ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版035 手の平を返すように 

2007年06月29日 | ユクレー瓦版

 ユクレー屋の庭にあるベンチに腰掛けて、夕方になるのを待ってボケーっとしていた。梅雨が明けて空は快晴。真夏まではまだ間がある。そよ風が吹き、木陰は涼しく気持ち良い。トゥルバル(ボケーっとするという意のウチナーグチ)のに適している。
 そんな中、ケダマンが珍しく動いている。手の平を太陽にかざしたりなんかしている。手の平を太陽にかざして、真っ赤に流れる血潮が無いのを見て、自分がマジムン(魔物)であることを確認しているわけでは無かろうとは思うが、何をしているかよく判らない。後で、酒飲みながらでも訊いてみることにしようと思っていたら、開店準備を終えたらしいマナが店から出てきて、ケダマンに近寄って行き、そして、訊いた。

  「ケダ、何してるの?」
 「手の平を返してるんだ。」
 「手の平を返して、何をしてるの?」
 「手の平を返して、気を出してるんだ。」
 「気って、あのドラゴンボールの悟空がやってるカメハメハみたいなの?」
 「そう、その気。」
 「ケダも出せるの?」
 「あー、いちおうな。ほんのちょっと。」
 「どのくらいの威力があるの?」
 「気合入れて、集中して、全力を出したら、ゴキブリくらいは追い出せる。」
 「ゴキブリは死んじゃうの?」
 「いや、柔らかい気に包まれて、ふにゃーと動くだけだ。」
 「なーんだ、そんなものなの。ゴキブリ追い出すなら手ではたいた方が早いよ。さー、そんなくだらないことやっていないで、」とマナはケダから私の方に向きを変えて、「ゑんも、ボケーっとばかりしてないで、テーブル動かすの手伝って。」と号令する。
     

 マナの手伝いを終えて、そのまま我々はカウンター席に腰掛けた。いつものように酔い時(良い時と書いても正解)が始まる。話題はさっきの続き、気の話。
 「何でまた、急に気を出そうなんてしてたんだ。」(私)
 「ユーナの空手修行に刺激を受けたんだがな、俺はこの通り手足が短いだろ、これで突きや蹴りは威力無からな、気の力が出せればと思ったのさ。しかしまあ、そう簡単なものではないみたいだ。精一杯頑張って、屁みたいな小さな気しか出ない。」(ケダ)
 「ケダは人間だった頃、武道をやってなかっただろ?」(私)
 「いや、ちょっとはあるぜ。まあ、齧ったってくらいだ。俺が人間だった頃は空手を習う機会は多かったんだ。本格的な修行とは言えないがな。」(ケダ)
 「近所にいるオジサンから手ほどきを受けたみたいな・・・?」(私)
 「まあ、そういう感じ。」(ケダ)
 「その程度だと、マジムンになったからといって、そう簡単に気が発せられたり、気をコントロールするなんてことはできないんだ。」(私)
 「うん、そういうことだろうな。でも、これから修行すれば何とかなるかもしれないと思ってな、ちょっとやってみたってわけさ。」(ケダ)

 そこへ、マナが口を挟む。
 「あんたたちさあ、ホントにカメハメハみたいなのができると思ってるの?あれは漫画の中の話じゃないの?私、現実の人間がカメハメハみたいなのを出しているところなんて見たこともないし、そんな噂だって聞いたことないよ。」(マナ)
 「いや、カメハメハほどの威力では無いかもしれないけど、ガジ丸やモク魔王たちは気の技が使えるみたいだよ。」(私)
 「あの二人はマジムンだからでしょ。しかも、ケダよりずっと優秀な。」(マナ)
 と、その時、カランコロンと音がして店のドアが開き、ジラースーが入ってきた。今日は週に一度、ジラースーが島にやってくる日であった。
 「おー、ジラースー、いいところに来た。この女が気の力を信じ・・・」とケダマンがしゃべり終わらない内に、マナがそれを遮って、
 「気の力ってすごいんだよね。私も修行すればできるかしら。」などと言う。ジラースーが来たとたん、がらりと態度を変えてしまった。手の平を返すとはまさにこのことだ、と私とケダマンは顔を見合わせ、思ったのであった。

 記:ゑんちゅ小僧 2007.6.29


魚離れず

2007年06月29日 | 通信-社会・生活

 私の父は右半身が不自由である。とはいっても、一人で生活できないことは無い。いくらか右足を引き摺り、普通の人の倍以上の時間はかかるが、杖をつかずに歩くことができる。右手の5本の指は、器用に動かすことはできないが、箸を使うことはできる。歩くことができて、箸を使うことができれば、食事、風呂、排泄などの日常生活に困ることは無い。食器洗い、洗濯、軽めの掃除など家事もこなすことができる。
 家事の中で、料理を作ることは多少難しいかもしれないと思った。ご飯は、米を研いで炊飯器のスイッチを押すだけなので問題ないが、包丁を使う作業は難しいかもしれない。野菜や肉を切ったりするのは、不自由な右手では難儀であろう。

 先週の土曜日、体調不良の母に代わって、私が父の食料を買いに行った。インスタント味噌汁を2種類と、もずくスープを買う。豆腐やワカメなどの簡単な味噌汁なら父も自分で作るらしいが、汁物はいろいろ種類があった方が飽きが来なくて良いだろうと思ってのこと。漬物を1種類買った。キュウリの漬物、キュウリなら切りやすいだろうと思ってのこと。それから、冷凍食品の、湯煎で温めるタイプのおかずを2種類買った。マグロの煮付けと、サバのみぞれ煮というもの。2種類とも魚料理にしたのは、その方が健康に良かろうと思ってのこと。脳の働きにも良かろうと思ってのこと。

 私の父は肉が好きである。よって、私の家は肉料理が中心であった。チャンプルーや味噌汁などに肉が入る。食卓に肉の並ばない日はほとんど無かった。
  酒の味を知るようになってから、私は魚が好きになっていた。で、家の食事には不満があった。食事が楽しいと思うことはあまり無かった。13年前から一人暮らしをするようになり、以来、ほぼ毎日の食事が楽しいものとなっている。私の食卓には魚が多い。
 先週、日本人の魚離れが進んでいるというニュースがあった。フライドチキンやハンバーガーといったファーストフードに口慣れて、作るのに手間がかかり、食べるのも面倒という理由からなのだろうか。・・・魚は味わい深いのにね、と私は思うんだが。

 魚料理を、作るのに手間がかかり、食べるのにも面倒があるという理由で父が嫌っているのであれば、私の買ったマグロの煮付けとサバのみぞれ煮は手間がかからず、骨も取り除かれてあるので食べるのにも面倒が無い。その日、さっそく、サバのみぞれ煮を夕食に食べてもらった。湯煎する、袋を開ける、皿に盛るなどの作業も父にさせた。それらを問題なくこなして、父はサバのみぞれ煮を食べた。「美味いよ」と言ってくれた。
 父には魚料理を美味しく食べてもらって、健康を維持するだけでなく、脳の働きを良くしてもらわなければならない。何しろ父の脳ときたら、何十回と無く繰り返し教えたパソコンの電源を切るという動作を、ちっとも覚えていなかったのである。
          

 記:2007.6.29 島乃ガジ丸