◎河原宏と三島由紀夫、そして治安維持法
昨日の続きである。昨日、引用した拙稿〝三島由紀夫に影じた治安維持法の〈国体〉概念〟(二〇一三年一月発表)の最後で、私は次のように書いた。
保守派・右派・民族派を名乗る人は多く、三島由紀夫を支持する人も多い。しかし、「治安維持法」という法律に関わって、以上のような三島由紀夫の問題意識を継承した人が、ひとりでもあったのか。
こう述べたとき、私は、ひとりの思想家を思い浮かべていた。ただし、その人は、保守派でも右派でも民族派でもなく、どちらかといえば、左派ないしリベラル派に属する思想家だった。また、彼が三島由紀夫から、その問題意識を継承したとは見えなかった。しかし、この思想家は、「治安維持法」という法律の性格をめぐって、本質を衝いた問題提起をおこなっており、その問題意識は、三島由紀夫のそれと重なっている、と私には思えた。
治安維持法の性格をめぐって、三島由紀夫と問題意識を共有している思想家は、おそらく右派にはひとりもいないだろう。しかし、左派には、少なくとも、ひとりはいる。――「ひとりでもあったのか」と書いたのには、そういう含みがあったのである。
その思想家とは誰か。故人の河原宏である。ウィキペディア「河原宏」の項は、彼を「政治思想史学者」と規定しているが、河原宏には、政治思想史学者という呼称よりは、思想家という呼称がふさわしい。
河原宏(一九二八~二〇一二)は、三島由紀夫(一九二五~一九七〇)と、ほぼ同世代である。このふたりは、ともに、多感な青年期に「戦争」を体験している。「治安維持法」という共通項もある。治安維持法は、三島由紀夫が生まれた一九二五年(大正一四)に公布され、河原宏が生まれた一九二八年(昭和三)に、緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」によって、罰則が強化されているからである。
私事にわたるが、河原の『日本人の「戦争」』を私は、二〇一二年の後半になって、初めて手にした。二〇〇八年のユビキタ・スタジオ版で、タイトルは、『〈新版〉日本人の「戦争」――古典と死生の間で』となっていた。その新版のⅡ-2〝「国体」を支える社会構造〟において、河原は、「治安維持法」に言及していた。また、Ⅱ-3〝二・二六事件のあとに〟においては、二・二六事件が及ぼした影響について論じていた。
これらを読んで私は、改めて、河原宏という思想家に注目した。しかし、このすぐれた思想家が、すでに亡くなられていることを知ったのも、そのときのことだった。【この話、さらに続く】
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