アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ドビュッシーとご縁が…今後もなさそうな。

2015年05月31日 | ピアノ
今日は「第9回工房コンサート全4回音律シリーズvol.4 最終回 しっかり聞いてドビュッシー~スライドする美意識~」というレクチャーコンサートを聞きに行きました。

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まぁ「音律」ですって。このマニアック感漂うタイトルのレクチャー、一体全体私あたりが聞きに行ってわかるものかどうか怪しいとも思いましたが、内藤先生の追っかけを自認しておりますので、理解できるかどうかについては悩まずに即参加を決めました。

今日は午前中がおゆき先生のレッスンで、そこから一緒に移動したので、移動中におゆき先生からドビュッシーの曲はどのくらい聞いたことがあるかというような質問をされたのですが、そのときに「ん?? ドビュッシーがどうした??」と思ってしまったくらいで(←完全に忘れてた)、ハッキリいってドビュッシーどうでもよくて、「いいピアノで内藤先生の演奏が聞けるんならそりゃ行くっしょ♪」と思ってただけです。

都心嫌いな私としては、八王子という開催地も魅力的でしたしね。

ドビュッシーというのは、そりゃ誰かが弾いてくれるんなら楽しく聞きますが、「あぁこの曲が弾きたいっ!!」とどうしようもなく駆り立てられたことは一度もなく、楽譜を開くと視覚に飛び込むわけのわからなさが譜読みの意欲を減退させ、そんなこんなで縁遠く過ごしていました。そりゃモーツァルトやらベートーベンやらより、臨時記号がごっちゃりついているのは確かですが、ご存知のとおり私は比較的シャープやフラットてんこ盛りにはめげないタイプなんで、ラベルでもプーランクでもがんばって音を拾うのに、なんでドビュッシーさんはダメなんでしょう。

今日の話は、ドビュッシーというよりもっと前の、第三回までの音律シリーズの話から始まりました。この話はめちゃくちゃおもしろかったので、また別の機会に書きたいと思いますが、そこすっとばしてドビュッシーの話ね。

今じゃ平均律に調律されたピアノが当たり前で、みんなそれに慣れ過ぎているわけですが、平均律のピアノが登場するまでには長い歴史があったわけで、そういった下地があって満を持して(?)ドビュッシーさんの登場です。

ドビュッシーの音楽は、調性がわけわかんないみたいなところがたくさん出てきますが、これは平均律(もしくはほぼ平均律に近い)ピアノが前提ですから。

「牧神の午後のための前奏曲」の冒頭、フルートで、たーららららーららら…って行くところ、「悪魔の音程(完全五度に半音足りない)」の幅の中を全音階と半音階でつなぎ、全然調性もわからないしどこへ連れて行かれるかもわからない。でも「悪魔の…」なんていうけど、牧神の冒頭の旋律は美しいですよね。

ドビュッシーは、作曲の先生が教えてくれたような、あれしちゃいけないこれしちゃいけないを悉く破り散らかして行ったみたいな感じで、先生もさぞかし手を焼いたでしょうが、その「手を焼いてる」場面をショートコント(笑)にしてレクチャー内で披露してくれたんですよ。

なんでも、先生と生徒(ドビュッシー)の問答を、これおもしろいと思ったクラスメイトがノートにメモしたというものが残っているそうで、それの再現でした。

ドビュッシー役が内藤先生ね…

先生が、アレはダメこれはダメと説明しているのに、ドビュッシーくんが「でもきれいならいいじゃん~」ってタラタラ平行五度とか弾いてるの(^^;; もうサイコー!!

でもドビュッシーは調性が嫌いなのではなくて、調のわからないところあり、わかるところあり、またそれがずれていったり、古い旋法が出てきたりと、ほんといろいろ自在に散りばめて作っていて、センスというか響きで勝負みたいな。

絵画も、「最後の審判」みたいにくっきりはっきりしたものから、モネとかみたいに「ぼやん」とした描き方になった時代。ドビュッシーの音楽も輪郭がぼやけた感じというか、滲んだような美しさを志向しているんですね。

「牧神…」はマラルメという人の詩から着想して作られたそうですが、そのマラルメの詩というのがね。言葉の意味というものをはぎ取って、響きを味わうというもので「言語の日常性(意味や機能性)にとらわれることなく,語音のもつ音の響きを生かして特定の観念を示唆づける手法を探求し,詩の哲学性・音楽性を拡張。俗に【象徴派】と呼ばれるジャンルの探求にあけくれる。」(ステファヌ・マラルメの3つの詩)

いやもぅ…言葉の意味も機能もはぎ取ったらいったい何が残るっていうのか、いや響きが残るってことか!?

それはそうかもしれないけどそんなものはもう言葉じゃないし、いやー私はそんな詩認めんぞ~(私が認めなくても誰も困りはしないでしょうが)

そんなこんなで、私は今日のレクチャー、ものすごく興味深く聞いたのですが、それでわかったこと。

ドビュッシー、今後も弾くことはなさそうです…

私は輪郭とか構造とかハッキリしてるもののほうが好き。マルグリット・ロンさんもおっしゃっているそうなのですが、ドビュッシーの譜面見てピンと来ないなら弾かないほうがいいって。

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モルダウが少しずつ流れる話

2015年05月30日 | バイオリン
前に「モルダウがなかなか流れない話」というのを書きました。

   にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ←曲の傾向変えてみるといろんな発見が

あれの本番が来週末にあります。というわけでそのピアノ合わせに昨日行ってきました。

「モルダウ」は、これまでの私の選曲からするとがらりと傾向が違うでしょ? 前のこの会のときはビバルディ調和の霊感とかバッハドッペル(の三楽章)とかやってましたが、要するにかっちりした古典曲の、それでいてそんなにみんなが弾かないやつ(つまりドッペルの一楽章ではない)。

バッハとかのころの曲は、元々バイオリン用に作られた曲で、かつ初心者用に遠慮して作られたわけでもない曲(笑)であっても、あんまり高い音が使われてないことが多いです。そして、朗々とメロディーを歌う系でなく16分音符でかちゃかちゃ動いてたりして、1stと2ndの掛け合いが複雑なやつね。

つまりどういうことかというと、私がまじめにその曲を練習した場合に、一番上手に聞こえる曲というわけです。

それに、私はいわゆる「編曲もの」が嫌いで、たとえばショパンのノクターンを初心者バイオリン用に編曲したやつとかね。そんなんだったらピアノで弾くわー…でもそういう「有名曲の簡単編曲」が嫌いだということになると(バイオリンが下手なくせに)、ほんっと弾く曲ないのよ。

だからね、モルダウなんて超有名曲の簡単編曲、しかも朗々と歌う系のメロディーが出てくるやつを選曲するなんて、なかなかありえないことだったんです。

でも今回、試しに弾いてみたらば、モルダウは元がいい曲すぎて(笑)簡単編曲でもなかなかいい曲だったし、1stと2ndが互いに受け渡していくところと、平行して朗々と歌うところの対比がおもしろいなと。

それに、今年は五月六月がすごく忙しくなりそうだったので、マジ練が必要なものは避ける決断をしたんです。

避けて正解でしたよー。実際、忙しいといっても、とられる時間はさほどじゃないんですが、会社から帰ってくるとごはんを作りながらまずメールのチェック…これ、バイオリンにとっちゃ破壊的で、一日10分弾こうかって時間がちょうど取られちゃいますからね。

考えてみたら二週間バイオリンにさわってない、って状態のときもあったり。

そんな中、レッスン前、合わせ前の数日には真剣に練習したのですが、そういう数日の泥縄でかなり改善する曲でした。簡単といっても細かい音は並ばないわ朗々と歌うところは強弱つかないわ、練習前には散々だったんですが、まず開放弦だけで強弱を練習してから音をつけるとか、弾けない一小節を超ゆっくりから練習して動きの無駄を省いていく、とかするとけっこう大幅改善するんです。バッハドッペルを三日真剣に練習してもそんなに劇的によくならないですよね。

それと、私はビブラートが苦手で(苦手っつーかバイオリンが下手なだけだけど)、だいたい、ビブラートかけようとするとよけいガッカリ感が漂うことが多いんで、なるべく避けてたんですよね。音の動きがチャカチャカしているバッハとかならあまりビブラートがかかってなくても気にならないというのもあります。けど、ビブラートがないモルダウってほんとどーしょーもないので…

なんちゃってビブラートでもいいから、かける、かける!!

とにかくほしいところには下手でもいいからかける。

ということを心掛けていたら多少慣れたようです(^^;;

下手だからやらないじゃいつまでたってもうまくなりませんね。

がんばりましょう。

ということで合わせですが、最初はきーちゃんさんも私も必死感漂わせて弾いておりましたところ、中川先生から「ピアノとの受け渡しをしっかり。もっと思いやりをもって」と指摘が入り(-_-;; 何度かそのつもりでやっていたらだんだんモルダウ流れてきました。

流れるとやっぱりいい曲です(編曲モノでも)。しかもピアノめちゃうまいんで盤石です。私のビブラートさえかかれば。はは。

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練習曲というもののポジション

2015年05月28日 | ピアノ
【昭和のピアノ教室】と【新型ピアノ教室(ハード系)】の大きな共通点はといえば、

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←結局、弾きたいように弾くんだけど

自宅でのコンスタントな練習必須ってことですね(^^;; ま、そこに挫折しての【新型ピアノ教室(ゆる系)】選択になるんですが。

で、【昭和のピアノ教室】と【新型ピアノ教室(ハード系)】の分岐点はといえば、(親がどのくらい入れ込んでいるとかいうことのほかに)やはり、練習曲というものの位置づけでしょう。

【新型ピアノ教室(ハード系)】の極端なケースをいえば、子どもはコンクールの課題曲、あるいは自由曲であってもコンクールで聞き映えがするであろう曲にいつでもかかりきりになっている。

練習曲、あるいは(音を並べるという意味では)難易度の低い曲。ゆっくり系の曲。古典曲。
というものはほとんどやる暇がないというような。

難しい曲をコンクールレベルに仕上げるわけだから、一年に弾ける曲の数は、極端に少なくなる。

実際、そこまで極端なことをやっている教室がどのくらいあるのか知りませんが、子どものコンクールの弊害みたいなことを検索して、「基礎重視派(?)」の先生が書いてる文章を読むと、まぁそういうことになってます。
(参考: 「子供のためのコンクールの落とし穴・・・」)

…それってさすがにダメじゃないの、と思いますか??

私はね、よくわかんないです。というか複雑な気持ちです。なぜなら、
私はそういう教室に子どもを預けようとは思いませんけど、
(そもそも練習に付き合う気がないから話にならないけど)

実は、これって現在の私の状況とクリソツじゃありませんか。

練習曲、難易度の低い曲、古典曲をやる暇がほとんどなく、
演奏効果の高い曲ばかり狙い、
一年に弾ける曲の数はかなり少ない。

…どきっ。

コンクール曲ばかり弾いてる子は、基礎が身につかなくて伸び悩むんですか??

オフ会用の曲ばかり練習してるおばさんは、上達できない!? (^^;;

でもね、どうしても弾きたい曲があって期日(オフ会)があれば、比較的がんばって練習するじゃない?? その中で、ややこしいところがあったら取り出して練習もするじゃないですか。現に、弾けない弾けないっていってる音階だってずいぶん慣れたよ。曲の中で。

課題を単純な形で抜き出して、練習曲の系列で固めたほうが、ほんとに上達早いんですかね??
一般的に??
大人でも子どもでも??

という疑問を常々持っているんですが、私の我儘勝手なリクエストに大幅譲歩しながらも、「できればツェルニーだってやったほうがいいんだけどね」と思っていらっしゃるおゆき先生には直接聞きづらくて(爆)

ま、私の場合は、「練習曲をやるのに比べて、人前で弾きたい曲ばっかり弾いてると、上達スピードは1/10です」ということが仮にわかったとしても、「あ、1/10なら十分です」といって今の路線を続けると思うけどね。だって100歳まであと50年以上あるもの(笑)

【新型ピアノ教室(ゆる系)】の練習しない子どもたちって、練習しない間はほんとアレなんだけど、本人が何かやりたいことが出てきたときの爆発的な進歩というのは本当にすごいです。弾く曲は、合唱の伴奏であったり、ゲーム曲(ザナルカンドにて)であったりしてちっとも練習曲じゃないんだけど、目を見張る成長を遂げます。だから練習曲より、本人が本気になれる曲なんじゃないかな、って、つい思ってしまうわけです。

【新型ピアノ教室(ハード系)】の場合、なにしろきちんと練習するわけだから、十分上達してもおかしくないと思うんですがどんなもんでしょうか。
(親子の癒着とか、ピアノの楽しさが勝ち負けにすり替わったりという危険は別の問題ですが)

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理想のピアノ教室はどこにある

2015年05月27日 | ピアノ
これまで概観してきた各タイプのピアノ教室まとめ:

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【昭和のピアノ教室】
・決まったカリキュラム(バイエル~ブルグミュラー~ツェルニー30番など)に沿って進める
・曲は古典中心、無理のない難易度の曲、練習曲が柱になる
・個人練習必須
・ピアノの奏法、譜読み、楽典は基礎からしっかり体系的に教える
・先生が指定した曲を指定した方法で練習する

【新型ピアノ教室(ゆる系)】
・子どもの興味に極力合わせてPOPS、アニソン、アンサンブルなどに対応
・個人練習任意
・ソルフェージュ、リズム遊び、楽典、コード弾きなど、子どもの反応を見つつだましだまし(笑)音楽の基礎を種まき

【新型ピアノ教室(ハード系)】
・コンクール課題曲などに取り組む
・曲の時代はいろいろ。難易度の高い曲中心
・親の付き添い必須
・個人練習必須(親がみる)
・演奏効果高く仕上げることを重視

教わる側のニーズは様々なので、あるタイプのピアノ教室があって誰に対しても理想、ってことはありえない。

たとえば、うちの子どもたちが教わった【新型ピアノ教室(ゆる系)】は、またろうにとってほぼ理想であったと思う。音楽という意味でもバラエティー豊かな引き出しを持っていたのはもちろん、またろうの特性をものすごく深く理解してくれていたから(ほとんど子守り状態のころも…)。

こじろうにもとてもよかった。こじろうは、またろうに比べるとずっとふつうの意味でピアノが弾けたけれども、ムラッ気でほとんどの場合やる気なし、扱いにくい子だったので、先生がそれこそだましだまし音楽の基礎を注入しながら、こじろうのリズム感の良さを生かしたアンサンブルや、クラシックでないピアノ曲演奏を体験させてくれたのはほんとによかったと思う。そしてほぼ練習ゼロのまま小6まで続けたってのもすごいよね。

三人の中でははなひめだけ、実は【昭和のピアノ教室】のほうがよかったかもしれないという気がちょっとしている。ほか二人はどうやっても無理だけどはなひめは先生がかっちりしてればそれに乗ってできたはず。元々親戚のおばさんみたいに親しくて、おうちに来てくれて、甘える対象だった先生にそのままわがままいって、ろくに練習もしないでピアノが好きにならないまま終わってしまったけれど、むしろ暗黙の強制力があってきちんと練習していたら、違う世界が開けていたかもしれない。

どんなにうまくいっても別段音楽の才能があったとは思えないが、たとえば私のように、先生の言うとおり練習するレッスンに小学校三年生で挫折しても、それから【新型ピアノ教室(ゆる系)】に切り替えるのはアリだ。今は昭和じゃないんだから、そういう、選択の自由がある。

今となっては評判の悪い【昭和のピアノ教室】だけど、
そして私自身も、こんなに音楽の才能(注: 音楽家としての才能ではもちろんなく、音楽を生涯楽しむ才能)に溢れた人材をオチコボレにするなんて!! という不満は持っているけれど、

でも考えてもみてください。

小三までの【昭和のピアノ教室】時代がなかったら、私は今ほどピアノやバイオリンを楽しむことはできてなかったと思うんです。楽譜がてきぱき読めて、音もリズムもしっかりとれる(それが無味乾燥レベルであっても)というのはものすごく便利なことで、ややこしい曲に挑戦して玉砕できるのも(^^;; その基礎あってこそ。

結局のところ、ピアノサークルで会う面々も、なんだかだ【昭和のピアノ教室】で培われたスキルを活かして、ピアノの楽しみにつなげている人が多いものね。挫折した人もしなかった人も、ずっと続けている人も長年のブランクがあった人も。

つまり、【昭和のピアノ教室】と【新型ピアノ教室(ゆる系)】を折衷したあたりに、おおよそ理想のピアノ教室ってのはあるんじゃないかと、私は漠然と思っているのです。

ただし、実際のところ、ある先生が両方のスキルを持つことも難しいし、教室の空気というのもなんというか…「混ぜるな危険」的な部分があるような気がするので、だから親が子どもの今の状態に合った教室を渡り歩けばそれでいいんじゃないのかな、と(え、ここまでひっぱってその結論!?)

要は、音楽を楽しむハートと、音楽を楽しめるスキルの両方を持って成長できればそれでハッピーなんですよ。そこに至る道は別に一本ではないはず。

それで、【新型ピアノ教室(ハード系)】の話はどこへいったのか、ってことなんですけど。

正確でメリハリのついた演奏ができるテクニックを早めに身に着けちゃう、という意味ではすごく魅力的だと思うんですよねーそれが今あればな、とはやっぱり思いますし。ただ、そのために「親のつきそい」「レッスン日以外の親の教え込み」が必須なのだとしたらそれは弊害のほうが大きくなることが多いだろう、くわばらくわばら、とも思うので…

実際、どうなんでしょうね?

先生の教え方が、譜読み楽典より、効果の高い演奏に偏っているというだけのことであれば、それはそれでありなんじゃないかとも思うのですが、あんまりそういう話を聞かない(といって尻切れトンボに終わる)

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もうひとつのニーズと新しいピアノ教室

2015年05月26日 | ピアノ
親として、子どものより豊かな未来を志向して、教育に手をかけお金をかけるというのは真っ当なことですが、ピアノというジャンルは、比較的それが「暴走」しやすい性質を持っています。

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・お金や手間が尋常でなくかけられちゃうこと…
レッスンには親が付き添って逐一メモをとって家で子どもに教え込むとか、偉い先生(?)につくとか、いいピアノを買うとか、いいピアノを置く部屋を作るとか(!)、コンクールを受けるとか、通過しやすそうな地方予選を狙って遠征するとかまでやっちゃったら、いくらでもかかります。さすがに、そこまでやる(できる)のはごく少数派だと思いますが。

・子どもの上達のためには親力が必要そうなこと…
たとえば、画家としての才能を若くからめっちゃ発揮した子がいたとして、その親がドヤ顔してるってのはあんまりピンときません。そりゃ、子どもの素質がすごいんだってみんな思うでしょ。まぁ、その素質は親の遺伝子ミックスでできたんでしょうけれども、育て方が素晴らしいって話にはなりにくいですよね。
でも音楽の世界、とりわけピアノとバイオリンについては、早い段階から親が本気の投資をすることが必要ですから、
ナントナク親が(育て方が)エライ
的な雰囲気にもなりやすいんです。

・子どもの出来がわかりやすく評価の対象となってしまうこと…
ポイントはここです。評価といっても、発表会でお互いに聞き合って、「あの子うまいわね」ってわかる、というのは、聞く人数もたいしたことがありませんし、どのくらいうまいか比較も難しいですし、そもそも、音楽を聞く耳がなかったらどの子がうまいかわかりません(^^;; だから影響も比較的穏やかなんですけど。コンクールのような仕掛けがあって、子どもが「音楽がわからない人にもわかる」「演奏の場にいなかった人にもわかる」評価を勝ちとることがある。これは容易に暴走のトリガーになりえます。

子どもが出るコンクールといっても「全日本学生音楽コンクール小学生の部」くらいしかなかったときには、あまり一般人には関係ありませんでした。千住真理子さんくらいうまけりゃ出るでしょうけど、うっかり出場するようなものじゃありませんし、出たところで「付け焼刃」で賞が取れるようなものでもありません。

でも、今や、もっと気軽に出られるコンクールがいっぱいあります。年齢も細かく分かれて、前の記事に引用したピアノ教室の話にもあるように、バイエルが終わっていない子が出られるようなところもあるわけです。

この場合、低年齢で区切られているコースがあるところがミソです。先生が本気で「コンクール弾き(?)」を仕込むと、本質・本筋から離れていても、ぱっと引き立つ演奏ができる可能性があるからです。

なのでここに「新しい」タイプのピアノ教室が現れて、
・譜読みや音楽の基礎をきっちり身に着けるような面倒なことは脇に置き、
・成長して大人になったあとの豊かな音楽表現につながるかどうかも二の次で、
・背伸びした曲を徹底的に仕込んで入賞しやすいパフォーマンス的演奏をさせる。
ということをすると、一部の親のニーズに非常にヒットすると思われます。

ただ私は「そういう」ピアノ教室のことを深くは知りません。たまたま「弾き合い会」で見聞きした世界はそのようなものだったと思いますし、ネットを検索すればそのあたりからこじれたような事例もいろいろとヒットします。なのでそういう世界は実際にもあるのでしょうけど、

そういう教室(や先生や親)がごく少数派であることを強く願います…

「暴走」というのは、親と子どもの距離が近すぎて、価値観や人生観がコンタミし、子どもは自分自身の希望や意志がどこにあるかわからなくなることを指します。子どもにプラスのことやマイナスのことがあると、親もそれを自分のこととして受け止めてしまうところも特徴です。

これはピアノがうまい下手ということよりずっと、後の人生に影を落としますからね。

ところで、ピアノにおいて「暴走」しやすい理由を挙げましたが、もしかして、同じことが中学受験にも当てはまるんじゃない?? と思ったアナタ、

鋭いです。かかるお値段はそこまでじゃないかもしれませんが、わりと本質的には似てます。あれも暴走しやすい世界です。

ただし、この場合期間限定というか、最後に「成功」すると子どもはその中学校に入学するわけで、仮に親のほうがその成功を自分の手柄のように感じていたとしてもそんなこととは関わりなく、子どものほうは親のことはどうでもよくなって勝手に成長していってしまうのですね。親が子どもといっしょに心血注いで選び抜いた、その恵まれた環境で。

だから、あまり低学年から手をかけて長期化したりするんでなければ、たかだか二~三年のことです。終わりがあるから、たいして泥沼化しません(けど人によるかも)。

あ、なんの話でしたっけ、要するにコンクールという価値観が独り歩き始めるとやばいんです。特に小さい子のコンクールはね。優れたピアノ教師であれば、生徒をコンクールに出すこともあるでしょうが、コンクールが練習や上達の糧となるようにうまく誘導し、生かしていくはずです。その結果、賞をたくさん取ることもあるかもしれませんけど。

そうすると、賞をたくさんとる教室は、その両者が入り混じっていることになります。親としては、そのへんをきっちり見分ける力量に自信があるのでなければ、「コンクールに入賞させてくれる教室」にあだやおろそかに足をつっこむべきではないでしょう。「暴走」の予後は非常に悪いですから。

イタイ質問の例→ヤフー知恵袋「ピアノコンクールで入賞するには」

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