アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

書道とピアノって似てると思うんです

2017年03月31日 | ピアノ
まぁ誰も同意してくれないとは思うんですが、個人的には、書道ってピアノと似てるな~と思ってます。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←書道うまくなるとピアノもうまくなると思うんですよ!!(力説)

基本的には「線質」がよくないといい作品とはいえないと思うんですが
(墨がよくのってて、滲みすぎずかすれすぎず、勢いがあって、ぴっとしまってる感じ)
ぱっと見たときそこそこ見られる作品になるかどうかは全体のバランス、形。

だからといって形をきちんとすることにこだわって、慎重すぎるというか萎縮して書いちゃって、
リズムがなくなるのはぜんぜんダメ。

そして線の自然な流れは、物理法則(筆の弾力)にのっとってあくまでも無理なく動いていることでできるの。

…似てるでしょ??


今日は、月イチの書道の日でした。自分で選んで先生にお願いしておいた課題は「花紅柳緑」。春らしくていいよね(^^) 天気はちっともうららかじゃなかったけど。

いつも、レッスンのときは半紙を11枚もらって書きます。最初はお手本を見ながらまず一枚書いてすぐ先生に見てもらって、
形の取り方の具体的なところを教えてもらいます。

お手本見ながら書いてるので、クリソツに真似していこうと思ってがんばってるのに似ても似つかぬ結果になって(笑)
特に私の一枚目はいつもめっちゃ半紙からはみ出る勢い。

先生「(笑)アンダンテさん…形はけっこういいですよ…でも太い!!(笑笑) もうちょっとめりはりつけて、それから余白も作っていきましょう」

ここは細目、ここは太目、この字で主役になるのはこの線。
ここはもう少し広く空きがあるとかっこいい。云々。

お手本を見ていても見れども見えずだったポイントを解説してもらいます。
今回の課題はいとへんが並んで二つ出てくるところも特徴で、こういう同じ形が並ぶときはどういう変化をつけるかも重要なんだって(似てるでしょ)

さて気を取り直して、ここから先は二枚書いては先生のところへ持っていきます。

ここはこうで…というポイントは頭ではわかった(つもり)のでそのとおりに書こうとしますが、考えすぎたらよけい変になったりとか、「あぁっ!! ここはこうするはずだったのに忘れてた!!」なんてことも。

大きな失敗しちゃうと、そこでやめて次の紙に行きたくなりますが、とにかく全体書ききることが大事と言われているのでそのまま行きます。

お手本とかなり違っちゃったというときも、実はお手本って唯一の正解ではないので、その違っちゃった形を生かして全体のバランスを取っていけば案外それもアリだったりします。まぁそんなんじゃなくて単純に失敗ってのもありますけどね(ぼそってなっちゃったとか)

ポイントのことを考えすぎたり、大きくならないように~と一生懸命抑えて書いてたりすると、
形は整ってきたんだけどなんかぎこちないというか勢いがないっていうのが数枚出来上がったりして…

ほんといつもそんな感じ。

でも、残りが二枚くらいになったときに突然その具体的な注意事項がすとんと飛んじゃって、
すっすっとリズムにのって筆を動かしていても、自然とぐっと形がとれるようになるの。

筆の弾力に沿って書いていくとちょうどいい線ができる感じ。
この瞬間はほんとに好き!!

先生「いいですね~のびのびしてて、アンダンテさんの線になったわ」

このとき、よく見るとお手本とはだいぶ違う作品になってるの。でもこれはこれでありか、みたいな。おもしろいよね。オリジナリティーを出そうとしたんじゃなくてただひたすら真似て書こうとしただけなのに。

半紙11枚を書き終わってから、100均の色紙に今日の課題を書きました(トイレに飾る用)。


色紙を書いたら、先生が桜のシールをくれました♪ 今日は花見って感じじゃないけどもうすぐですね~


ピアノと書道の違うところはねー、書道は月いちレッスンで家ではまったく練習しなくてもちゃんとじわじわ上達していくところ。。

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ハノンやチェルニーをやってない人のベトソナ

2017年03月30日 | ピアノ
子どものころはチェルニーやる前にやめてしまい、大人になったらチェルニーはやらないで好きな曲だけ(^^;; という私がベトソナに挑戦するとどうなるか…

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チェルニーってまぁチェルニーなので、別にチェルニーがしっかり練習してあるからといってショパンが素敵に弾けるわけじゃないですしそのへんの曲だとあまり気になりませんが、ベトソナだとねぇ。チェルニーってあれこれいわれるけどベトソナ弾くには役に立つでしょう、っていうそのベトソナだから。

具体的にいうと、音階とかアルペジオとかそういうところ、基本音型というようなものが訓練できてないのでいちいち手動運転で、たいへんです。

大人ピアノ再開まもないころは特にそのあたり、音階コンプレックスとでもいったらいいか、音階弾けないからモーツァルトやベートーベンは無理だよねとか思っていたりしたんだけど。

もうアラフィフになってからは無理とかしのごの言ってる場合じゃないので、自分にとって難しいかどうかなんてことは脇に置いて、ただ一生のうちに弾きたいと思うなら「これからの人生、今がいちばん若いんだからとりあえず手にあてとく」ほうを重視することにして、

モーツァルトもそりゃ音階がキレイに弾けなかったら一番やっかいでしょうよ、という理性の声はあるんだけどあえて無視して弾いてみると、まぁなんのかんのいっても好きな曲を弾くほうが熱心にやるので、モツソナいいじゃない楽しかった(^^) という感じで…

そのうち音階もさすがに数年前よりはだいぶ慣れてきました。やっぱり不得意だからってやらないよりはやったほうがうまくなるよねそりゃ。

そうなってからツェルニーの楽譜もらったりしてあらためてツェルニーを弾いてみると、案外ツェルニーも弾けるもんだと思ったり。ただし私が弾いてみておゆき先生レッスンに持っていったのは「右手」で音階を弾くタイプのものですね。

実は、弾きたい曲の中で練習するという自然発生的な音階練習だけだと、右手はずいぶんスムーズになったけど左手はあまりよくなってないです。元々右利きだというのもあるし、曲の中での発生頻度も違うから。

それと、音階よりむしろ問題あると思うのはアルペジオとか和音を連続でつかむこと。

ということで、ベトソナ9も第三楽章なんとかならんかなと思って弾いてみると、左手の音階が出てきたところとかでありゃりゃ、って感じになります。

人生いつか練習しなけりゃ左手の音階が弾けるようにはならない、それは当然として、ハノンで練習しようがチェルニーで練習しようがベトソナの中で練習しようが同じなのかというと、どうなんだろう、実際のところ??

ベトソナの中で練習する場合の問題点として考えられることは
・(部分)練習量が十分でない(ことになりやすい)
・曲の中なのであんまりリズム練習とかするのもはばかられる

うまく弾けない(速く弾けない)んだったら、タッカタッカとかタカッタカッとかやればだいぶ改善しそうなところ、なんか曲の中でそういうブチコワシ的な練習って抵抗あるもんだからやっぱりやらない。

そんな感じで、左手音階や和音その他問題を抱えつつ、のベトソナワールド突入です。

もっとも、ハノンさんやツェルニーさんでは私に音階練習をさせることができなかった(モチベーション不足)だったところ、モーツァルトさんやベートーベンさんは、やや量的に不足とはいえこの私に音階練習させることができちゃってるんだから、そりゃ偉大としかいいようがないですね。


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めげずに最後まで演奏するほうがいい

2017年03月29日 | ピアノ
ヤマハの先生が言ってたんだけど、発表会が近くなると、子どもの生徒には
「間違えたら最初から弾き直し練習」
というのをさせるんだって。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←小事故大事故あってもとにかく全体を演奏する。人前ではそうするんだから

発表会で弾く曲を頭から弾いて、つっかえたら最初からやり直し。そうやって最後まで到達するまで帰れマセン、みたいな(ひぇ~っ)

ただ、この練習を大人にさせると、萎縮しちゃってかえってマズい演奏になるのでやらないと言ってました。

…そりゃそうだろうよ…

っていうか「子ども」ならそういう練習で効果あるのかどうか?? にわかには信じがたい。まぁ子どもの性格にもよるかもしれないけど。あまりに真剣味が足りなくて、へらへらとしか弾かない子がいたら、そうやって無理やりの緊張練習をさせるのもひょっとしたら意味があるのかもしれないが。

とにかく、実際に人前で弾く段になったら、何が起ころうと最後まで演奏するっていうのは必要で、だからあんまりそれとかけ離れたリハ形態っていうのはよくないんじゃないかなと直感的には思う。

昔、家庭教師で教えていた子のピアノ発表会を見に行ったときに、そりゃもうびっくりしたのが、かなり多くの子が、舞台上で曲を途中でやめて、涙ぐんで舞台袖へ戻っていってしまうこと。えぇっ(o_o) ちょっ、ちょおま、続きは~?? って思うよね。あとで聞いたら、その先生は、「人前で弾いてるときにつっかえるなんてとんでもない。つっかえたらもうその場で(演奏中断して)戻っていらっしゃい」と指導していたんだそうな。そんなー。。聞くほうの身にもなってくださいよ。つっかえてもいいから最後まで聞かせて。
(私の教え子はちゃんと最後まで弾いてた)

その先生の指導は、なにがしかの観点から上達を真摯に考えたものなのかもしれないけどとにかくそれは発表会の演奏としてはNGであると思います。

そんな話を思い出したのは、「愛の夢のつづき」ブログで「ピアノも同じ。リハーサルで何があっても頑張って続けることが本番に繋がる」を読んで…

本番が近くなってリハーサル(通し練習)をするならとにかく通し切ることが大事(スケートもピアノも)という趣旨です。

…このほうが断然納得いきます。もちろん、仕上げじゃなくてもっと手前の練習するときに部分練習するとかは別の話ですが。

家で誰もいなくてゆっくりじっくり録音してアップしようとしているときって、まぁなるべくノーミステイクを取りたいですよね。そうはいってもノーミスなんてできたためしはないんだけども(^^;; 録音聞くときってあんまりキズあると生のときより気になっちゃうから。小ミスとかで収めて流れを損なわない程度に先に行けたやつを取りたい。

という場合に、弾いていて大ミスして、こりゃもうOKテイクにならないなってことがあるでしょ。

そのとき、この先を弾いても時間の無駄だから最初に戻って弾き直そうかとも思うじゃない??

ところが、どうもそういう流れで録音しようとしたときって、いつまで経っても収束してこなくて…
何があっても最後まで演奏する(聞いている人がいるつもりで)
という方針でやってるほうが、なぜかトータル短時間で収束してくるの。全体がだんだんいい感じになって、安全率が増してくる。

「収束」という言葉を使ったけれども、まさにそんな雰囲気で、一回一回着実に流れがよくなっていく感じさえします。

録音チャレンジ(ひとりでリハ?)やるとへとへとになるんだけど、仕上がりに向けて効果絶大です。別に、聞いてる人はいないんだから、途中で演奏をやめるのが失礼とかそういうことではないのですが。ミスをしようが出来が気に入らなかろうが最後まで演奏するんだと思うとなんだかふだんと違うレベルで集中するんです。真剣度が違うだけじゃなくて、なんだか全体を見通して考えているというか…

録音してないときだって、さー通して弾くぞ、とか思ってるハズなんですけどね?? どうもたいして集中してないみたいで。

録音してなくてもそんだけ真剣に通し練習したらどうなのかって…

…いやできませんソレ(-_-;;

そういえば、練習会とかで人前で「一回」弾くと、それだけで明らかに流れがよくなります。「ひとりで録音」よりさらに効果でかいです。ふだんからそんだけ真剣に練習したらどうかって…いやできませんソレ



(録音して何度か弾いてる間に、ピンポイントで特定の部分が危険個所であることが判明した場合は、むしろいっぺん録音とめちゃって、そこの部分練習をしてからまた全体の録音に戻るとよいような気がします。)

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私学のPTA活動

2017年03月28日 | 中学生活
三人の子どもたちの小学校生活がすべて終了したとき、すんごい解放感だったことは前に書いたけど…

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←しかしPTAライフもいよいよもうあと二年で終わり

子どもが中学生になっても、PTAライフは続くのよね。

もちろんまたろうが中学生(公立中)のときにもPTAがあって、そこでは三年間のうち一度は委員をやりなさいってことになってたの。ただ、同じ地域の公立でも、小学校と中学校ってかなりPTAのテイストが違っていて、私としては小学校よりはずっと中学校のほうが気楽だったな。

委員のなり手がないってことにかけちゃ、小学校よりずっとひどいです。でも、沈黙しててもどうにもならないことがわかってるので、「出席・欠席に関わらず、事情に関わらず、委員経験がない人の中からくじ引き」ということになっていて、ドライです。(公平みたいだけど、やる気のない人が「当たり」になると実際には来なかったりするので、負担が公平になるわけじゃありません)

小学校に比べて、子どもが中学校に上がっちゃうと、保護者からの子どもの学校ライフへの視線がぐぐっと軽くなるというか、仕事をする人も増えるし、子どもに関わろうとするとロクなことがないしで(笑) よくも悪くも熱意は格段にダウン。その分、学校側も親の活躍をたいして期待してないんで、活動もライトになってました。もう、やれるようにやるっていうか…

私が委員をしたのは、またろう中二のときで、生徒有志がやるコンサート(ダンスなど含む)の設営・運営でした。その活動が(親が)やらなきゃいけないようなことなのかは別として、やるとすればまぁそこそこ合理的に運用しよう(楽こそ正義)というノリがあって、小学校より気分が楽だったんです。

そして、こじろうもはなひめも、私学だけどやはり中学・高校とPTA活動はあって…

どちらの学校でも委員を体験したけど、これがもう全然気分が違うのよね。私がいつもあまりいそいそと出かけていくんでその変貌ぶりによしぞうが驚いていました(笑)

まず、会社は(ほぼ)休まなくていいの。土曜日が基本。活動内容もスリムで、文化祭のときのバザーや食堂とか、わかりやすい(ベルマークとかなし-笑)。

嫌なこと(理不尽な業務の押し付け)がないだけでなく、保護者で気の合う人がたくさんいて、作業しててもランチしてても楽しいんだよね。結局そこかな…

まぁ、子どもを「合う」学校に入れた時点で、自分にとっても「そこそこ好み」であることが多いわけなので、話のノリが合う保護者が多いことも道理です。

そういうわけで、進んで委員をやる人も多いから、くじ引きとか、引き受けられない事情を根掘り葉掘りするっていうようなこともない。

結局そういうことだよね…イヤでなく引き受ける人の人数が足りて回っていくかどうか(それだけ魅力のある活動かどうか)。

委員をすると、委員会活動が終わったあともランチ仲間として楽しめる付き合いが広がるし、学校でやってることや雰囲気もよくわかって、要するに学校生活全体の(親にとっての)満足度が上がるんだよね。学校にとっても、いわば顧客満足度upすることで口コミその他、「次」につながるという面もあるので、それなりに大事なんだと思う。

そういうふうにうまく回っているんだったら、活動そのものはぶっちゃけどうでもよくて…別に文化祭で親が食堂やってなくたってどうってことはないしPTAだよりがなくたって困りゃしないじゃないですか。ただそこに、人の和(輪)ができるきっかけとなる活動があればよい。

私学のPTAに「比較的」問題がないとすれば、そういうふうに「うまく回る」条件が揃いやすいということでしかないですね。

どっちの学校も、PTAに入会したくない人(脱退したい人)や不払いの人がいたらどうするのかなんて、問題になったことも考えたこともないわけで。それでうまくいっちゃってる。それが(おおかたの)私学ですね。でも、うまくいってない学校もあってあぁいう訴訟になってしまったわけで、問題が生じうることについては本質的に差はないかなぁ。

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音を並べるまでに時間がかかる曲

2017年03月27日 | ピアノ
ところで、譜読み、好きですか?

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←無謀選曲癖はわりと下火ではあるのだが、たまにこれが…

私は譜読み(音並べ?)わりと好きで得意で、というかヤマハでピアノ再開してしばらく経ってクラシックにハマったあとは、明らかに譜読み「が」一番好きだったんだと思う。

これまで聞くだけだったあの曲この曲が、徐々に自分の手から鳴らせるようになるって、うれしいもんね。「あぁこの曲」てなもんで。素敵に弾けないにしてもそれはそれでまぁ(あとは頭の中で「素敵」に改変するとして)。

でもね、今、アルカンの「ファ」と吉松の四季にほぼ同時にきりがついて、一気に全部の曲が譜読みフェーズに入ってみたら、

あら私、いつの間にか、譜読みが一番好き、ではなくなってる

ということに気が付きました。

いちばんおもしろいのは、音を並べるとこじゃないよね別に。

自分が(聞いて)知ってる曲の、音がだんだん並んでくところが楽しい、ということだと、どんどん難曲に挑戦したくなるわけで、だからこその年一回「大曲(たいきょく)の季節」だったりしたんですよね。

三か月、四か月かけてえっちらおっちらよろよろと弾いてるっていう…

今、そこまでの曲(ショパンのバラード)を弾きたいとはあんまり思いません。
曲として、ショパンのバラードの「好き」レベルが下がったわけではまったくないんですが。

(ちなみに、そうやってよろよろと大曲を弾いてるところを、比較的古い知り合い(ばっかいず世話係さんと、くさぴあさん)は聞いたことがあるはず)

ここんところしばらくで弾いた曲を思い返してみると、特に「音を並べるまでにめっちゃ時間がかかる曲」の割合は減ってたと思います。

シューベルトの即興曲op90-3とか、吉松の四季とか、ベトソナ9番とかは、音があらかた並ぶまではわりと早い曲だものね (そして素敵に弾くのはたいへん)。

アルカンの「ファ」とか、フォーレのノク4とかはすっごい時間かかってますが。

譜読みにつかまって、うまく並ばないままずっとえっちらおっちらやってると、しまったーー!!
って思ったりするんですよ。昔と違って。

特に「ファ」なんて、やってもやっても先が見えなくって、うぉー間に合わないーどうしよ、ってなってたものね。
やってみたら思ったより大変だったという曲です。

じゃあ(コスパ悪いから)やめるかっていうと、元々好きで選んだ曲だし、それだけ手間かけといて撤退するのがもったいなくてやめられないという、
なんかもうちょっとやってると目途が立つんじゃないかという、

それって株とかでずぶずぶ損をしながらもうちょっとと思ってお金つぎ込んでく的なアブナイ心理と似てる!?

でも実際、「ファ」も最後急速に目途が立って…
なんか急に霧が晴れてくるときが来たりするんだよね。

それが癖になるからまた、「やばい!! 難しかった!!」ってなときにやめられない~

今、いっこ迷い中。行くべきか、引くべきか…やっぱ弾くべきかみたいな…
これ、弾けるようにならないよ!! と叫んでいる冷静な自分もいて
でも
あぁなんて素敵!! な萌え箇所があったりしてそれにつかまると離れられないの。

ちなみに、ラフマの前奏曲op32-2です…
(どうしてそんなのに手ぇ出すんだっていうおゆき先生のツッコミの声が聞こえる…はい…ですよね…)

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