ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版084 すねかじり虫

2009年03月06日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、いつもの時間、いつものユクレー屋。
 もう3月、日もだいぶ長くなり、夕焼け空も明るい。風は春爛漫。いつもなら店の中で飲んでいるケダマンが、まだ庭に寝転がっている。寝転がって何やら歌っている。
 ちばりよーやータンメー ウンジュが頼みやる
と聞こえた。ウチナーグチ(沖縄口)だ。民謡みたいだ。声をかける。
 「やー、相変わらずのんびりだな。」
 「おー、」とケダマンは応えながら、むっくりと起き上がった。
 「春はいいな。大地も太陽も風も良い按配の蒲団になってくれるぜ。さっき目覚めたところだ。ちょうどいい時間だな、ドリンクタイムだな。」

 起き上がったケダマンと一緒にユクレー屋に入る。ユイ姉がカウンターにいる。開店準備も終えたみたいで、椅子に腰掛けてのんびりしている。
 「いらっしゃい。ビール?」
 「あい、お願ぇしますだ、奥方様。」とケダマン。
 「はぁー。ゑんちゅはさ、瓦版って仕事しているからいいけどさ、あんた、『働かざるものは食うべからず』って知ってる?」
 「生きていることそのものが俺の仕事みたいなものだ。オメエ、『居候、三杯目はそっと出し』って知ってるか?」
 「知ってるさあ、あんたみたいな居候は遠慮するもんってことよ。」
 「だから、遠慮した言い方をしたじゃないか、奥方様。」
 「あー、さっきの『お願ぇしますだ』が遠慮した言い方ってことか。」(私)
 「なるほどね。」と、ユイ姉は苦笑しながら、我々の前にジョッキを置いた。

 「ところで、さっき、庭で何か民謡みたいの歌っていたね?」(私)
 「ん?歌っていたか俺が、民謡を。」(ケダ)
 「最後の方だけ聞き取れたけど、ちばりよーやータンメーって。」(私)
 「あー、それか。昨日海岸を散歩してたらよ、ガジ丸にばったりあったんだ。その時ガジ丸が口ずさんでいたのが耳に残って、ついつい口から出たんだな。最後の方だけって言ったけど、そこしか覚えてないな。たぶん、サビみたいな部分だ。」
 「そうなんだ。しかし、サビの箇所が『頑張ってねお爺さん、貴方が頼りです』って意味だよね。どういう唄なんだろうな。」

 などと話をしているうちに夜になって、いつものようにガジ丸一行(勝さん、新さん、太郎さん、ジラースー)がやってきた。彼らとウフオバーを加えたユクレー島運営会議が終わってすぐに、ガジ丸は我々のいるカウンター席に加わった。
 「今、世界は大不況だそうだな?これもあれか、モク魔王の仕業なのか?経済が混乱して、倒産が増えて、失業者が増えて、貧困層が増えて、不満が溜まって、爆発して、大騒乱が起きて、大戦争になって、そのうち人類も破滅か?」とケダが口を切る。
 「世界は大不況、については、その通り。モク魔王の仕業、については、多少は加担しているだろうが、ほんの脇役だ。人類も破滅かについては、そんなことは無い。自分で自分の首を絞めるのは人類の得意技だが、破滅するまで締めたりはしないだろうさ。」
 「そうか、まあ、そうだろうな、食い物が無いわけではないからな。食っていければ生きてはいけるからな、だな、破滅には到らないよな。」(ケダ)

 「そういえばさ、新作民謡ができたんだってね、お爺さんの唄。」(私)
 「あー、だけど、お爺さんの唄じゃねぇよ。不況の唄だよ。」
 「不況の唄?」(私)
 「オキナワも失業者が多くてな、彼らを見ていたら、できた。」(ガジ)
 「タイトルは?」(私)
 「すねかじりぶし。」(ガジ)
  「すねかじり虫?・・・失業者達が親の脛を齧っている虫ってこと?」(私)
 「あれじゃねぇか、確か去年流行った『おしりかじり虫』の二番煎じ。」(ケダ)
 「違う、だとしても、『おしりかじり』よりは『すねかじり』の方が言葉として伝統がある。二番煎じにはならない。それに、『むし』では無く、『ぶし』だ。」(ガジ)
 「すねかじり武士、傘貼り浪人が誰かの脛を齧っているってことだ。」(ケダ)
 「アホかお前は、いつの時代の唄なんだ。」(ガジ)
 「解ったよ、脛齧り節だね。民謡でよく使う『節』って字だ。」(私)
 「その通り。」
     

 ということで、そのあとガジ丸は、ピアノを弾いて『すねかじり節』を披露した。メロディーは軽快であったが、歌詞の内容をじっくり考えると、切なくなるような唄だった。爺さんである勝さんたちも良く理解できたようで、場は少ししんみりとなった。
 「すねかじり虫ってタイトルでさ、ユクレー屋の脛を齧っている毛むくじゃらの、怠け者の唄も作ったらいいのに。」というユイ姉の言葉で、笑いが戻った。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.3.6 →音楽(すねかじり節)


国産パンツ

2009年03月06日 | 通信-環境・自然

 靴下は、先ず足裏踵、最も多く地面と接着する部分が擦り切れて、穴が開く。穴が1センチ程度になると、その靴下は処分される。
  パンツは、何故だか知らないが、尻の穴近くに穴が開く(屁の力だろうか?)。靴下は爪先に穴が開いたりもするが、パンツはそこ以外に穴が開くことはほとんど無い。パンツの場合は、穴が4、5センチ程度になったら処分される。パンツはまた、穴が開く前にゴムが緩むこともある。立って、パンツがずり下がるようになったら処分される。
          

 ある日、パンツを買いに行った。私は慎ましいので、衣料品は概ね安物を置いてあるスーパーへ買いに行く。値の張るブランド物なんて、買おうと思ったことも無い。無印良品が世間的にブランドであるかどうかは不明だが、パンツだけは、4、5年前から無印良品で買っている。履き心地の良いものがあるからだ。値段も安い。
 その日無印で買ったパンツはしかし、後日穿いてみると、私のお気に入りのパンツでは無かった。無印のパンツもメーカーが変わったということなのだろう。

 それから1年ほども経った先日(09年2月21日)、1年前に処分したパンツと同時期に買ったパンツをさらに2枚処分した。で、新しいのを買いに行った。
 私は、できるだけ地産地消を心掛けている。外国産より国産、他府県産より沖縄産を選ぶようにしている。食べ物だけで無く、日用品もそうしようと思っている。どうせお気に入りのパンツ(中国産だった)が無いのならば、今回はパンツも国産にしようと思って、近くにある衣料スーパーへ行った。が、国産パンツは無かった。
 実家へ行くついでもあったので、そこからモノレールに乗って新都心へ行く。新都心には無印良品もあり、ユニクロもあり、衣料品も豊富に揃えている大手スーパーもある。しかしながら、無印とユニクロに国産パンツは無かった。

 そういえば2年ほど前、靴下を買いに行った時も、国産靴下を探せなかった。衣料品、靴、帽子などは、沖縄産というものがほとんど無い。しかし、国産はきっとあるはずだ。何しろ衣食住というくらい、衣類は生活にかかせないものだ。そんな大切なものに国産が無いなんてことは、国の危機管理の上で、大いなる不備と言えるだろう。

 国産パンツは新都心の大手スーパーでやっと見つけた。無いわけは無いとは思っていたが、それにしても、「やっと」という思いであった。
 国産パンツはいつもの中国産の2倍くらいの値段がした。でも、迷わず購入する。何しろ大事なところを守る役目だ。外国ではなく、自国に任せたい。
          

 記:2009.3.6 島乃ガジ丸