ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版089 太郎さんの目に涙

2009年05月01日 | ユクレー瓦版

 ユクレー屋のカウンター、週末の金土はケダマンと私が立っているが、先週から平日はガジ丸が立っている。悔しいけど、週末より平日の方が客の入りは良い。
 金曜日、この日はケダマンがカウンターの担当。夕方から店は開いているが、やはり、客はいない。私一人カウンターに座っているという相変わらずの光景。

 「村人の中でも、勝さんたちのように慣れている者たちは、俺たちマジムン(魔物)相手に普通に会話もできるのだが、その他の人たちは、俺たちの存 在を知ってはいても、まともには相手もし辛いのだろう。」とケダマンは言うが、私は違う意見を持っている。カウンターで客を相手にしている時、ガジ丸は、 自分からはあまりしゃべらない。相手の話を静かに聞いて、時々相槌を打つくらいだ。瓦版の取材で、日々村人達の話を聞いている私には、それはよく理解でき る。聞き上手は相手を楽にさせる。その旨告げると、
 「そうか、聞き上手になるってことが良いマスターってわけだ。」
 「お前、長く生きている割には気付くのが遅いよ。」
 「長く生きていても、慣れてないことには慣れてないだけだ。そういうお前は、そういうこと知っていて、なんで客が少ないんだ?」
 「それは、・・・何でかなぁ。・・・見た目かなぁ。ガジ丸に比べると、俺は頼り無さそうに見えるかもしれないなぁ。」と言うと、ケダマンは私の顔をじっと見て、
 「うん、確かにお前は頼りない顔だ。」ときっぱり。しかし、
 「それは、そっちも一緒だ。でも、その言葉、そっくりそのままは返さないよ。頼りない顔をしている上に聞き上手じゃないんだぜ、お前は。」

 などと会話をしている内に夜になって、ガジ丸一行がやってきて、いつもの会議も終わって、そして今日は、明後日旅立つ爺さん三人の壮行会が開かれ た。参加者は主役の三人に、シバイサー博士、ガジ丸、ジラースー、ウフオバー、そして、爺さん三人が留守のあいだ、三人の代わりを勤めるトシさんとテツさ ん。
 ユイ姉の店で歌手デビューをする予定の爺さん三人だが、トリオの名前をまだ決めていない、で、爺さんトリオの名前を決めようという話になった。
  「和風の名前にしよう」とか、「オキナワ風がいいんじゃないか」とか、皆からいろいろ案が出たのだが、ガジ丸の鶴の一声で「トリオG3」という名に決まっ た。G3はジースリーと読むが、もちろん「ジイサン」のもじり。安易だと私は思ったが、「カッコイイ名前がいい。」と言う勝さんたちの意見もあって、即決 となった。

 ユイ姉の店でのデビュー前に、予行演習ということで、ユクレー屋でのトリオG3演奏会となる。演目は、これまでにガジ丸が作った民謡『すねかじり節』などの他、デビューのためにとガジ丸が作った新曲、『チャンプルーの肝心』。
  トリオG3が歌い終わった後、「おまけだ」と言って、ガジ丸が1曲披露した。ガジ丸は先週も、新曲『爺さんも旅をする』を発表したが、今回もまた新曲。た だ、『爺さんも旅をする』は勝さんたちの応援歌という解りやすい曲だったが、今回は何か趣が違う。今生の別れみたいな内容。何で今ここで、と不思議に思っ たが、ガジ丸が歌い終わった後、太郎さんの目に涙が浮かんでいるのに、ふと気付いた。

  「何の唄なの?太郎さんがウルウルしているけど。」と戻ってきたガジ丸に訊いた。
 「太郎さんが昔書いた詩があってな、それに曲をつけた。」
 「そうなんだ、太郎さんの詩なんだ。」と、太郎さんを見る。
 「自分が書いたのは初めの4行だけ、後はガジ丸が付け足してくれた。歌手デビューするからには自分の唄も1曲は欲しいと思って、ガジ丸に頼んだんだ。」
 「恋人に去られたみたいな内容だね。」
 「そうか、太郎さんの昔振られた話の唄か。」
 「いや、唄はそういうふうになったが、詩は、死んだ娘を想ってのものだ。」
 「そうなんだ、そういう詩を作っていたんだ。」とまた、太郎さんを見る。
  「娘が死んで、ずっと辛い日々を過ごしていた頃、何となくあるフレーズが頭の中に浮かんで、それを口ずさむようになっていた。それをこのあいだ、ふと思い 出して、唄にしようと思ったのだが、私が口ずさんでいたのは文章も短いし、歌って言うほどのメロディーでもなかったけど、ガジ丸がちゃんと形にしてくれた んだ。」とのこと。
     

 その唄は『宇宙船に乗って』という題。ちなみに、トリオG3の新曲『チャンプルーの肝心』は、運が良けりゃあ島豆腐協会のテーマソングになって、CDになって、爺さん3人の生活の足しになればいいなぁというつもりで作った唄とのこと。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.5.1 →音楽(チャンプルーの肝心 宇宙船に乗って


携帯電話の機能

2009年05月01日 | 通信-科学・空想

 1年ほど前に機種変更した私の携帯電話は、「らくらくほん」という名前の年寄り向きの機種で、表示文字が大きくて見易いものだ。年寄り向きの特徴としては他に、カメラとかワンセグ(実は、何のことかよく判らない、テレビのようなものらしい)とか余計な機能が付いていない。代わりに万歩計が付いている。それは、ずっと利用している。
 いつだったか、フジテレビの朝の情報番組『トクダネ』で、携帯電話が車のキーにもなるという話があった。お財布携帯(これについても詳しくは知らない。クレジットカードのような働きだと思われる)という機能もあるらしい。

 私は、携帯電話は電話とメールが使えれば十分と思っている。万歩計も、あるから使っているだけで、1日どれだけ歩いたなんて気にしながら散歩はしていない。写真はデジカメを使うし、インターネットで情報を得たい場合は職場のパソコンを使う。外で、しかも小さな画面でテレビを観ようなんて思わないし、支払いは概ね現金で、クレジットカードを使うのは稀である。そういった生活に特に不便を感じていない。
 携帯電話を紛失した際のことを考えると、多くの機能をつけることには、むしろ不安を感じる。携帯電話は命の次に大事なんて、携帯依存症の若者が増えているというが、車のキーになったり、クレジットカードになったりしたら、依存の度合いは益々深まりそうである。「携帯電話が無いと生活できない」なんてことになりそうだ。

  携帯電話は電話とメールが使えれば十分と思っているが、じつは、こういった機能が付いていると便利だろうなと思ったことはある。
 嘉数高台公園には長い階段がある。夏の暑い盛りに散策した折、その階段を上りきって大量の汗をかいた。多少息切れもした。その時、今の脈拍数、血圧が分るといいなと思った。携帯電話に血圧計の機能が付いていると便利だろうなと思った。
 「らくらくほん」は年寄り向けの携帯電話である。健康管理のために万歩計の機能もついている。健康管理のために、血圧計にもなってくれたらなお嬉しい。
          

 記:2009.5.1 島乃ガジ丸