いつもの週末、いつもの時間、いつものユクレー屋。
もう3月、日もだいぶ長くなり、夕焼け空も明るい。風は春爛漫。いつもなら店の中で飲んでいるケダマンが、まだ庭に寝転がっている。寝転がって何やら歌っている。
ちばりよーやータンメー ウンジュが頼みやる
と聞こえた。ウチナーグチ(沖縄口)だ。民謡みたいだ。声をかける。
「やー、相変わらずのんびりだな。」
「おー、」とケダマンは応えながら、むっくりと起き上がった。
「春はいいな。大地も太陽も風も良い按配の蒲団になってくれるぜ。さっき目覚めたところだ。ちょうどいい時間だな、ドリンクタイムだな。」
起き上がったケダマンと一緒にユクレー屋に入る。ユイ姉がカウンターにいる。開店準備も終えたみたいで、椅子に腰掛けてのんびりしている。
「いらっしゃい。ビール?」
「あい、お願ぇしますだ、奥方様。」とケダマン。
「はぁー。ゑんちゅはさ、瓦版って仕事しているからいいけどさ、あんた、『働かざるものは食うべからず』って知ってる?」
「生きていることそのものが俺の仕事みたいなものだ。オメエ、『居候、三杯目はそっと出し』って知ってるか?」
「知ってるさあ、あんたみたいな居候は遠慮するもんってことよ。」
「だから、遠慮した言い方をしたじゃないか、奥方様。」
「あー、さっきの『お願ぇしますだ』が遠慮した言い方ってことか。」(私)
「なるほどね。」と、ユイ姉は苦笑しながら、我々の前にジョッキを置いた。
「ところで、さっき、庭で何か民謡みたいの歌っていたね?」(私)
「ん?歌っていたか俺が、民謡を。」(ケダ)
「最後の方だけ聞き取れたけど、ちばりよーやータンメーって。」(私)
「あー、それか。昨日海岸を散歩してたらよ、ガジ丸にばったりあったんだ。その時ガジ丸が口ずさんでいたのが耳に残って、ついつい口から出たんだな。最後の方だけって言ったけど、そこしか覚えてないな。たぶん、サビみたいな部分だ。」
「そうなんだ。しかし、サビの箇所が『頑張ってねお爺さん、貴方が頼りです』って意味だよね。どういう唄なんだろうな。」
などと話をしているうちに夜になって、いつものようにガジ丸一行(勝さん、新さん、太郎さん、ジラースー)がやってきた。彼らとウフオバーを加えたユクレー島運営会議が終わってすぐに、ガジ丸は我々のいるカウンター席に加わった。
「今、世界は大不況だそうだな?これもあれか、モク魔王の仕業なのか?経済が混乱して、倒産が増えて、失業者が増えて、貧困層が増えて、不満が溜まって、爆発して、大騒乱が起きて、大戦争になって、そのうち人類も破滅か?」とケダが口を切る。
「世界は大不況、については、その通り。モク魔王の仕業、については、多少は加担しているだろうが、ほんの脇役だ。人類も破滅かについては、そんなことは無い。自分で自分の首を絞めるのは人類の得意技だが、破滅するまで締めたりはしないだろうさ。」
「そうか、まあ、そうだろうな、食い物が無いわけではないからな。食っていければ生きてはいけるからな、だな、破滅には到らないよな。」(ケダ)
「そういえばさ、新作民謡ができたんだってね、お爺さんの唄。」(私)
「あー、だけど、お爺さんの唄じゃねぇよ。不況の唄だよ。」
「不況の唄?」(私)
「オキナワも失業者が多くてな、彼らを見ていたら、できた。」(ガジ)
「タイトルは?」(私)
「すねかじりぶし。」(ガジ)
「すねかじり虫?・・・失業者達が親の脛を齧っている虫ってこと?」(私)
「あれじゃねぇか、確か去年流行った『おしりかじり虫』の二番煎じ。」(ケダ)
「違う、だとしても、『おしりかじり』よりは『すねかじり』の方が言葉として伝統がある。二番煎じにはならない。それに、『むし』では無く、『ぶし』だ。」(ガジ)
「すねかじり武士、傘貼り浪人が誰かの脛を齧っているってことだ。」(ケダ)
「アホかお前は、いつの時代の唄なんだ。」(ガジ)
「解ったよ、脛齧り節だね。民謡でよく使う『節』って字だ。」(私)
「その通り。」
ということで、そのあとガジ丸は、ピアノを弾いて『すねかじり節』を披露した。メロディーは軽快であったが、歌詞の内容をじっくり考えると、切なくなるような唄だった。爺さんである勝さんたちも良く理解できたようで、場は少ししんみりとなった。
「すねかじり虫ってタイトルでさ、ユクレー屋の脛を齧っている毛むくじゃらの、怠け者の唄も作ったらいいのに。」というユイ姉の言葉で、笑いが戻った。
記:ゑんちゅ小僧 2009.3.6 →音楽(すねかじり節)