ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版060 どのみちこのみち

2008年06月06日 | ユクレー瓦版

 今日は昼間から肉体労働をしている。ジラースーの船からデンジハガマの洞窟に荷物を運ぶという仕事。いつもならそれは、ガジ丸とジラースーの仕事なのだが、今日はジラースーがいない。で、私とケダマンがジラースーの交代選手となった。
 ジラースーは今、ユクレー屋の屋根修理をしている。それは先週、ケダマンがやったらしいのだが、その翌日ジラースーが点検したところ、「まるでなっていない」ということであった。ということで、ジラースーは今、ケダマンの尻拭いの最中である。

 荷物を大方運び終わって、休憩時間に、
 「屋根修理、まるでなっていなかったんだってな?」とケダマンに訊いた。
 「あー、初体験だったんだ。しょーがねぇだろう。」 
 「あっ、そうなんだ。やったこと無いんだ?」
 「おう、マナにもそう言ったさ、俺は屋根葺き職人じゃ無ぇ、ってよ。」
 「うん、確かにそうだな。専門的な技術が要りそうだな。」
 「するとよ、マナはこう言ったんだ。『不器用だね、あんた。』ってさ。」
 ということであった。それにしても、「不器用だね、あんた。」ってことについては、ケダマンに私は同情する。不器用は不器用なりに頑張ったと思う。結果だけで判断するのは、多くの女が癖として持っているが、努力は認めて欲しいものである。
 今日は、私とケダマンが珍しく働いている。荷物運びという肉体労働である。「二匹でもジラースー一人分の働きに遠く及ばない」とガジ丸の評価であったが、小さい体で我々も頑張っている。その努力は、ガジ丸はちゃんと認めてくれている。

 ユクレー屋の生活物資は、そのほとんど(緊急に必要とされるもの以外)は一旦、デンジハガマの洞窟に保管される。ジラースーの船は洞窟に入り、保管場所の近くに泊められる。我々は船から荷物を取り、台車に乗せ、それを保管場所まで運ぶ。そう多くは無い。30回ほども往復すれば終わる。村の三長老、勝さん、新さん、太郎さんたちは船に乗ったままで、物資のチェックと、軽めの荷物を船の奥から表へ出す作業をしている。
 まあ、というわけで今回、久々にデンジハガマの洞窟に入って、番人であるデンジハガマにも久々に会った。相変わらず無愛想だが、気はいい奴だ。孤独癖があるだけだ。おしゃべりを好まないのだろう。独りで日夜、瞑想に耽っているらしい。
 デンジハガマは島にとって重要な役を担っている。洞窟に保管された物資は、必要に応じて適宜、ユクレー屋の倉庫と村の倉庫とに運ばれる。その作業は、ガジ丸もたまにやるらしいが、たいていは、デンジハガマがやっている。彼は時空の歪みをコントロールできる技を持っている。それで、洞窟と村の倉庫などを隣り合わせにしている。
 「ドラエモンのどこでもドアみたいなもんだよね?」と前に訊いたことがある。
 「バカ言うんでねーよ。そんな安易な名前じゃねーよ。俺のは『どのみちこのみち』って言うんだよ。どの道もこの道へ繋がるってこった。また、この世のモノは全て、どのみちこのみち、いずれは行き着く所へ行き着くって深い意味があんだよ。」ということであった。時空を超える出入口の名前が『どのみちこのみち』という。確かに深い。

 さて、その仕事が終わったのは夕方となった。ユクレー屋にはいつもより遅くなる。遅いといっても7時前。この時期、この時間は夕焼けの時間。空はきれいに輝いて、風はそよ風、肉体労働の後のビールがとても美味しい。
 「ぷはーっ、労働の後のビールは旨ぇなあ。」と、ケダマンと私は大満足する。
 ジラースーは既に屋根修理を終え、シャワーも浴びて、サッパリとした気分で飲んでいる。やがて、ガジ丸や勝さん、新さん、太郎さんも加わって、賑やかになる。

 そんな賑やかな中で、前からちょっと気になっていたことを思い出した。ジラースーが結婚に踏み切った真相である。ジラースーとマナが結婚してもう二ヶ月になる。そろそろ訊いてもいい頃かなと思う。マナは今、台所で料理をしている。ガジ丸は勝さんたちのテーブルにいて、カウンターにはジラースーとケダマンと私の三人だけだ。
  「ジラースー、訊いてもいいかな?」
 「なんだ?改まって。」
 「なんでさ、一度振った女と結婚する気になったんだ?」
 「振った女って、マナのことか?・・・振ったというわけじゃないぞ。」と、意外にもジラースーはあっさりと答えてくれた。
 「まだ若いマナが、なにも俺みたいな年寄りと一緒にならなくてもいいじゃないかと思って、そう伝えただけだ。ただ、彼女が『一緒にいたいです。』と言ったときにな、すごく愛おしく感じたんだ。大事にしなきゃあと思ったんだ。」
 「惚れたってわけだね?」
 「まあ、そういうことだな。」
 「おー、ぬけぬけと言いやがる。」と傍で聞いていたケダマンが揶揄する。
 「あー、恥ずかしながら、年甲斐も無く、というわけだが、どのみちこのみちいずれは死ぬんだから、死ぬまでは楽しく生きていようと思ったんだ。楽しく生きるためには、ときめいているのが最も有効な手段だと気付いたんだな。」ということであった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.6.6


家族のあり方(モラルハラスメント)

2008年06月06日 | 通信-社会・生活

 女房と別居することになりました、と先日、友人のRから不幸な内容のお知らせメールがあった。慰めになるのかどうかよく分らない私らしいテキトーな文章を書いて返信すると、それに対し、「別居することになったのを誰から聞いたの?」という頓珍漢な返信があった。おそらく彼は、独りぼっちになった不安から酒を呷っていたのであろう。泥酔した状態で私にメールを送り、それを全く覚えていなかったのであろう。
 不安酒は、私も若い頃に経験がある。とても貧乏だった頃には「生きていけるか?」という不安もあったが、その時は酒をたらふく飲む金も無かったので、貧乏が原因で不安酒を飲むことは無かった。私の不安酒は恋に落ちた(あー、何て甘く懐かしい言葉であることか!)時である。私の恋はいつも片思いであった。いつも当たって砕け散っていた。粉々になった心を拾い集めながら、「俺は一生、相思相愛の恋ができないのか?」と、不安酒を浴びたことは数回ある。結果として、その不安は現実のものとなっている。

 私の話はさておき、Rの「女房と別居することになりました」の原因は、モラルハラスメントとのこと。パワーハラスメントもセクハラもテレビからの情報で、私は知っているが、モラルハラスメントという言葉は初めて聞いた。深く反省しているらしいRが、参考にと紹介してくれたサイトで、それがどういうものかをだいたい知る。

 私の父は、人(他人では無く家族)に頼るのが好きである。自分でできることでも、誰かに頼む。誰かに何かをしてもらうことが好きみたいである。私も若い頃はずいぶん金銭的に親に甘えていたので、偉そうなことを言えた立場では無いが、父の頼り癖は家族に対する甘えだと私は思う。「頼むよ」と口では言うが、それは概ね命令に近いのだ。
  私が14年前に家を出てからは、父の甘えは全て母に覆いかぶさった。母と父は、多くの夫婦同様、たまに喧嘩をしていたが、私が出て行ってからは、その頻度が増えたようであった。私は逃げたが、母はそうできなかったのだ。「あーしろこーしろ」と頼まれ、母は鬱陶しかったと思う。母が亡くなってから、父の姉である伯母から聞いたことだが、離婚の危機もあったらしい。伯母が弟を想って、思い留めてもらったとのことだ。
 父と母のことを考えると、「そうか、あれがモラルハラスメントか。」と思う。父は基本的には善良な人間である。真面目に働いて、子供を育て上げた。ギャンブルも女遊びもせず、他人には優しい。なので、近所の評判はとても良いみたいである。ただ、父は寂しがり屋で、甘えん坊で、家族の中では自己中心的なだけである。

 友人のRがどんなタイプのモラルハラスメントであったか、詳しいことは知らないが、女房に対する甘えがたぶんあったのだろう。「女房なら当然やるべきこと」と自分の感性を押し付け、女房の感性を無視したのかもしれない。他人ならば、遠慮してなかなかできないことだが、家族だ、という甘えからそういうことをしてしまうのかもしれない。
 感性を押し付けられることが、私は嫌いである。互いに甘え合えるのが家族、なのかもしれないが、互いの感性は尊重するということも大事だと思う。「禁煙しろ」とか、「小便は座ってしろ」とか命令されるのも嫌である。だから私は、モテナイということもあるが、結婚したいと思わないのである。・・・ということにしておこう。
          

 記:2008.6.6 島乃ガジ丸