アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

セヴラック(マージナル、音楽史の片隅にて)

2017年11月26日 | ピアノ
「世界の中心」がどこにあるかはひととおりに決められるものではないけど、きっと「俺のいるところが中心」と思っている人はあちこちにいるんだろう。

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でも逆に、明らかに中心(メインストリーム)ではないというところというのは議論の余地なくあって、たとえば「セヴラック」のような作曲家は誰が見ても片隅…本人もそう思っていたらしい。

今日は「プレイエルの響き ~マージナル、音楽史の片隅にて~」というコンサートでセヴラックの「大地の歌」の演奏を聞いたのだけれど、別にセヴラックが好きだったから行ったわけではなく、ほとんど何も知らないで行った。なぜ行ったのかといえばそれはartomr氏の追っかけだからとしかいいようがなく、たぶん私のほかにも私の知る限り少なくとも何人かはそんな感じだったはず(笑)

フランス音楽界のメインストリーム、あるいはもしかしたら世界的にもクラシック音楽界の中心というものはドビュッシーとか、パリ音楽院にあったところ、セヴラックというのは、セザール・フランクとか、スコラ・カントルムとかのそっち系(傍流)に位置する。

となるとそちらの周辺に出てくる人名というのも、知名度がぐっと下がるもので、今日聞いた名前も右から左で何一つ記憶に残っていないが(^^;; 傍流であるということは過去のものを受け継いでいないということではまったくなくて、むしろスコラ・カントルムという学校では古いもの(フランスものに限らず)をしっかり学ばせることを徹底していたそうである…たとえばグレゴリオ聖歌とか。

それで、今日聞いた「大地の歌」というのはセヴラックのかなり初期の作品にあたるのだけれども、グレゴリオ聖歌っぽいところがあったり、土臭い民謡的な部分があったり、そうかと思うとドビュッシーが使うようなおしゃれな響きがあったり、ロマン主義的な強烈な「表現」があったり、そういったもろもろがわりとしっかりした形式を持ってまとめられている。

コンサート前半でそんなような説明を聞いてから後半でまとめて演奏を聞いたせいもあると思うけど、馴染みやすくもありかつ新鮮でもあるというような、とにかくセヴラック大地の歌はとても楽しんで聞けた。

マージナル(田舎)作曲家であっても過去の作曲家からいろいろなものを受け継ぎ、そしてまた未来の作曲家にいろいろな影響を与えているという…
「なぜ碁を打つのか
答えははっきりオレの中にある
遠い過去と遠い未来をつなげるために」(ヒカルの碁23巻より)

配られたパンフレットはとても気合が入っていて、なにしろ「初版にだけは掲載されていた」というセヴラック自身の詩と、日本語訳が全文載っているというゴージャス版。そのうち整理したらホームページに掲載させてくれるらしいので全国のセヴラックファン(が何人いるかは知らないけれど)は楽しみにしているように。

ところで今日の平行弦プレイエルはとても調律がよかったらしくご機嫌で、会場に入っていったときちょうどartomr氏が音出ししてたのだけど、「あれ? なんか音色が私の知ってるこの子と違う…」って思った(私だけでなくいっしょに到着したマイミクさんもそう言ってた)。

コンサート終了後に触らせてもらったけど前よりぐぐっと弾きやすくなってた。こういう古い子って日によってかなりころころ機嫌が変わるよねぇ…いい日に会えてよかった。

(注: 上記記事は今日のレクチャーのまとめではなく個人的な印象です。聞き方が雑なものでスミマセンあんまり信用しないように)

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