礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと

2015-08-09 05:54:20 | コラムと名言

◎映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと

 今月三日に、DVDで、映画『ヒトラー~最期の12日間~』(GAGAコーポレ-ション、二〇〇四)を鑑賞した。傑作だと思った。一五六分という長い映画だが、まったく長さを感じさせなかった。
 観ていて、いくつか印象に残る場面があった。今日は、そのひとつについて書く。
 映画の最後の方で、ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)が、女性秘書(アレクサンドラ・マリア・ララ)に対し、「遺言」を速記するよう、命じる場面がある。秘書の前で、よどみなく一場の演説をおこなうヒトラー。メモや原稿があるわけではない。この演説が、すなわち「遺言」なのである。
 女性秘書がヒトラーの「遺言」の速記を起こしているところに、今度は、ゲッベルス宣伝相(ウルリッヒ・マテス)がやってくる。やはり、「遺言」を速記してほしいという依頼であった。
 ヨーロッパ世界においては、伝統的に、言語というのは、口頭で発せられるものが「主」であり、筆記されたものは「従」であるとされる。そのことは、知っていたつもりだが、この映画で、ヒトラーが「遺言」を演説する場面を観て、ああ、やはりという感があった。
 中国や日本においては、この主従が逆であって、口頭で発せられる言語は、伝統的に軽視されがちだった。「口舌の徒」というのは、日本では蔑視の対象であった。明治の初期、福沢が口頭による意思伝達の重要性を強調し、スピーチやディベートを実践する場として、三田に「演説館」を建てたことは、よく知られれている。
 しかし、日本では、今日においても、なお、口頭で発せられる言語が「従」とされている傾向が続いている。演説というのは、原稿を作り、それを読みあげることだと思っている人が多い。国会議員しかり、学者しかり、弁論大会に臨む生徒しかり。日本において、原稿なしで、その場に応じた演説ができるのは、麻生太郎氏ぐらいのものではないのか。

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