礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

各民族の慣習を尊重し東洋の淳風美俗を保存する

2018-02-07 03:27:31 | コラムと名言

◎各民族の慣習を尊重し東洋の淳風美俗を保存する

 昨日の続きである。前野茂著『満洲国司法建設回想記』(非売品、一九八五)から、第九章第二節「司法記念日の設定と親属継承法」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、改行して次のように続く。

 この調査項目に基いて行った調査の実施状況は次のとおりである。
 (イ)第一次調査は一九三九年度、四十年四月蒙古興安四省各二旗、合計八旗と熱河省内の四旗について、(ロ)第二次調査は一九四〇年末、満・漢・朝鮮人・白系ロシア人について、四一年回教徒について、(ハ)第三次調査は一九四一年十月と四二年九月に満洲旗人・蒙古人・漢人を実地調査、(ニ)一九四〇年十一月全国の地方法院、主要区法院三十三ヵ所及び全国各県旗の協和会に調査を委嘱したほか、大学・専門学校の満系学生に夏休みの課題として、学校を通じて証書類の収集を依嘱〔ママ〕した。法院に対しては更に親族継承の判決、法院の証拠として出された証拠類の送付を委嘱した。
 右のうち(イ)(ロ)(ハ)は、千種〔達夫〕君が実地に出張し自身で調査にあたったものである。かくして調査した結果が法立案に役立ったことはいうまでもないわけだが、かくて集められた学問的にも貴重な莫大な資料は、千種君の手によって全七巻の原稿にまとめられ印刷に付することになったけれど、第一巻すなわちハルピン地方の漢人・ロシア人、延吉〈エンキツ〉地方の漢人、延吉輯安〈シュウアン〉地方の朝鮮人の慣習を調査したものを有斐閣で印刷されただけで、第二巻の原稿、すなわち蒙古人・回教徒・満漢人、満州旗人の慣習を調査したものは有斐閣の金庫の中で戦災を免れたが、第三巻以後第五巻分の原稿は終戦の際喪失してしまった。残念というほかはない。
 こうして各民族の慣習調査は完成したので、司法部ではこれに基づき各委員会で研究討論を重ね、結局一九四二年二月、井野英一氏を委員長とする四十六人の委員によって立法方針と要綱を決定したのである。その立法方針は次のとおりである。
(1)当面日本人(内地・朝鮮人・台湾人)は日本の法令によらしめ、満・漢・蒙・回教徒につき統一法典を制定すること。ただし慣習を異にするものについては、多少慣習によるべき余地を残すこと、白系ロシア人については大部分慣習にゆだねること。
(2)各民族の慣習をよく調査し、できるだけこれを尊重し、東洋の淳風美俗を保存するとともに、法律と実生活とが遊離しないよう努めること。ただ弊風と思われる点は改革して文化の促進を図ること。
(3)道徳人倫に基づき権利本位に堕せず、道徳的色彩を多く取り入れること。
(4)なるべく大綱を規定するにとどめ、ゆとりあるものとすること。
(5)単行法とすること。
(6)法律の文章用語は通俗平易を旨とすること。
 右の(5)は、満・漢・蒙・回については慣習調査の結果、法律をもって規定する範囲の慣習については、殆ど異なるところのないことが明らかになったからである。
 以上の立法方針と要綱を基にし、千種参事官が法案を起草し、穂積〔重遠〕・中川〔善之助〕両顧問の意見を徴し、まず小委員会にかけた。青木佐治君が委員長となり、約二年間百数十回の委員会を開いて小委員会案がまとまり、これを井野英一氏を委員長とする大委員会にかけて司法部原案が成立したのであるが、千種参事官起草の法案日本文のものは軟らかい口語体のひらがなで、漢字も平易なものだけが使われていたので、民事司内の各科長その他担当者の間から猛烈な反対論がまき起こり、千種参事官との間に大激論が発生した。【以下、次回】

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