礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

僕の心境を書こうか(近衛文麿)

2015-09-01 04:51:27 | コラムと名言

◎僕の心境を書こうか(近衛文麿)

 昨日の続きである。昨日は、近衛文麿が自殺の数時間前に書いた遺書を紹介したが、本日は、それを書くまでの近衛の言動について紹介する。岩波新書『近衛文麿』からの引用である。「一四日」とあるのは、一九四五年(昭和二〇)一二月一四日のことである。また、「中村公使」とあるのは、外務省外局終戦連絡中央事務局主任の中村豊一(元フィンランド特命全権公使)のことであろう。

 一四日の夕、近衛は荻外荘〈テキガイソウ〉に移った。一五日の夕刻、翌日に迫った巣鴨出頭の打合せのため中村公使が来訪したが、近衛は中村に健康を理由に入所延期を求めるのはやめることにした、と伝えた。夜に入ると、来客も減って、邸内は近衛や側近者だけが残った。午後九時すぎ近衛は居間で後藤隆之助と山本有三とに会ったが、そのとき近衛は医師たちが一時東大病院に入って静養する必要があるとの診断書を書くといっているが、入院はやめることにした、といった。それではどうするのかと山本が尋ねたのに対して、「裁判を拒否するつもりだ」と低声〈テイセイ〉ながらはっきりと断言した。しかし、山本が「公爵は最悪の場合の事を考へてゐるのではないですか」というと、近衛は「イヽエ」と首を少し横にふってはっきりと否定する態度を示した。そこで、後藤は、政治家たる近衛公としてはペタン元帥のように法廷に起って、堂々とその所信を述べ、陛下の盾〈タテ〉となるのが、とるべき態度ではないか、というと、近衛はさきに軽井沢で高村〔坂彦〕に述べたのと同じ理由をくり返して、自分は法廷で天皇をお守りすることはできない、といった。後藤はこの言葉をきいて、東条のように「不様【ぶざま】な事」のないようにして欲しい、と述べたが、近衛は無言、答えなかった。そのあと、三人は他のひとびとのいる応接間に移った。そこでは雑談が交されたが、近衛はウィスキーをのみながらひとびとの話に黙々と耳を傾けた。しかし、その様子には死を決意しているものの態度はうかがえなかった。後藤は後に回想して、以上のように記している。
 夜は更けるにつれ、ひとびとは次々に去り、邸内は静かになった。一一時頃、近衛は居間に入った。次男通隆〈ミチタカ〉が一緒に寝ようかというと、ひとがいると眠られないから、いつものように独りで寝ませ〈ヤスマセ〉てくれ。しかし、少し話していったらどうか、といった。二人は深更〔よふけ〕まで話し合った。近衛は話の中で、日本が将来共産化する惧れ〈オソレ〉があり、国体護持はむずかしくなるであろう。自分はこれまで国体の護持に力を尽して来たが、近衛家に生れたものは、とくにこれがためにあくまでも努力しなければならない、といった。通隆が何か書いておいてほしいというと、「僕の心境を書こうか」といい、筆と紙とを求めた。近くに筆がなかったので、鉛筆とともに手近の長い紙を切って渡すと、「もっといい紙はないか」といった。近衛家の用箋を探して差出したところ、近衛は床〈トコ〉の中に寝たまま硯箱〈スズリバコ〉の蓋を下敷にして鉛筆で次の一文を書いた。そして、「字句も熟していないから、君だけで持っていてくれ」といった。それは、つぎのようなものであった。

 このあと、昨日のコラムで紹介した「遺書」が紹介される。
 近衛文麿は、この遺書を、次男の通隆に促されて「書いた」のである。それにしても、最後の言葉が「遺書」であるのが興味深い。ヒットラーの場合も、ゲッペルスの場合も、最期に残したのは、「遺言」である。秘書に向かって口述し、秘書が速記を起こし、タイピングしたのである。
 その内容は、「事変解決を最大の使命にした」、「日米交渉に全力を尽した」など、言い訳が中心になっている。
 なぜ近衛は、ヴィシー政権(フランス)のペタン将軍のように、法廷に立って、堂々と「日本と日本人」を弁護しなかったのか。なぜ、ゲッペルス宣伝相のように、「我々は国民に強制はしていない。彼らが我々に委ねたのだ」と開きなおらなかったのか。日中戦争や日米戦争は、陸海軍軍人、革新官僚、それを支持する国民たちが、勝手におこなったもので、政治家に責任はなかったという認識を持っていたのだろうか。

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