ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版037 クガ兄とユイ姉

2007年07月27日 | ユクレー瓦版

 ユクレー屋にピアノがやってきた夜、ピアノを運ぶのを手伝ったガジ丸、ジラースー、ケダマン、勝さん、新さん、太郎さん、私、そして、店番のウフオバーを含めた人々+マジムンたちを観客にして、マナが2、3曲弾いてみせた。あんまり上手では無いってことは、音楽をよく知らない私にも分った。マナもそれは自覚しているようであった。
 マナが一通り演奏を終えて、ユクレー屋がいつものユクレー屋に戻り、皆がそれぞれの定位置に着き、飲んで、食べて、一段落した後、カウンターにいる我々(ガジ丸、ケダマン、私、そして、カウンターの向こうのマナ)の話題はピアノと、それを弾くマナの話となった。思うほど上手く弾けなかったマナは、ちょっと悔しそうな表情を見せていた。

 「やっぱり、ダメだわ。あんまし真面目にやってなかったからどれもちゃんと覚えてないわ。楽譜も一緒に頼むんだった。ねえ、ガジ丸、来週、買ってきてくれない。」
 「あー、そりゃいいが、買い物は俺じゃなく、ジラースーがやってんだ。俺に言うよりジラースーに直接頼んだ方が良いと思うぜ。」とガジ丸は言って、奥のテーブルで村の人たちとユンタク(おしゃべり)しているジラースーに声をかけた。
 「ジラースー、ちょっとこっち来てくれないか。マナから来週の注文だ。」
 「おー、今行く。」ジラースーは、飲みかけの泡盛水割りのグラスを持って、我々のいるカウンターの、ガジ丸の隣に腰掛けた。そして、マナを見て、
 「何だい?注文って。」と訊く。
 「楽譜が欲しいんだとさ。ピアノの。」とケダマンが口を挟む。
 「ジャズのね、スタンダードの、易しめのもの。」とマナが続ける。
 「うーん、そうだな。俺はそういうのあまり知らないんだがな。音楽に詳しい知り合いがいるから、そいつに頼んでみるよ。」(ジラースー)

 という話があって1週間後、ジラースーがスタンダードジャズの本を持ってユクレー屋にやって来た。それをマナに渡しながらもう一つ、1冊のノートもあげた。
 「何?このノート?」
 「本を頼んだ知り合いが、『あんまり上手くないんだったら、こっちから練習すればいいと思うよ、簡単だから。覚えてくれると俺たちも嬉しいし』と言って、このノートを本と一緒に持って来たんだ。彼らの歌の楽譜が載っているらしい。」(ジラースー)
 「彼らの歌って、ミュージシャンなの?彼らって、グループなの?」
 「ミュージシャンっていうほどのもんじゃ無ぇよ。趣味でやってるだけだ。長いこと趣味でやっているから、自作の歌もいくつかあるってわけだ。」(ジラースー)
 「クガ兄とユイ姉のこと?」と私。それに、ジラースーが肯く。
 「ゑんちゅも知ってるの?」とマナ。
 「うん、十数年前だったか、一時期この島に住んでたことがあるよ。ガジ丸もよく知ってるし、ケダマンやウフオバーだって・・・、」(私)
 「いや、十数年前ってことは無いだろう。もっと前だ。」(ガジ丸)
 「ん?そうかなあ・・・あー、そうだね。二人が結婚する前だからね。二十年は過ぎてるね。うん、そうだよ。ユイ姉が大学を卒業して間もない頃だったよ。」(私)
 「クガ兄とユイ姉って夫婦なんだ。」
 「スッタモンダがあって夫婦になったんだがな・・・。」(ケダ)
 「スッタモンダって、どんなスッタモンダなの?」

 クガ兄とユイ姉のスッタモンダについては、私がマナに説明した。ちょっと長い話になったのでここでは詳しく述べないが、かいつまんで言うと、
 二人が出会ったのは、ユイ姉がまだ二十歳、女子大生の頃、クガ兄はユイ姉より八つ年上の28歳、自称風来坊、その実は、今で言うフリーターであった。
 ある日、ユイ姉は友人に誘われてコンサートに出かける。大学の音楽サークルが主催しており、出演者のほとんどが大学の先輩で、ほとんどがアマチュアで、プロになる夢が叶わなかったロックバンドやフォークグループが出演するコンサートであった。
 出演者の一人にクガ兄がいた。ユイ姉を誘った友人がクガ兄と知己であったことから、互いに紹介された。その時、ユイ姉の心に魔が差して、「いい感じ」と思ってしまい、クガ兄のファンとなる。その時、クガ兄の心にもまた、魔が差して、「可愛い」と思ってしまい、で、ほどなく、二人は付き合うようになる。
 クガ兄は学生運動の生き残りであり、フォークソング全盛時代の生き残りであった。どういう思考回路なのかは不明だが、風来坊こそが人の生きる道と思っている男であった。二人は、形としては恋人同士なのだが、クガ兄は一箇所に留まらない。ユイ姉を放っておいて一人旅に出たりする。浮気もたびたびやる。ある日、その浮気がユイ姉の親友にまで及んだとき、ついにユイ姉が逆上して、クガ兄を刺した。
 幸い、クガ兄の命に別状無く、事件にもならなかったのだが、クガ兄が腹に大きな傷を負い、ユイ姉は心に深い傷を負った。その傷の深さに耐えかねて、ユイ姉はユクレー島にやってきた。ユイ姉が大学を卒業して間もない頃のことだった。
     

  「ユイ姉一人でユクレー島に来たの?クガ兄はどうしたの?」とマナが訊く。
 「ユイ姉は一人で来た。島で二ヶ月ほど一人で暮らしていた。クガ兄は腹を刺されて初めて『この女こそが生涯の伴侶』と思ったらしく、腹の傷が癒えた後、ユイ姉を探してユクレー島に来た。そして、その数日後に二人は島を出て、結婚した。」(私)
 「めでたしめでたしの話なんだ。」(マナ)
 「いや、スッタモンダはまだ続く。結婚前から二人は一緒に音楽活動、まあ、アマチュアなんだが、たまにはライブもやっていた。結婚後もそれは続いて、傍目には仲の良い夫婦に見えた。ところが、3年後に二人は離婚する。三つ子の魂百までという通り、クガ兄の漂泊癖と浮気癖はなかなか直らなかったみたいだ。」(私)
 「はー、スッタモンダの最後は離婚だったんだ。」(マナ)
 「まー、恋は成就しないって話だな。」と、ケダマンが意地悪く言う。
 「・・・・・・。」無言のまま、マナの表情が少し曇った。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.7.27


エコバッグ騒動

2007年07月27日 | 通信-環境・自然

 「市役所や保険事務所とかを回らないといけないので、あんた、車出してくれない。」と姉に言われ、先週の金曜日、職場の台風被害後始末は延期して、午後から姉の運転手となる。実家に車はあるが、姉はペーパードライバーなので運転ができないのであった。
 その日は快晴で、陽射しがガンガン照り付けていた。沖縄の夏の太陽は激しく熱い。日向に車を置いておくと車内温度はすぐに50度を超える。市役所の駐車場は屋根があり陰であったが、保険事務所のそれは日向だった。なので、私は車を降りずにエンジンをかけたまま、クーラーをかけたまま姉が戻るのを待った。15分間ほどのことである。
 戻ってきた姉が開口一番、「あんた、ずっとエンジンかけっ放しだったの?だめよ。環境に悪いじゃない。」と言う。姉のためと思ってのことだったが、「ほほう、地球環境に対して、ちゃんと問題意識を持っているようだな。」と少し感心する。
 それからしばらくして、実家へ姉を送る。買い物をして、荷物が多くあったので一緒に家に上がる。父が待っていた。その父に姉が開口一番、「何でクーラーつけないの?暑いじゃない。」と言う。父は、私といる時はクーラーをつけない。西日の差す部屋で父も私も扇風機のみで、汗を滲ませながらパソコン講義をやっている。父も私もそれで良しとしている。その父が「今、つけようと思ってたんだ」と、慌ててクーラーをつける。
 「この女、エコなのかエゴなのか、訳の判らない奴」と私は姉を見て、思った。

 そういえば、その2、3日前、「買い物があるから、仕事が終わったら、来て。」との依頼が姉からあった。平日の私は炎天下で8時間ほどの肉体労働をしている身である。仕事を終え、家に帰るとクタクタになっている。それから、片道30分かかる実家へ行き、姉を拾い、買い物をし、30分かけて家に帰るまでビールが飲めない。これはきつい。なので、「タクシー使えよ。」と断る。「タクシー代、勿体無いじゃない。」と姉は言う。実家からスーパーまでは基本料金で済む。往復千円もかからないのだ。「クタクタの体で2時間も付き合わされる俺は勿体無くないのか!」と私は思ったが、口にはしない。
  「こんな暑い中、歩いて病院へ行ってるのよ。」と、さも大変そうに姉が言う。病院までは徒歩10分、ゆっくり歩いても15分である。荷物が多くなければ、あるいは、雨が降っていなければ、徒歩30分の距離は私の徒歩圏内である。なので、「エコを考えるなら、そのくらい当然だろう。」と私は思うのだが、これもまた、口にはしなかった。

 先日、テレビのニュース番組で、ブランド物のエコバッグに群がる人々の映像を見た。エコを考えるのであれば、バッグはブランド物である必要は無い。これもまた、エコなのかエゴなのか訳の判らない騒動である、と私は思った。 
          

 記:2007.7.27 島乃ガジ丸