礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

登戸の旅館「福田屋」と石黒敬七の「折り込み都々逸」

2015-11-09 04:35:36 | コラムと名言

◎登戸の旅館「福田屋」と石黒敬七の「折り込み都々逸」

 今月五日の鵜崎巨石氏のブログ“青木一雄著「とんち教室」の時代 ラジオを囲んで日本中が笑った”で、石黒敬七〈イシグロ・ケイシチ〉の「とんち」に接し、懐かしかった。小学生のころ、ラジオで「とんち教室」を聴いていたので、石黒敬七の名前は、そのころから知っていた。また、同じく小学生当時だったと思うが、少年雑誌か何かで、柔術家である石黒が、海外で武者修行をした体験を語っている文章を読んだことがある。
 今でも覚えているが、その当時、登戸〈ノボリト〉駅の改札口前に、「福田屋」という旅館の看板があり、そこに「風呂は瓢箪、汲めども尽きぬ、誰も喜ぶ、休みどこ」という言葉と石黒敬七のサインとがあった。言うまでもなくこれは、「ふくだや」の四文字を詠みこんだものであった(こういうのを一般に「折句」というが、鵜崎氏のブログによれば、「とんち教室」では、「折り込み」とも呼ばれていたようだ)。子どもながらに、「さすがは石黒敬七」と思ったものである。
 ところで、昨日、インターネットで検索してみたところ、登戸の「福田屋」は、今でも健在であって、次のように紹介されていた。

 ビジネス旅館「ふくだや」は多摩川に近い住宅地にあり、近くには向丘遊園や日本民家園があります。/長期滞在、合宿、入試、家族旅行などにお手軽にご利用下さい。

 さらに驚いたのは、その紹介ページに、かつての「看板」が再現されていたことである。それは、自画像(略画)がついた石黒敬七のサインと、以下の言葉である。

ろはひょうたん
めどもつきぬ
れもよろこぶ
すみどこ

 こうして見ると、当時の看板も、全部「ひらがな」だったのであろう。
 ちなみに、この紹介ページには、名物「ひょうたん風呂」の写真も載っているので、もの好きな方は、ご確認いただきたい。
 なお、「風呂は瓢箪、汲めども尽きぬ、誰も喜ぶ、休みどこ」は、七七七五の四句からなる都々逸〈ドドイツ〉で、その各句のアタマに「折り込み」がおこなわれている。こうした「折り込み都々逸」は、とんち教室の出題形式のひとつだったようで、『クイズ年鑑 1955年(前期)』の「とんち教室」の項には、次のような出題とその解答例が載っている(一一七ページ)。

三、一ト目上り都々逸
(1) 八、九、十、一
〔長崎〕抜天・やいた母さん苦情を云ってとうさんいじめるひとでなし
西川〔緑〕・やめて頂戴苦労のタネを、年をとったらひめ事は
玉川〔一郎〕・やいちゃいけない苦情も云うな、とうから惚れたは一人だけ
石黒〔敬七〕・やたらにお前は食い気を出して、とっくの昔に胃拡張
(2) 三、四、五、六、
西崎・見合い一つでよめ入りしたが、いつも仕合せムコが良い
石黒・みっともないぞよ尻なぞまくり、いつもお前はろくでなし
抜天・三杯飲んだらしまいにすると、五郎八茶碗でムリにのむ
玉川・みんなで行こうよ夜桜をみに、いつもの波止場でむつまじく
〔春風亭〕柳橋・さんざ働く仕事は骨だ、いつも苦労でむずかしい
(3) 六、七、八、九、
石黒・むずかしいぞい難問うけて、やたらに生徒は苦労する
玉川・むりを云ったり泣かせてみたり、やっぱり貴方で苦労する
柳橋・無理に歩いて泣きつらしてる、ハアハア云ってる九里の道
西崎・六年この方涙が絶えぬ、止められないのかこの浮気

 この例を見ても、石黒の解答が、ひとつ抜け出しているように見えるのは、私のヒイキ目か。なお、「一ト目上り都々逸」の「一ト目上り」〈ヒトメアガリ〉は、たぶん、落語の演目「一目上り」にヒントを得たものであろう。

*このブログの人気記事 2015・11・9(10位にやや珍しいものが入っています)

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