ユクレー屋にピアノがやってきた夜、ピアノを運ぶのを手伝ったガジ丸、ジラースー、ケダマン、勝さん、新さん、太郎さん、私、そして、店番のウフオバーを含めた人々+マジムンたちを観客にして、マナが2、3曲弾いてみせた。あんまり上手では無いってことは、音楽をよく知らない私にも分った。マナもそれは自覚しているようであった。
マナが一通り演奏を終えて、ユクレー屋がいつものユクレー屋に戻り、皆がそれぞれの定位置に着き、飲んで、食べて、一段落した後、カウンターにいる我々(ガジ丸、ケダマン、私、そして、カウンターの向こうのマナ)の話題はピアノと、それを弾くマナの話となった。思うほど上手く弾けなかったマナは、ちょっと悔しそうな表情を見せていた。
「やっぱり、ダメだわ。あんまし真面目にやってなかったからどれもちゃんと覚えてないわ。楽譜も一緒に頼むんだった。ねえ、ガジ丸、来週、買ってきてくれない。」
「あー、そりゃいいが、買い物は俺じゃなく、ジラースーがやってんだ。俺に言うよりジラースーに直接頼んだ方が良いと思うぜ。」とガジ丸は言って、奥のテーブルで村の人たちとユンタク(おしゃべり)しているジラースーに声をかけた。
「ジラースー、ちょっとこっち来てくれないか。マナから来週の注文だ。」
「おー、今行く。」ジラースーは、飲みかけの泡盛水割りのグラスを持って、我々のいるカウンターの、ガジ丸の隣に腰掛けた。そして、マナを見て、
「何だい?注文って。」と訊く。
「楽譜が欲しいんだとさ。ピアノの。」とケダマンが口を挟む。
「ジャズのね、スタンダードの、易しめのもの。」とマナが続ける。
「うーん、そうだな。俺はそういうのあまり知らないんだがな。音楽に詳しい知り合いがいるから、そいつに頼んでみるよ。」(ジラースー)
という話があって1週間後、ジラースーがスタンダードジャズの本を持ってユクレー屋にやって来た。それをマナに渡しながらもう一つ、1冊のノートもあげた。
「何?このノート?」
「本を頼んだ知り合いが、『あんまり上手くないんだったら、こっちから練習すればいいと思うよ、簡単だから。覚えてくれると俺たちも嬉しいし』と言って、このノートを本と一緒に持って来たんだ。彼らの歌の楽譜が載っているらしい。」(ジラースー)
「彼らの歌って、ミュージシャンなの?彼らって、グループなの?」
「ミュージシャンっていうほどのもんじゃ無ぇよ。趣味でやってるだけだ。長いこと趣味でやっているから、自作の歌もいくつかあるってわけだ。」(ジラースー)
「クガ兄とユイ姉のこと?」と私。それに、ジラースーが肯く。
「ゑんちゅも知ってるの?」とマナ。
「うん、十数年前だったか、一時期この島に住んでたことがあるよ。ガジ丸もよく知ってるし、ケダマンやウフオバーだって・・・、」(私)
「いや、十数年前ってことは無いだろう。もっと前だ。」(ガジ丸)
「ん?そうかなあ・・・あー、そうだね。二人が結婚する前だからね。二十年は過ぎてるね。うん、そうだよ。ユイ姉が大学を卒業して間もない頃だったよ。」(私)
「クガ兄とユイ姉って夫婦なんだ。」
「スッタモンダがあって夫婦になったんだがな・・・。」(ケダ)
「スッタモンダって、どんなスッタモンダなの?」
クガ兄とユイ姉のスッタモンダについては、私がマナに説明した。ちょっと長い話になったのでここでは詳しく述べないが、かいつまんで言うと、
二人が出会ったのは、ユイ姉がまだ二十歳、女子大生の頃、クガ兄はユイ姉より八つ年上の28歳、自称風来坊、その実は、今で言うフリーターであった。
ある日、ユイ姉は友人に誘われてコンサートに出かける。大学の音楽サークルが主催しており、出演者のほとんどが大学の先輩で、ほとんどがアマチュアで、プロになる夢が叶わなかったロックバンドやフォークグループが出演するコンサートであった。
出演者の一人にクガ兄がいた。ユイ姉を誘った友人がクガ兄と知己であったことから、互いに紹介された。その時、ユイ姉の心に魔が差して、「いい感じ」と思ってしまい、クガ兄のファンとなる。その時、クガ兄の心にもまた、魔が差して、「可愛い」と思ってしまい、で、ほどなく、二人は付き合うようになる。
クガ兄は学生運動の生き残りであり、フォークソング全盛時代の生き残りであった。どういう思考回路なのかは不明だが、風来坊こそが人の生きる道と思っている男であった。二人は、形としては恋人同士なのだが、クガ兄は一箇所に留まらない。ユイ姉を放っておいて一人旅に出たりする。浮気もたびたびやる。ある日、その浮気がユイ姉の親友にまで及んだとき、ついにユイ姉が逆上して、クガ兄を刺した。
幸い、クガ兄の命に別状無く、事件にもならなかったのだが、クガ兄が腹に大きな傷を負い、ユイ姉は心に深い傷を負った。その傷の深さに耐えかねて、ユイ姉はユクレー島にやってきた。ユイ姉が大学を卒業して間もない頃のことだった。
「ユイ姉一人でユクレー島に来たの?クガ兄はどうしたの?」とマナが訊く。
「ユイ姉は一人で来た。島で二ヶ月ほど一人で暮らしていた。クガ兄は腹を刺されて初めて『この女こそが生涯の伴侶』と思ったらしく、腹の傷が癒えた後、ユイ姉を探してユクレー島に来た。そして、その数日後に二人は島を出て、結婚した。」(私)
「めでたしめでたしの話なんだ。」(マナ)
「いや、スッタモンダはまだ続く。結婚前から二人は一緒に音楽活動、まあ、アマチュアなんだが、たまにはライブもやっていた。結婚後もそれは続いて、傍目には仲の良い夫婦に見えた。ところが、3年後に二人は離婚する。三つ子の魂百までという通り、クガ兄の漂泊癖と浮気癖はなかなか直らなかったみたいだ。」(私)
「はー、スッタモンダの最後は離婚だったんだ。」(マナ)
「まー、恋は成就しないって話だな。」と、ケダマンが意地悪く言う。
「・・・・・・。」無言のまま、マナの表情が少し曇った。
記:ゑんちゅ小僧 2007.7.27