◎ケルロイターの祖述者・大串兎代夫の戦後
昨日の続きである。ケルロイターの『国家学概説』(一九五五)に対する、大串兎代夫教授の書評を紹介している。本日はその三回目(最後)。
昨日、引用した部分のあと、改行して、次のようにある。
かくいいながら、私はケールロイター教授が、ほんとうは何をいおうとされているかをよく知つているつもりである。その人の思想と生活、性癖、信仰、血統とのつながりが、通算六年にわたる一緒の生活でわかるからである。教授はドイツ人の中で、もつともイギリス人に近い人柄であると思う。教授はこういう人柄ないしは、その身についた考え方を、「現実」という言葉に托しておられるのである。「現在」の強調は、教授みずからもいつておられるように、過去とはなれるものではなく、いわんや歴史とはなれるものではないのだから、それが国家学の指標が、将来にあることの意味で強調される場合には、誤〈アヤマリ〉ではないと思う。しかしそれは、国家学が「現在科学」であり、「存在科学」であるといういい方とは別のことである。
国家学を政治科学として組み立て、より現実的な科学たらしめようとする教授の意図は貴い。しかしそれは国家学が、より多く人類の将来への指標をうみだす意味において重要であるのであつて、もしそれが現在の国家の諸知識の羅列に終るようであつては、一番教授の反対目標にしておられる法学的国家学ことにケルゼンの純粋法学のおちいつた誤と、ちようど反対の誤に堕することになろう。
国家学は現実科学ではあるが、それはゾルレンデス・ザインの学であつて、やはりあるべきことを内在した意味のザインの学であると思う。
この同じ批判をして、私はたびたび先生の不興をかつたが、その想出すら今はなつかしいものになつた。
五 しかしながら、教授は「第二部」において、あくまで教授の根本理論を追進される。それがまた教授が、その終生の根本主張を、こんどの本で具体化しておられるという所以である。【中略】
ヒットラー主義の成立と崩壊では、みずからそれに関与した著者がどういう態度をとるか注目されるところで、先日もある日本の公法学の教授にこの著書の話をしたところが、そんなに本を出すようでは、ケールロイターは豹変したのでしようといわれて、そういううけとり方をするその教授の言葉そのものにおどろいたが、ケールロイターその人は、そういう点ではむしろ簡単で、たんたんとして、ナチの成立と崩壊の過程を事実に即して述べているにすぎない。そういう時代に合わせるという点では、日本人の方が、合わせる場合も、孤高的に合わなないと自分で想つている場合すらも、とらわれているのではあるまいか。【中略】
六 「日本における政治的発展」の節は、さらに細分されて、「外交上の発展と支那事変」「汪精衛の南京政府」「日独伊協定」「日本の戦争参加」「内政の発展」「無条件降伏」「憲法と平和条約」「今日の日本の政治的地位」というように、具体的にくわしく叙述されている。この節だけで十四頁にわたっている。(二六九頁・二八二頁)
本書には、その他随所に日本についての記述がみえるが、おおむね精確である。戦後の日本について、アメリカの意図を、天皇制をすでに埋没されるものとしてみようとし、できれば日本をキリスト教化しようとし、アジヤ大陸の共産圏にたいする防壁とするために、大陸から日本をきりはなし、西方国家圏の袋のなかに日本をつつみこむことにあるとし、それは結局失敗するだろうとみている。このことは文章としては、一九五二年十月の教授の著書「ドイツ国法学」(Deutsches Staatsrecht)の二八三頁にでているが、本書でもくりかえしおなじ考えがのべられている。
(十一月二十四日早朝。この欄をかりて、本号では、ゲルハルト・ライプホルツ「ボン基本法における民主法治国の憲法裁判権」の続稿が書けなかつたことをおわぴする。) 〔筆者・名城大学教授〕
長尾龍一氏によれば、大串兎代夫(一九〇三~一九六七)は、「二流のナチ学者」オットー・ケルロイター(一八八三~一九七二)を祖述した学者であるという。
大串兎代夫の書評を読み、ケルロイターが、戦後もなお健在であったことを知った。同時に、大串兎代夫もまた、戦後なお健在であり、ケルロイターを祖述していたことを知った。
戦後におけるケルロイターの学問については、この書評によって、ある程度わかった。しかし、それを紹介している大串兎代夫自身の学問は、戦後、変化したのか、しなかったのか。大串は、戦中における自己の言動を、どのように捉えていたのか、戦中の日本、戦後の日本を、どのように捉えていたのか。『名城法学』のバックナンバーを見ながら、そのあたりを調べてみたいと思っている。
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