礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

海老沢有道と「ごまかされた維新」

2015-01-01 04:08:46 | コラムと名言

◎海老沢有道と「ごまかされた維新」

 明けましておめでとうございます。
 本年も、当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
 
 新年、最初に取り上げるのは、海老沢有道〈エビサワ・アリミチ〉の『近代日本文化の誕生』(日本YMCM同盟出版部、改定版一九六八)という本である。新書判で本文一五二ページ、見かけはパッとせず、タイトルもありきたりである。しかし、内容はきわめて濃い。おそらくこれは、本書が実質的に、『南蛮学統の研究―近代日本文化の系譜―』(創文社、一九五八)という専門書をダイジェストした本だからだと思う。
 この本を初めて読んだのは、一昨年の後半だったと思う。少なくとも、『日本保守思想のアポリア』(批評社、二〇一三年六月)を上梓する前ではない。『アポリア』を書き上げる前に、この『近代日本文化の誕生』、あるいは『南蛮学統の研究』を読んでいたとすれば、必ずこれらの本に言及しなければならなかった。あるいは、構成などを大幅に変えざるを得なかったと思う。とにかく、私にとっては刺激的な本であった。
 全部で一一章から成るが、本日、紹介するのは、その「一一 ごまかされた維新」の章である。

 一一 ごまかされた維新
【一段落分、略】
 幕政の行詰り、外交問題に対する幕府と朝廷との離間〈リカン〉、そして、幕府自ら徹底し来った〈キタッタ〉攘夷思想をもつ民衆との離間に動いたものは、「我等の時」を待望する町人らでもなく、学者たちでもなかった。封建制の矛盾に悩まされていた下積みの武士たち、浪人たち、そして政権を武家に奪われて長い間不遇をかこっていた公卿たちであった。明治維新は下級武士を主体とし公卿が参加することによって王政復古の大義名分を押立てて遂行されたのである。中世的思想の持主武家層と、古代的観念に生きる公卿との合作であったのである。近世とか近代とかいうものとは凡そ〈オヨソ〉縁遠い人々によつて推進されたのである。そしてそこに樹立されたものは神格天皇の下における藩閥政府という前近代的政府であったのである。
 ここで当然、維新改革の不徹底さを、政治・社会・経済・文化などの各面から論じ、封建遺制の根強い残存と、その依ってもって来る〈キタル〉多くの理由を説明すべきであろう。が、それらは近ごろ多くの史家によって指摘されていることでもあるから、ここにあらためて喋々する必要はあるまい。しかし大政奉還、王政復古、版籍奉還、廃藩置県と進んで、政治的に封建制が取払われても、滔々と流入する文明開化の動きがあったにしても、維新政府の精神的支柱となった復古神道、そして神道国教政策が、近代化へのすべての動きを制約せずにはおかなかったことを忘れることは出来ない。復古神道的理念を基礎とし、近世的絶対主義を立憲制ということで偽装した明治憲法と天皇制の理解のためにも。日本の政治・経済・社会・文化の各面が、外面上は近代的であったけども、近代のそれ自体ではなかったという理解のためにも。そしてわれわれが身をもって体験した日本の悲劇の理解のためにも。
 ところが、こうして日本近代化を妨げた国体主義、そしてその基礎をなした復古神道理念は、幸か不幸かキリスト教と、それのもたらした洋学と無関係ではなかったのである。国学は一般に国粋壌夷主義であり、反洋学的であると常識的に考えられており、洋学ましてキリスト教との関係などあるはずもないと思われている。戦前私がある官幣大社の宮司にこうしたことを話した時も、頭からそんな馬鹿な事がとテンデ、耳をかそうともされなかったことを思い出す。また著名な神道史家たちもあえてそうしたことに触れず、日本純粋の思想であると主張している。しかし、事実は極めて密接な関係を持っているのである。
 封建社会の精神的支柱として、古来の日本思想の上に固く根をおろし、伝統的に広く深く浸透している儒仏思想を非日本的なものとして排撃して、日本思想界に国学が覇権を握って行くためには、学的・思想的体系化が、当然必要であったし、儒仏の世界観を打破し、その非合理性を暴露する必要があった。こうした国学が理論形成を試みている時洋学が勃興しつつあったのである。しかも折柄洋学も同様に思想的には儒仏世界観の打破者として勢力を伸張していたのである。ことにキリシタン禁制下にあって洋学が専ら形而下的実証科学として行なわれたことは、儒仏に対して共通の立場を持ち、自らも実証的になろうとしている国学の接近を容易ならしめた。国学の思想体系化に当って、儒仏という既成の思想体系が到底取り得ない科学的基盤を求めることは、むしろ自然の動きですらあった。本居宣長〈モトオリ・ノリナガ〉の如き『天経或問』〈テンケイワクモン〉を読みそれを日本開闢〈カイビャク〉論に摂取したばかりか、禁書類にまで注意していることなどから見ても、洋学に対する関心のほどを知ることができよう。【以下、次回】

 最初のほうは、当時、盛んだった講座派的な近代史観そのままだが、下線部のあたりから、にわかに独創的になってくる。
 なお、著者の海老沢有道(一九一〇~一九九二)は、キリシタン史家で、本書刊行時は立教大学文学部長。

今日の名言 2015・1・1

◎平和とは一杯の飯初日の出

 愛知県西尾市の浅井信行さんの俳句。東京新聞の本日朝刊「平和の俳句」欄より。浅井さんは高校生で、この俳句は「三十秒でひらめいた」という。これに倣って、小生も一句、元旦も、はよ起き出して、初ブログ。

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2015-01-02 00:46:26
 復古神道の体系化に平田篤胤がキリスト教の聖書、さらに官学である朱子学に対抗して道教の造化三神の教えを持ってきたことはエホバの辞典にも指摘されています。
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