アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「やりすぎの演奏」の線引きは??

2010年01月31日 | ピアノ
先日のレッスンのとき、レッスン室に入っていくと、ショパンのノクターンのCDがかかっていた。

マリア・ジョアン・ピレスのノクターン全集。先生は、この人の演奏がことのほかお好きだそうだ。私は、「ピレシュ」による「スーパーピアノレッスン」をチラ見したこともあるのだけど、名前の表記が違うもんだから、しばらく気づかなかった。

「スーパーピアノレッスン」がチラ見で終わってしまったのは、レッスン進行の中でこの方が言うことが妙に哲学的で、私にとってはピンとこないというか、ウケなかった(ところで現在進行中の「スーパーピアノレッスン」にはウケまくりである)からである。この方の演奏についてはよく知らなかった。

レッスン室のちゃちいラジカセが…いや、いまどきカセットではないのでCDプレーヤーか…ちょっと音が大きくなるとビビリが入ってえらいことになってしまい、あんまりピアノを楽しめる音質ではないのだが、それでもわかる範囲でいうと、ピレスのノクターンは、テンポの揺れ・音の強弱などの幅が大きく、めりはりてんこもりなのにやりすぎ感がなく、自然にきれいに流れている。

先生がいうには、「この人の演奏を聴くと、あ~私はこういうふうに演奏したかったのよ~と思うんです。こういうふうには弾けないんですけどね」だそうだ。

ほぅ、先生はピレスが好きなのか。ふと思い立って、一歩「取材」を進めてみた。「ぴったりくる演奏というのがあって、逆にいくら有名どころの演奏でも、ぴったりこないってことがあるわけですよね」「そうそう」「では、嫌いな演奏って誰のですか??」

すると先生は小考ののち、「まずはアシュケナージですね。うーん、アシュケナージ含む三羽烏かな」「三羽烏って誰のことですか?」「アシュケナージとアルゲリッチとポリーニね。まぁ中高生時代とか、聞きすぎたというのもあるんだけど」

とにかくアシュケナージは聞いたあと、なんかちがーうと思ってイヤな気分になるそうである。アルゲリッチはどうでもいい感じで「あの人、本能で弾いてるでしょう。楽典とかはいったいどれくらい勉強したのかなーって感じで。まぁ、感覚だけであれだけ弾けるのはすごいけど」、ポリーニは「いったい何がやりたいのかさっぱりわからない」とのことである。

そこでさらに取材を進めて、のだめに出てくる「トルコ行進曲」の「やりすぎの演奏(byランラン)」にふれて、「やりすぎ」とそうでないのの間の線引きはいったいどこにあるのかという疑問を投げてみた。

すると、先生はのだめもランランも知らないそうだが「トルコ行進曲なんて、音を足しまくって超絶技巧にした演奏も聞いたことがありますよ。アンコールでしたけどね。あれはあれでおもしろかったですよ。結局のところ、『やりすぎ』というかどうかはともかく、何かふつうと違う部分がある演奏というのがあって、それを気に入ってくれる固定ファンがつけば継続的な演奏活動が成立するわけですから、別に音大のテストとか、コンクールの場で認められなくてもいいんですよ」
…そうだ、この先生自身が「やりすぎ系」の人だった

だいたい、日本は特におとなしい演奏がよしとされる傾向にあり、ヨーロッパに留学したりすると、「どうしてそんなふうに(つまらなく)弾くの??」とけちょんけちょんにされるものだそうだ。先生は日本の大学にいる間いまいち居心地が悪くて、どう弾けばいいのか悩んでいて、ハンガリーに留学して一気にはじけてイケイケになり、コンクール優勝なども取ったので、特にそう思うのだろう。

つまり、「やりすぎ」ラインはところによって違う。「ジプシー系の人なんて、ハンガリアン・ラプソディーとかそれはそれはすばらしく弾くけど、そのノリのまんまモーツァルトとか弾くから、そりゃ違うだろって感じでしたよ。血なのねぇ」

勢いよく情熱的に弾きまくり、滞空時間長め、おいそこまでタメるかって演奏という点では、わが師匠とランランって気が合いそうだけど。先生はランランの演奏は知らないそうである。もっとも、やりすぎ系の人が別のやりすぎ系の人の演奏を気に入るかっていうとかなり疑問だが…

ところでYouTubeでこんな演奏を見た。
ランランのLiszt Hungarian Rhapsody #2
ランランって、のだめの役のためだけに演技として「やりすぎ」の演奏をしたわけじゃなくて自分のためにもこんな感じなんですね~(^^)


フォーレ録練つづき:
フォーレ ノクターン第四番 四分割の3つ目

はなひめ昨日の勉強:
国語第一回語句問題
漢字の学習p14~15
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はなひめ算数事始

2010年01月30日 | 中学受験
ようやくというかなんというか…

毎日、「はなひめ昨日の勉強: なし」と書きながら、なんてつまんねぇ記録だろうと思ってましたよ(-_-;;

昨日はやっと動きがありまして、算数第一回の「練習問題」をやりました。これで「一週間分」の算数が終わったことになりますが…先は長い…長すぎる…

三月半ばにある第一回月例テストまでに、「五週間分」が終わってないといけないんだけど、それはとても無理。現状、社会と国語と算数が一週分、漢字や計算はあとちょっとで一週分、理科手付かず。つまり、一ヶ月近くたって、一週間分終わらず。三月いっぱいまでは学童もあるので、ペースが上がる見通しはまったくなし。

「練習問題」は[1]から[6]まで。前に「基本問題」はやってあるので、「まずは一人でやってごらん」と言ったんだけど、できないできないと騒ぐので、[1]はいっしょに読みながら、書き方も説明しながらやった。でも特に問題なさそうなので、そこで離脱しようとしたら、[2]は読みもしないで「できない」「いっしょにやって」とゴネる。

そこで、「ぜんぜん難しくないから、やろうとすればできるよ。自分でやれることでも一人でやるのが嫌なんだったら、そもそも中学受験の話はナシだよ」というとそれは嫌~とまたキーキーうるさいことうるさいこと…

でも、あてつけのように大声で問題を音読して[2]をなんとか開始。こちらも夕食の支度を始めると、それなりに軌道に乗ってちゃんと進んでいる。

途中で様子を見に行くと、
----問題-----
[2] 四角形アイウエは長方形で、まわりの長さは56cmです。辺アイの長さが辺アエの長さよりも8cm短いとき、次の問いに答えなさい。
(1) 辺アイと辺アエの長さの和は何cmですか。
(2) 辺アイ、辺アエの長さはそれぞれ何cmですか。
---------
が、こんなふうに解いてある。

----はなひめノート----
[2] (1) 式 56÷4 = 14
      8÷2 = 4
      14 - 4 = 10
      14 + 4 = 18
      アイ…10
      アエ…18
      10 + 18 = 28
    答 28
  (2) 答 アイ…10
      アエ…18
---------

当然、これは
-----ふつうの解答----
[2](1) 56 ÷ 2 = 28 答 28 cm
  (2) 28 - 8 = 20  20 ÷ 2 = 10 10 + 8 = 18
    答 アイ…10 cm
      アエ…18 cm
---------
このように↑解くことを想定してるはずで、(1)が(2)の導入になっているんだけど、はなひめの流れだと(1)を解き終わった時点で(2)の答えが既に出てるし、そもそも「8÷2=4」って何を求めた式??

そこで、式の意味を口頭で説明してもらうと、
はな「56÷4=14は、もし四辺が同じ長さだったらこうなるって分け方」
「ふむふむ。それで、8÷2=4というのは??」
はな「短くなるほうの辺から、何センチか長くなるほうの辺にあげるんだけど、差が8センチになるんだから、4センチあげればいいなぁって」
…ほほう(o_o)

それで、ふぅん、おもしろいね。後で、ふつうの解き方も教えてあげるね。といって、続きもやってもらう。

いちいち書き方などに細かく悩むので恐ろしく時間がかかり、さらにこじろうと喧嘩したりだとか、途中、ごはんを食べるのがのろかったりとか押せ押せになったがさくっと省略。

----問題-----
[5] お父さんとお母さんと和美さんの年齢の合計は77才です。お父さんはお母さんよりも3才年上で、和美さんはお母さんが25才のときに生まれました。お父さん、お母さん、和美さんの年齢はそれぞれ何歳ですか。
-----
のようなところもきちんと線分図を描いて解けているので、思ったより順調。ほんとだ、図を描くとわかっちゃうんだ~などと言っている。

答え合わせになり、母が赤ペンを持ち、[2]で答えの「cm」抜けを書き足し、[3]で春子さんのもってた金額を尋ねられているところ、秋子さんのも並べて書いてあるのでそちらをビーと線を引いて消し、[6]の(1)で線分図を見間違えて違う答えになったので線分図に赤を入れた。

するとみるみる不機嫌になり、「自分で直すから書かないで」と泣き出した。あっちもこっちも「間違えた」ことと、自分が書いたノートに無残に(?)赤が入れられていくこと、「ちょっとうっかりしただけなのに」母が「この数は線分図の上でどこにあたるの??」とか聞いたのが気に食わなかったようだ。そもそも、赤入れされていくシーン自体がすごい嫌なのかもしれないが。

…結局、泣いておわるのか~(-_-;;

母は、さっくり無視して「先にお風呂入ってるからね」と逃げようとしたら、「[2]の解き方教えてあげるって、さっきいってた」と呼び止められた。それで、ふつうの解き方を解説したら、よけいどんどん不機嫌になって、ぼろぼろ泣いている。

お風呂の中で、「算数は、答えはひとつだけど、解き方はひとつじゃない。違う解き方を思いつくのはいいことで、さらに他の解き方も知っておけばどんどん強くなる」というようなことや、「あのくらいわかってれば大丈夫。お母さん安心した。はなちゃん算数もある程度ちゃんとできるってことだよ」などということを言葉を尽くして説明したがまったく返事なし。

しばらくして「…でもいっぱい間違えた」とぽそっ。えーっ、すごいいっぱい合ってたじゃん~。なんか母の感覚と違うらしい。


またろうピアノ:
「アンインストール」 アニメ「ぼくらの」のオープニング曲です。知らない?? まぁふつう知らないと思いますが…切なくてきれいな曲です。
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バイオリンレッスン(15): 初舞台に向けて、ピアノと合わせ

2010年01月29日 | バイオリン
発表会も間近に迫ってきまして、今回はラス前のレッスン。

伴奏をお願いしたこまたろう母さんと合流して行く予定なのでちょっと緊張。レッスン前、部屋は空いてるの知ってるから、ちょいと早くいって、こまたろう母さんと合わせておきたいものだが、この日に限ってぎりぎりの時間までミーティング。困ったなぁ…

そこで、会社から家に寄らずに直接行くことを計画し、満員電車の中、バイオリンをしょっていった。会社で、「あらバイオリン」とか声をかけられたくないので、できるだけすーっと入っていって、会った人にも正面向いてさりげに挨拶(^^;; (ほら、背中にバヨしょってるんで、真正面だとわりと隠れてるでしょ)

席にもっていったら、すっと足元に隠しておく。別にバイオリン習ってること自体が内緒なわけではないんだけど。バイオリン持ってきてるのがわかると、早めに席を立つのが、仕事がたまたまスムーズに終わったからじゃないのがバレバレだからね(笑)

会社から出たとき、アスファルトは濡れていた。雨も非常に避けたいシチュエーション(まったく防水でないケースとカバーなので)だったがちょうど上がっていてラッキー。

そんなこんなで無事にバイオリンをしょってこまたろう母さんとレッスンへ。

まず、先生を部屋に入れずに二人で練習。前回と違って、駒調整後なのでなんとか音も出て、そう悲惨でなく曲っぽくはなった。音程は相変わらず不安定なんだけど、ピアノがついていると常に「あるべき音程」に自信が持てるから、修正は早め早めにできてなかなかよい。

こまたろう母さんの合わせはばっちりで、細かい配慮も忘れない。しかしこっちは非常に余裕がなくテンパっているので、どこをどうしてほしいとかいう要望も言えないくらいの有様。っつか、そもそも曲想とかいうものもなくて、それ以前の問題にかまけている状況だからね。やっぱりここは先生にご登場願わないと。

それで、二人で練習の間は、テンポ決めと、出だしと最後の打ち合わせを中心に。最後の伸ばす「ファ」は、長めのほうがかっこいいけど、どのくらい伸ばせるかについてまったく自信が持てない(笑)のでできたとこまでいきますとか、そういうの。

先生は、一回聞いてみてまず、こまたろう母さんがしっかりしたピアノ演奏能力と合奏能力を持っていることに安心したらしい。「いいですね、とても」。私は、「ふふ。私がスカウトしただけのことはあるでしょう(^-^)v」と、こまたろう母さんに代わっていばっておく。

それから、間を空けるべきところ、その「間」を合わせるための合図の仕方など、細かいところに入っていく。バイオリン自体の問題はいろいろあるのだが…例えばいつもかすれる音など…そこに深入りすると時間がなくなっちゃうので、今回はヒントだけもらって、できないまま放置する。

間を空けるところは、テーマに戻ってくるところや、最後の「決め」の音に入るところ。そして、弓の返しで必然的に間を取ってしまうところについてもこまたろう母さんにお願いする。

「間」については、頭では私もいちおう理解したんだけど、余裕がないのと、それからピアノ伴奏者にさりげに合図を送るというのができなくて、ついぎこちなくなってしまう。それでも、無理やり「間」を取っていくとぐっと曲らしくなっていく(ような気がする)。

そして「最後が肝心ですから」といって先生は最後の音が消えるところに一番力を入れていた。バイオリンの音が消えてからしばらく、ピアノの後奏があるのだが、そこで「私手持ち無沙汰です」という顔をしないための工夫である。

長く伸ばす音をだんだん小さくしてふっと弓が離れるのだけれども、それですっと高く離してしまうといかにもカッコがつかない。そこで、すっと横にずらすような感じで取り、弓が弦から離れてもすぐ弓の動きを止めないで、だんだん減速して止め、そのままキープ。

そして、伴奏をよく聞きながら、「私もこの響きの中にいるんです」という顔をする。うーん、できるかな。

それと、重大な問題…「本番は、こまたろう母さんのほうを向いて弾くんじゃないんですよね」。それじゃ客席にお尻向けちゃうもんね。先生によれば、ほんとにお尻向けたまま弾き終わっちゃった子がいて、写真やさんが困っちゃってあとで別に撮影したとか。

私もやりそうでコワイ。あと、大人でも、バイオリンやったことない人がやりがちなのは、客席にまっすぐ向いて立ってしまうことだそうである。それだと演奏の方向として変だし、客席と目が合っちゃうので舞い上がってしまう。「足をまず斜めに向けて立っておけば大丈夫です」と先生。

ふ~。いろいろ身についてないことが多いので、何かやらかしそうだな。実際には何をやらかすんだろう(^^;;


はなひめ昨日の勉強:
なし…もぅいいです…
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ほほえみあうふたり -キーシンとアルゲリッチ

2010年01月28日 | ピアノ
えぇ、買ってしまいましたよ「ヴェルビエ音楽祭」のDVD。

まったくakiさんたら私のツボを押すのがうまいんだから(^^;;…いえいえ、感謝してるんですよ。このDVDはほんとにお値打ち品です。

一曲目に入ってるのがモーツァルトの「四手のためのソナタ K.521」は、1stがキーシン、2ndがアルゲリッチなんです。二台ピアノじゃなくて連弾。二人の手がほとんど重なり合ってゆずりあって、密着度のすごく高い一曲なんですわ、これが。

キーシンからみたら、アルゲリッチなんて大・大・大先輩だから心臓ばくばくもんじゃないかと思ってしまいますが、アルゲリッチさんは弾きながらけっこうちょくちょくキーシンの、「顔(手ではなく)」を見てにっこり微笑んだりして弾いてるんです。後半、キーシンからもアルゲリッチの顔を見てにっこりしたりして、ほんとリラックスして楽しそう(に見えます)。最後はハグしてキスまであり。

で、またこの撮影が凝っていて、演奏者の顔のアップ、手のアップを中心に、ファンが見たいようなところにぐぐっと寄ってくれるんです。音楽に没頭しつつも、やわらかく楽しげで、仲のよさそうな二人の様子にハートわしづかみにされちゃいます。

連弾の次は二台ピアノ(スメタナ「八手のためのソナタ ホ短調」)、二台の次は四台ピアノ(バッハ「四台のピアノのための協奏曲 イ短調」)。それで、1,2,4ときたら次は何ですか?? …そうです、「8」ですよね。

というわけで八台ピアノです。舞台に八台もピアノ並べますかね。しかもこの音楽祭、ちゃんとしたホールとかじゃなくてテントでやってるんですよ。まぁテントだから舞台の大きさも自在なのかも(ほんとか??)

それで、その八台のピアノにそれぞれついているのが、エマニュエル・アックス、エフゲニー・キーシン、ラン・ラン、ジェームズ・レヴァイン、ミハイル・プレトニョフなどというゴージャスメンバーなんです。

番外編として舞台裏話のインタビューがついてますが、「八人のすばらしいピアニストを集めるのはできないことではないが、八台のピアノを集めるのはたいへんだった」てなことを言っています。ところがちょうど、スタインウェイが150周年だったので、それにのって快く八台貸してもらえたんだとか(*)。

ピアノ連弾よりピアノ二台のほうが、距離もあって合わせにくいことから考えれば、八台で合わせるなんてめちゃくちゃ難しそうです。練習風景がちょっと出てましたが、「台数が増えると指数関数的に難しくなる」なんてことをいってましたよ。

それでいて、「これだけ音が密集してると間違って弾いても誰にもわからないところが気持ちいい(**)」(by エマニュエル・アックス)とかなんとかいったりして、おちゃめな人たちです。本番の演奏中も、ほんとにみんな楽しそう!! それぞれが単独でコンサートを開ける人たちですけど、アンサンブルはまた格別なんでしょうね。

八台ピアノの「熊ん蜂の飛行」では、キーシンとランランが並んで熊ん蜂の羽のうなりをぶんぶんいわせてるんですよ。ほら、そこのあなたも見てみたくなっちゃいません??(^^) ランランは、これだけのメンバーの中にあっても、オーバーアクションとギョロ目と超絶技巧ですごく目立っていました。

そういえば、ランランの手の形って、がんがん強く弾くときなんか特に、指がそっくり返ってたりして、決して模範的なものではないですよね。あれで弾けちゃうんだなぁ…もっとも、オレンジで黒鍵のエチュード弾ける人だからねぇ、何でもアリですね(笑)


はなひめ昨日の勉強:
なし(-_-;; この記録は企画倒れっぽい

(*) 「ファイブ・ブラウンズ」という五台ピアノ演奏をする兄弟も、スタインウェイがバックアップしてるんでしたね。自宅に、五台で合わせるための五台グランドが入った部屋と、各自の練習のためにそれぞれ別の部屋にあるグランドと、合わせて10台!! どんだけ広い家やねん。

(**)「You know some of it was a lot of fun, especially when you can't hear yourself and you don't know you're doing wrong, and thank god, nobody's really gonna know what you personally did wrong.
It's such a good feeling because you can all walk and say:
I was in great shape today, but he had a tough night.」
「いやーおもしろかったよー。間違ったって自分でも聞こえないくらいだし、ありがたいことに誰にもわかりゃしないんだからね。すました顔で出てきて、『僕は今日とても調子よかったけど、彼がちょっとね』とか言っていればいいんだもの。これは気持ちいいよ」
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中学受験裏口合格

2010年01月27日 | 中学受験
中学受験シーズンたけなわ。東京以外からはいくつかのうれしいお知らせも届く時期になった。

こじろうの受験を通して、中学受験についてはいろいろ考えたことも多いけど、いまだにわかった感じがしないこの世界。それはやっぱり、自分が中学全落ちのあと「裏口」を通ってきたというあたりが尾を引いているような気がするので、今日は開き直って、その「裏口」のことを真正面から書いてみたいと思う。

「裏口」といってもお金を積んで…とかいうことではない。親戚とかのコネで…ということでもない。強いていえば情報をつかんでかいくぐった!?

私は、実力で私立二校に落ち、運(当時、抽選倍率はかなりのものだった)で国立三校に落ち、公立中に入学した。私立二校のうち、ありえないほど高倍率の一校はともかく、もう一校は一度も80%ラインを割ったことがなく、当然受かる気でいたので大ショックではあったが、受からなければ公立に行くというのは自分でも納得していたので、中学入学に際してはそれなりに前向きの気持ちを持っていた。

しかし、実際に入学してみると、「不良化させない」「落ちこぼれさせない」の二本柱を掲げる(?)教育をしている公立中は、たいへん居心地の悪いものだった。またろうが行った中学ももちろん制服(正確には標準服)があるが、服装規定、行動規定の細かさは比較にならない。

授業では、公立なので当然幅の広い状況にある子どもたちに勉強を教えなければいけないのだが、当時特に一番下に合わせなくてはいけないという雰囲気があって、時計が一分…一分ただのろのろと進んでいくのをまだかまだかとじれているような授業の連続にすっかりまいってしまった。

ほかに、いじめとか先生とのトラブルとかいろいろあったが、長くなるので割愛。とにかく、ここに三年間通うのか?? と思うと耐えられない、と思うようになってしまった。

そこへ、そのころ通っていた塾(当然、高校受験目的)で、中学によっては、欠員募集があるという話を小耳にはさんだ。それを聞いた母は、あちこちの中学に電話をかけ、足を運び、一名の欠員募集がある御三家Jの情報をつかんできてくれた。

一名のところに十数名の応募があるようだ。受かる確率はたいへん低い…というか、大手塾が合格判定をするような受験と異なり、どのくらいできて合格なのかは受けてみなくちゃまったくわからない。試験科目は英数国と面接。

受けるなら当然、学校にも言わなくちゃいけないから(書類を出してもらうため)、受けて落ちて戻ることを考えればたいへん気は重い。でもそのときにはもう、ダメモトでもそのチャンスに賭けてみたいという気持ちになっていたので、腹をくくって、欠員募集を受けたいと担任に告げた。

もちろん、この中学が気に入らないなんてことは言わない。「受験の機会をひとつでも増やしたい」というふうに言ったが、どのみち気に入ってないことくらいはまるっとお見通しである。

担任の先生は非常に難色を示し「そういう試験を受けて、不合格で戻ってきて、居心地が悪くてだめになってしまった人(←どうだめになったのかすんごく気になる~)がいますよ」などと脅してきたがもう後へは引けない。
#っつか、すでに居心地悪いです(^^;;

ともかく強引に書類を出してもらい、受けることになった。試験勉強は…確か一ヶ月くらい間があったと思うが、何をやったらいいかわからない。とりあえず、学校側が知りたいのは、中に入って勉強についていけるかということだろうから、英単語や漢字はその学校で使っている教科書に載っているものを覚えておくべきでは?? ということになった。

そこで、親の知り合いで、Jの先生をやっている人から、使っている教科書を教えてもらい、教科書を買ってきて、単語と漢字の練習をやった。なんとなく的外れの対策という気がするけど…そして、英語の教科書については実は情報が間違っていたというおまけまでついていたけど…

中学に入ってたった数ヶ月の英数国、国語はともかくとして数学や英語は難しい問題を作りようがない。いずれもとても簡単なテストだった。英数は、「earth」が書けなかったほかはほとんど取れていたと思うが…そうすると国語勝負か??

試験に集まったのは12人。集まってみて気づいたのだが、私のほかは全員が中学の制服で来ていた。私だけ小花柄ブラウスとスカートといういでたち。まぁそのような非常識な親子ではあったが(笑)、あまりそういうことを気にしない学校のようではある。

面接では、「テストはどうでしたか」「あなたが通っている中学は、どんな学校ですか」などと聞かれた。どんな中学ったって、気に入らないからここに来てるわけで、「肝」の部分の詳細を語れるわけがない。一方、表面的なスペックでいえば、ごく平凡な公立中なわけで、何も変わったところがない。

そこで、校庭・プール・体育館などハードウェア的な配置について話したのだか、我ながらまぬけな答えである。「そういうことではなくて」と笑われたのを覚えている。

幸い、服装も面接もほとんどまったく考慮されなかったらしく、合格した。「テストはとてもよくできていましたよ」ということで、中学受験でへくった(たぶん)社会がなくなったことと、受験勉強たけなわの六年生のとき、趣味で基礎英語を聞いていたのが幸いしたといえるだろう。

転校が決まり、公立中の先生に挨拶して回ったとき、教頭先生の苦虫をかみつぶしたような顔が忘れられない。新しい出発を心から応援して送り出してくれたのは、理科の先生と音楽の先生の二人だけだった。

転校先の中学では、溶け込むのにまったく時間はかからなかったし、なにしろ仮に溶けこまなくったって居心地が悪くはならない学校なので、はじめからたいへん楽しかった。授業も…あんまりまじめには聞いてなかったけど、おもしろい授業もたくさんあったし、進路に影響を与えるような深く響くものもあった。

中学途中の英数国入試ということを中学側から考えてみると、中学受験よりむしろ大学受験の適性に近い測り方ができるという意味があり、かつ高校受験よりは前もってその学校に取り込むことができるのでスタートも遅くならないで済む。大学合格実績を出したい学校ならかなり有利な募集方法だと思うがどうだろうか。

実際、そういう効果はあったみたいなんだけど、なにしろ大学合格実績を重視している学校ではなし、それより学校のカラーに合わない子が入ってくる危険が増えることを嫌ったのか、その後、転入制度はなくなってしまったそうである。…つまり…その制度を叩き潰したのは…私(とほかの転入生)か!?


はなひめ昨日の勉強:
なし(^^;;

代わりのおまけ:
シューティングゲームで弾をよけているまたろうのイメージ図
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