明だ」と思っている人に何を言っても無駄だと思い、止めた。

  あの世のことに私はあまり関心が無い。死んだ後のことはどうでもいいこと、考えるのは無駄なことだと思っている。もしも、死んだ後、私に意思があったとしても、どうやってその世界で暮らしていくかはその時に考えればいいことだと思っている。
 宗派の名前は覚えていないが、キリスト教の人が布教活動で、私の所へもたまにやってくる。「聖書にはこう書かれてある、人類は目覚めなければならない、無明の人々を救いたい。」などと仰る。墓の自由人も、「お前らみたいに邪教を信じているものは、地獄へ落ちる」などと仰る。どうやら、キリスト教の人も墓の自由人も、「死んだら天国で楽に生きたい」と思っているらしい。何とも欲深い信者たちよ、と私は思う。
          

  もう随分昔、私が小学生か中学生の頃流行った歌に『帰ってきた酔っ払い』というのがあった。「天国良いとこ一度はおいで、酒は旨いし、ネェちゃんはきれいだ。」がサビの部分の歌詞。旨い酒があって、きれいなネェちゃんがいる所なら、一度とは言わず、何度でも行きたいと思うが、行ったっきり帰ってこれないのであれば、旨い酒をたらふく飲んで、きれいなネェちゃんといっぱいお付き合いしてからでも遅くない。この世にだって、旨い酒はいくらでもあり、きれいなネェちゃんはわんさかいる。
 天国や地獄があったとして、そこに楽や苦があったとして、今からそのことを考えなくても、いずれ一度は死ぬ機会を得る。その時にいずれかを経験できるはずだ。焦るこたぁ無ぇのだ。何が出てくるか楽しみにしときゃあいいのだ。なぁ、自由人。
          

 記:2011.5.27 島乃ガジ丸